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「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(4)

第4回 鹿鳴館の夜 ご案内

謹啓 爽秋の候益々御清祥のことと御喜申し上げます。クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜会」も好評裡に回を重ね第4回を迎えることとなりました。本年は、明治31年(1898年)7月11日ロシア国キリウ・ウラジミロウイッチ大公を閑院宮載仁親王殿下が接待された時の献立を再現致したいと存じます。ご承知の通り、当時の帝制ロシア宮廷に於ける食卓は、フランス ルイ王朝時代の流れを汲み贅をつくしたもので、その国の皇族を招く宴席の献立には、当時の司厨部員はさぞや苦心したと思われます。

因みに、同大公は皇帝ニコラス二世の甥にあたり、皇帝の命を受けて東洋諸国歴訪の途次 軍艦ラシーヤ号にて横浜に寄港され、芝離宮の延遼館に止宿されていたものであります。私たちはこの夜会を計画するにあたり、単なる明治西洋料理の復刻に止めず、明治の献立を基調とし、新しい詩情を持った昭和の夜会として楽しんで戴ける様心がけましたので、何卒明治の香高き芝公園に皆様御揃いで御来駕くださり、美しい秋の夜をお楽しみ被下度ご案内申し上げます。

昭和54年10月
石黒孝次郎

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祖父の残した文章や資料をまとめていると、本当は今だったらこんなこと話したい、あんなことを知って欲しい、これをみて欲しい、色々聞きたい、等、いろんなことが思い浮かんできます。

祖父がなくなったのは私が小学生の時だったので、祖父の話の面白さや、コレクションの本当の価値を理解するにはまだ小さすぎました。でも今なら、本当はこんなことを教えてくれるかもしれない、と、色々と想像します。

明治時代の会を、お料理メニューも含めて復刻、という発想も、資料に詳細に目を通すまで、母の話をなんとなく聞くくらいでしかなかったものが、改めて詳細をみてみると、本当に面白そう。どれだけ祖父が、楽しそうに、周りの人たちにもワクワクしてもらいたい、という、大人の遊び心いっぱい込めて、この会を開催していただろう。


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今の時代に、この明治時代の鹿鳴館晩餐会を「復刻」させるとしたら、一体どんなものになるだろう。想像してみるととても面白く、次の資料をみるのを楽しみに、取り組んでいます。そして、この資料をまとめていくことで、まずは小さな奇跡につながっていくことから信じます。

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