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黒海の記憶#30/ローマの歯亡舌存#02

テオドシウス1世が帝国を我が子に分割統治させたのは、ディオクレティアヌス時代の四分割統治手法をそのまま踏襲したからだった。彼は我が子二人にローマを分け与えたわけ与えようとしたわけではない。そう考えていなかったはずだ。・・しかし現実問題として、イタリア半島/ローマとボスポラス海峡/コンスタンティノーブルの間は、当時すでに経済的な流通は希薄になっていた。バルカン半島より西は、従来からある農地政策(奴隷を使用する)ラティフンディアLatifundiumではなく(小作人を使用する)コロナトゥスcolonatus型の農園が多かったのである。そのため西は地産地消的な色彩が強くなっていた。
国内での交易が薄い国は、国家としての統制も必然的に薄くなってしまうものだ。ローマは巨躯になったがゆえに国家として機能不全に陥っていた。最大の悲劇は、テオドシウス1世がその実態を正鵠に理解していなかったことだろうと僕は思う。
彼は幼い兄弟二人に・・長男アルカディウスは東を、次男ホノリウスに西を担当させた。そして双方に有能な摂政を付けた。・・この采配に何か意図があったか?なぜ、長男に難攻不落の都市コンスタンティノープルを与え、次男に常に非ローマ人とぶつかり続けなければならないローマを与えたのか?

確かに成人したホノリウスは不遜で蒙昧だった。それが西ローマを急速な崩壊へ導いたことは間違いないが・・それ以前に、能将であるテオドシウス1世の分割統治に対する姿勢があまりにもステロタイプなことに大きな疑問を感じてしまうのだ。
・・実は、コンスタンティノープルを難攻不落の都市に仕上げたのはテオドシウス1世だった。
つまり彼は、従来の重歩兵重視のローマ軍がすでに機能しなくなっていることを知っていた。爾来、ローマ軍は防御より攻撃に重きを置く戦法を取ってきた。しかし精鋭な兵を育てるのは金も時間もかかる。時代と共にローマは自国民で精鋭部隊を組成するのが至難になっていた。
こうした傾向は既に先王ディオクレティアヌスが危惧しており、彼はギリシャ式の要塞都市にその解決策を見い出していた。テオドシウス1世は、これを踏襲し統治を行っていたのである。したがって彼はイタリア半島から西が守り難い地であることを知悉していたはずだ。ローマを要塞都市化するのは物理的に無理だ。つまりかなり大きなリスクを予測したうえで幼い我が子を宰相つきで送り込んだのである。

次男ホノリウスはコンスタンティノープル生まれで街を出たことがなかった。兄弟は分断され、否応なく統治の荒海に投げ込まれたのである。・・長じて長男アルカディウスは穏健な周囲に逆らわない王になった。次男ホノリウスは不遜な蒙昧な王になった。
宰相はヴァンダル族出身の将軍スティリコだった。彼は自分の娘二人をホノリウスに嫁がせた。ところが兄アルカディウスがあっけなく死亡すると、ホノリウスはオノレが東西両王になることを望んだ。しかしそれほどの技量が彼にないことを知悉しているスティリコは、アルカディウス二世を推した。アルカディウス二世はアルカディウスの長男であり聡明な少年だった。ホノリウスは怒った。そしてスティリコを殺した。
西ローマの空中分解はここから始まっている。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました