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エゴを捨て去ったその先に #01

ほんとうに
陳腐でcheapな
エゴというものを
持っているなぁと
感じます。(笑)

これがいい、
あれはいやだ、
これは好きじゃない。

そういう頭の声ばかり気にしていると
軽く生きれないなぁと思いまして。


軽く生きるにはどうしたらいいのかと
本を読み漁りながら、
少しずつ行動しながら
やってやらうと思います。

読んだ書物の内容の
1%でもいいから行動してみる。

そんな軽さでやってみます。

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今回読んだ本は
ローマ皇帝が書いた「自省録」。

歴史上の偉人によって書かれた
「知恵の書」のようなイメージで、
読んでみてやはり自分の小ささに
おののきました。

「敵わないってこういうことなのか」

と妙に納得してしまいつつも 、
彼らが気づき実践していたことを知るにつれ
やはり同じ人間なのだと思う節もありまして。

そんな本の内容のごく一部と
読んだ際の雑感を少しシェアします。
「自省録」。

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「自省録」はローマ皇帝
マルクス・アウレリウス・アントニヌスさん
によって書かれまして、
彼の生きざまと思想と心象が包み隠さず
書かれたものです。

マルクスさんは現在のストイックという言葉の語源とされる「ストア派」とよばれる哲学に傾倒し、
情念に乱されずに不動の心で内なる理性に従う
生活を心がけていたとのこと。

自省録の第一巻は野営の陣中の中で書き記していたもので、それほど自分を省みることを大切にしていたとも言われます。


北境ゲルマン人との紛争、
ティベリス河の氾濫や地震という災難、
シリアに侵入しようとしたパルティア人との
戦争等々。

当時ヨーロッパ最大規模のローマ帝国を率い、周りの国との戦争や国の政治と日々向き合い、読書と瞑想に耽ることが好きだったマルクスさんにとって、政治や戦争に忙殺されることは嬉しいことではなかったと思います。

しかしマルクスさんは「不動心」(アタラクシア)を実践しようと日々内省し、向き合っていた。その葛藤の様子が包み隠さずに自省録には記されています。

たぶん彼は
「書斎人」になりたかったんだと思います。
ほんとうは。書斎に籠って書物を読み漁りながら、思索に耽る。それが彼のやりたかったこと。

だからこそ
日々怒涛のように押し寄せる
「皇帝」という仕事に
飲み込まれないように、
不動心を保ちながら
生きようとしたのだと。
そう思ってしまいます。

彼は
「皇帝」であり、
「政治家」であり、
「哲学者」でもあった。
そう思いました。

でも読了後
それより何よりも
彼はまず「人間」だったのだと
思わずにはいられませんでした。

宇宙即変化。
人生即主観。

彼の自省録の中で
一番好きな言葉です。

この意味は
次の彼の言葉に
要約されます。

君が心を傾けるべきもっとも手近な座右の銘のうちに、つぎの二つのものを用意するがよい。
その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。
もう一つは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。
そしてすでにどれだけ多くの変化を君自身見とどけたことか、日夜これに思いをひそめよ。

マルクス・アウレーリウス著 神谷美恵子訳『自省録』岩波書店,p.51

物事はどうしたって変化していく。
子供の頃に持っていた夢、
学生時代に目標としていたこと、
恋愛初期のころの感情、
今思っていることだって変わるかもシレナイ。

そうやって宇宙は変わっていく。
でもそれをどう捉えるのか
その変わりゆく宇宙と歴史と
時の流れとどうか変わっていくのか。

それに関しては
自分で決めることができる。

そこに関しては
台風の目のごとく
混沌の中に調和がある。


静寂と均衡が保たれる
その主観はあなたが持っているものだ。

だからこそ
それを手放して
混沌に身を置くのを止めなさい。

彼が2000年前に書いた言葉が
今でも脈々と生きていて、
彼から直接そう言われている気がして。

もし2000年前に戻れるなら
彼にこう伝えたいです。

あなたの言葉は
変わっていませんよ。

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