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2万年前の姫(3)

 冬馬はレオンと共に高尾駅で電車から降りた。
 改札を出ると、高層ビルが建ち並んでいた。
 駅前の交差点はたくさんの人々が横断している。
 15年前、東京都の23区が沈んで高尾駅周辺は大規模な開発が行われ、商業の街に変貌していた。
 前を歩くレオンが、歩く速度を速めた。
「急に早足になって、どうしたんですか?」
「つけられている」
「え?」
 視線だけを横に向けても不審そうな人は見当たらない。
「冬馬、走るぞ」
 レオンが点滅している歩行者信号の横断歩道に向かって駆け出した。
 前を歩く人と人との間をすり抜けるように走るレオン。
 冬馬は人が邪魔で思うように進めない。
「レオンさん、待ってよ!」
「横断歩道を渡り切れ!」
 言っている間に、レオンは楽々と横断歩道を渡りきった。
 冬馬はまだ横断歩道の中間、中央分離帯にいた。
 歩行者信号が赤に変わった。停車していた車が動き始める。
「冬馬、早く来い!」
「来いって言っても、赤です! あ、か!」
 叫ぶと、レオンが鬼のような形相に変わった。
 片手に持っていたステッキの先を、冬馬へ向ける。
「冬馬、しゃがめ!」
「え?」
 冬馬は背後に人の気配を感じた。
 振り返ると、スーツを着たサラリーマン風の男がナイフを冬馬の首筋に突き立てていた。
 驚いて、ナイフをかわし、しゃがみ込む。
 ナイフが空振りした。
 次の瞬間、ナイフを持った男の眉間を、何か鋭い物が貫いた。
 そのまま男が倒れる。
 レオンのスティックの先から、細い矢が高速で発射されたようだ。
 この男がなぜ冬馬を殺そうとしたのか、わからない。けど、今は逃げるしかない。
 起き上がると、今度はニット帽を被った男が冬馬の前に現れた。
 ニット帽の男が腰からナイフを取り出し、冬馬を襲ってきた。
 冬馬は体を右に左に移動させて、ナイフをかわす。
 ニット帽の男が冬馬の顔を狙って、ナイフを振りかざした。
 思わず両手で顔をかばうと、スパッと左手の手のひらを切られた。
「うわーっ!」
 手のひらから鮮血が溢れ出る。
 ニット帽の男を見ると、その男はナイフに付いた冬馬の血を舌を出して、ペロリとなめた。
 男の目は大きく見開き、およそ人間の目をしていない。めちゃくちゃ危ない人だ。
「な、何だコイツ?」
 再び、ニット帽の男がナイフを振りかざした。
 そのとき、レオンが男の前に現れた。
 次の瞬間、レオンはニット帽の男の腹部に蹴りを入れた。
 ニット帽の男の背がくの字に曲がり、そのまま中央分離帯から車道に飛び出した。
 激しいクラクションが鳴り響く。
 一台のトラックが、車道に転がるニット帽の男を避けようとして、急ハンドルを取った。
 その急ハンドルでトラックが横転し、ニット帽の男がトラックの荷台の下敷きになる。
 走行中の乗用車が次々と、横転したトラックに突っ込み、炎上する。
 一瞬にして、冬馬の周りは大惨事となった。
「今のうちに、逃げるぞ」
 とレオン。
「あの人たち、なんなんですか?」
「おそらく、六花をさらった連中の差し金だ」
 冬馬は奥歯を噛みしめる。妹の六花をさらったヤツらは許せない。だからと言って、その人間を見殺しにすることにはためらいがある。
「放っておいて大丈夫なんですか?」
「ヤツらは人間じゃない。心配は無用だ」
「人間じゃない?」
 冬馬は眉を歪める。
「詳しいことはあとで話す。今は逃げるぞ」
 頷き、冬馬は手のひらから出る血を止めるため、手首を押さえながらレオンのあとを追った。
 冬馬の前を歩くレオンの顔は厳しい。あれから何も言葉を交わしていない。
「レオンさん、あの現場から逃げちゃって大丈夫なんですか? 警察が追ってきませんか?」
 思い切って口火を切った。
「心配ない。監視カメラの映像は我々、ヘムネイルの仲間が消す。警察も我々の行動に文句はつけない」
「ヘムネイルって、すごいんですね」
 少しだけ嫌みのある言い方をした。けれど、レオンは無言だった。
 早歩きで十分ほど進むと、大きな森林公園に出た。
 その中央に、街で一番高い超高層ビルが建っている。
 ビルは連邦政府の所有物で、様々な企業や団体が入っている。
 ビルのエントランスの周りには、おびただしい監視カメラが設置されている。
 エントランスに入ると、大勢の警備員から監視の視線にさらされた。
「冬馬、ついてきなさい」
 冬馬とレオンは、エレベーターに乗り込む。
 エレベーターのなかでレオンは、無言で階数表示のパネルを見つめていた。
 冬馬は切れた左の手のひらを見る。
 もう血が止まっていた。小さい頃から怪我をしても止血は早い。
 エレベーターが50階で止まった。
「冬馬、ここが我々、ヘムネイルのオフィスだ」
 そこは明るく広いフロアーだった。フロア全体がオフィスとなっている。
 壁一面ガラス張りの窓からは、高尾の街と八王子市が一望できる。
「すごい!」
 窓からの絶景に目を奪われていると、
「あんたがヘムネイルの新人?」
 女の子の声がした。
 声のした方を見ると、ひとりの少女が両手を腰に当てて、傲然と冬馬を見ていた。
 茶色の髪のツインテール、整った顔、全ての視線を跳ね返すような意思の強い目、引き結ばれた口。
 冬馬と同じ歳くらいのその少女は、全身を黒い軍服のような服で身を包んでいた。
 敵意丸出しの少女に、どう返答しようか冬馬は迷う。
 シルクハットを取ったレオンが、冬馬を呼び寄せるように手で合図する。
「紹介しよう。この少年がヘムネイル入隊希望者の、冬馬君だ」
「雪風冬馬です。よろしくお願いします」
 腰を深く折った。
「あたしは七理ななり
 顔を横に向け、七理は言った。
 明らかに、お前なんか認めないぞ。と全身で表現している。
 そんな七理をとがめることなく、レオンはオフィスにある一番大きくて豪華なデスクの椅子に腰を下ろす。
「私は、ヘムネイル日本支部の隊長、レオンだ。冬馬、最終確認だ。ヘムネイルになる意思は変わらないか?」
 冬馬は拳を握りしめて、レオンの眼差しを受け止める。
「変わりません。六花を救い出すために、ヘムネイルになります」
 レオンは大きく頷いた。
「では、雪風冬馬を、ヘムネイルの一員として、認めよう」
「ちょっと待ってよ、こんな素性もわからないヤツ、ヘムネイルになっても死ぬだけよ!」
 七理が猛抗議した。
「素性はわかっている。冬馬は、雪風健次郎の息子だ」
 レオンがそう言うと七理は目を丸くして冬馬に顔を向けた。
「雪風副長の、息子?」
「そうだ。残念だが、健次郎は敵の襲撃にあって、亡くなったよ」
「雪風副長が、死んだ? 嘘でしょう?」
 信じられない、という顔の七理。
「冬馬、ブラッドプレートを見せてやれ」
 頷き、ポケットから血で染めたような赤いプレートのついた首飾りを取り出す。
 それを見た七理が絶句する。
「……なぜ、あんたが、ブラッドプレートを持っているのよ……」
「このブラッドプレートは、父のです。父の形見です」
「そ、そんな……。副長が、死んだなんて……」
 肩を落とす七理を横目に、レオンが話を進める。
「ブラッドプレートはヘムネイルのライセンス証。健次郎のブラッドプレートはあくまで健次郎のライセンス証だ。返してもらうよ。君のブラッドプレートは改めて発行する」
「このブラッドプレートは、父さんの形見なんですけど……」
 そう言っても、レオンは首を横に振った。
 冬馬は奥歯を噛みしめる。
「認めない! あたしは認めない! 冬馬、あたしと勝負しなさい!」
 七理が叫ぶ。
「七理、冬馬にはこれからヘムネイルの訓練を受けてもらうのだ。無理を言うな」
「訓練ですって? いつ吸血鬼が襲ってくるかわからないのに、そんな時間はないわよ!」
 何か今、すごいキーワードを訊いた気がする。
「レオンさん、吸血鬼って、何ですか?」
「そうだな。冬馬は正式にヘムネイルになったから、教えよう。我々の敵は、吸血鬼だ」
 レオンは、そんなの当たり前だろうと言う感じで、さらっと言った。
「吸血鬼って、冗談はやめてください」
 そう言うと、七理が「はははっ」と大声で笑い出した。
 大股で冬馬へ近寄り、グィッと首元を掴む。
「冗談なんかじゃない! 吸血鬼は存在する! そして、吸血鬼を倒すのが、あたしたちの仕事なの!」
「へ?」
 首を傾げると、七理が掴んだ首元を体を押し返すように放す。
「吸血鬼を倒すのが、ヘムネイルの仕事? レオンさん本当ですか?」
 冬馬の問いに、レオンは満面の笑みで頷いた。
「本当だ。さっき冬馬を襲った連中は、おそらく吸血鬼に血を吸われて、吸血鬼の下僕と化した人間だ。ゾンビと言ってもいい」
 冬馬の顔が青ざめる。
 そんな腰の抜けた冬馬に、七理は両腕を組んで軽蔑の眼差しを浴びせる。
「やっとわかったようね。冬馬、とか言ったわね。そんなんじゃ、吸血鬼に簡単に殺されてしまうわよ。さっさと辞めることね。今なら、まだ間に合うわ」
 冬馬は六花を救い出すと決めた。その決意は、相手が吸血鬼という化け物でも変わることはない。
「七理さん、俺、ヘムネイルは辞めません」
「へーっ、一応、根性はあるみたいね。父親がヘムネイルだったからって、調子に乗るなっつーの」
 人をバカにしたようなこの言葉に、冬馬はカチンときた。闘志に火が付く。
「俺からお願いするよ。俺と勝負だ。七理」
 冬馬の挑戦的な態度と、七理を呼び捨てにしたことに、七理もカチンとくる。
「いいわ。勝負してあげる。冬馬おぼっちゃん」
 吐き捨てるように言い放つと、七理は軍服の内側から剣を取り出した。
 剣の刃が、赤く輝いていた。
 まるで血を固めたような剣の先を、冬馬へと向ける。
「冬馬、覚悟はいい?」

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