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黒海の記憶#31/ローマ人にとってのローマ

ローマはその身を半分に削ぐことで生き残った。それもオノレの出自であるイタリア半島を放棄することでわが身を守った。・・例えば先の大戦で日本国が台湾島以外の全てを失い、台湾に有った日本統治政府だけが日本国になったとしたら・・日本人はどうしただろうか?
遺憾ともしがたい、政治力/軍事力でそれが為され否応なくその道を行ったとする。日本人から日本列島への望郷の思いは消えるか?
ローマは消えた。ローマ人は以降一度もローマ/イタリア半島を取り返そうとしていない。ローマ人の中から、故地ローマへの思いは消えたのだ。
ふたつに割れたキリスト教も「正統的と名乗る=正教」と「普遍的と名乗る=カトリック」として、以降東西にその領地を置いて混合することなく布教活動を行った。正統的なはずの正教がローマに関心を持つことはなかった。

ローマとは、ローマ人にとって何だったのか? フォロ・ロマーノForum Romanumに立って思うのはそのことだ。南側に聳え立つパラティヌスの丘は頂きにドムス・アウグスターナを擁く。北西部はカピトリヌスの丘へ続く道だ。に進むと、東へ進むとコロッセオがある。西はテヴェレ川だ。異邦人である僕でさえ、その姿に強い誇りと情熱と分厚い歴史の層を感じる。ローマ人は二度と此処に戻らなかった。・・なぜいとも簡単に彼らは此処を捨てたのか?
再度、聞く。日本国が台湾島だけになったとして、日本人は京都を失ったこと喪失感を持たないか?
ローマ人は持たなかった。之ほどローマ人とローマの関係は異様だ。

ローマ人の祖型は、大陸東方から流れてきたラテン人だ。彼らがイタリア半島を下りポー川/ポー平原を我が地としたのが始まりだ。当時既にエトルリアEtruriaは大国として栄えていた。このエトルリア人とラテン人が混血して成立したのがローマ人である。・・ちなみにエトルリア語は印欧語ではない。しかしローマ人は印欧語であるラテン語を使った。ここに僕は支配者だった渡来人が漢語世界の人々だったのにもかかわらず、国としての言葉はヤマト言葉を採用した日本列島の最初の統一王朝と同じロジックを感じてしまう。

この祖型であるエトルリア人とラテン人の血に、半島南部からフェニキア人の血が混ざりアドリア海を越えてギリシャ人の血が入り、小アジアのケルト人/さらに東のゲルマン人の血が混ざる。
ローマ人の歴史は、混血の歴史だと言っても過言ではない。
その輻輳的に重なる民族の出自が、ローマ人のローマへの思いを希釈させているのか?
そんなふうに考えてしまう。



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました