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絶望の沼でスイスイ泳ぐ方法

ちょっとした絶望の沼に
思わず飛び込んでしまうことがある。


無力感のなかで
泳げど泳げど
進まねーよと。

極めて後味の悪いデザートを
いやいや食べているかのような。
そんな気分。

あ〜、沈んでるな〜と思う。

あ、やべ〜なっていう失敗とか
キツいと思うことがちょっと続くと
すぐそこにプチ絶望の沼があったりする。

そして割とハマる。笑

そして気づいてしまってのだけども
ぼくはその絶望の沼に飛び込むのだけは
とてつもなくうまいのだと思う。笑


もうそろそろ何度か落ちているので
溺れたときの対処法みたいなものも
少しは分かってきた気がする。

備忘録としても
いくつかまとめてみる。


1. 無理にポジティブになろうとしない

こういうときに限って自己啓発本や
スピリチュアル本を無性に読みたくなってくる。
一応言っておくと僕は両方大好きである。笑


中学校の頃に初めて読んだファンタジー小説以外の
分厚い本いえば「思考は現実化する」だった。

もし自分が落ち込んでいたならば
「あー、沼ってんな〜」と感じるならば
多分両方ともあまり助けにならないと思う。

むしろ、激しく落ち込む。笑
(経験済み)

自分が「鋼のメンタル」を自負しない限りは
もっと胃に優しい、消化に良い
小説やエッセイがいい。

個人的には旅エッセイを書いている
宮田珠己氏のシリーズがおすすめ。
爆笑して悩みのことなんて忘れてしまう。

沼ってるからこそ
笑おう。

2. 1日はしっかり悩んでみるのも悪くない

悩むのは悪いことだと言われる。


たしかにあまり生産的ではなさそうだし
悩んだからと言って
いい結果が生まれてくるとは
限らない。

それでもやはり悩むのも大事だと思う。
理性と感性の折り合いをつけるのだ。
というかある程度無理やり
落ち着かせるのだ。笑


少なくとも自分の中で
「悩んだら、スッキリした」もしくは
「悩んで、より沼った」のどちらかに落ち着く。

この「落ち着く」のが
心理的には非常に大事な気がする。


「自分なりに悩んではみた」
  ↓
「でも考えて考えてもやっぱりよくわからんかった」
  ↓
「だんだん自分に腹が立ってきた」
  ↓
「いちいち何に悩んでいやがるんだ自分は」
  ↓
「だいたい悩んでる人間を前にして、お前は何なんだ」
  ↓
「アイス食ってんじゃねぇ」
  ↓
「◯◇✕§ωΩ!」
  ↓
「ドゥクシっ」

間違えても
悩みを聞いてくれている友人に
逆ギレするようなことはあってはならない。

そんなことをしたら
より激しく沼の底に
向かっていくだけである。

でもたまには悩もう。

3. ひとりで森林浴にあえていく

なぜ森なのか。

これはわりと真面目に
鳥と花に会いに行く。

そのへんの公園や森に足を運ぶと
意外に鳥も花もたくさんいる。

鳴き声にちょっと耳を傾けて
足元に視線を向け観察していると
彼らは悩みなどなさそうな感じがしてくる。

しかし実際のところ
猛然と地面をつついているハトさんや、
コンビニから出てきたおじさんを
襲っているカラスさんや、
つがいで人間などには見向きもせず
歩いているマガモさんたちは、
人間よりも厳しい自然の真っ只中を
悠然と生きている。

人間と比べるなどおこがましい。
そんな姿がかっこよくて
よく観に行ってしまう。

彼らのほうが圧倒的にウワテだ。
「人間よ、自然をなめるな」
と思っているはずだ。

そんな彼らを観察していると
「あ、はい。人間も辛抱します。」
「お、お邪魔しましたっ!」
と言いたくなる。

だからたまに森に行く。

そうして今日も自然にシバかれて
ぼくは沼の中を必死で泳ぐ。笑

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