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【気持ち編③】適応障害になったきっかけは『先生として』の呪縛

ーこんばんは!うさぎです
 noteに記していくことで
 なんとなく前に進んでいる
 自分の心と向き合えている
 気がしていて、、

 ちょっとしたやりがいを
 感じています

 そして
 見てくださる方がいること
 このnoteに記したことで
 言葉を通して繋がれた人が
 いることに感謝をしています

 今回も見にきてくださって
 ありがとうございます…♡

 前回が 幼少期編でしたので
 (掘ればまだまだありますが)

 今回は 教員編 でいこうと思います


小学校の先生になった理由

それは

子どもたちを幸せにしたい

それだけだった

もう少し詳しくいうと…

障害のある子どもたちや
家族の中で居場所のない子たち
勉強や運動が苦手な子たち

どんな子でも
差別や偏見なく安心して過ごせるように
みんなが幸せになるお手伝いをしたい

そんな思いで小学校の先生になった


1年目から有言実行

心の中にある不安や心配
自信のなさは全部隠して
子ども達の前に毎日立った

イメージは
近所の年上のお姉さん

近寄りやすいように
明るく笑顔を絶やさず

安心して相談ができるように
自信のあるふりをする

ひとりひとりが自分の子どもだと
思うほど感情を移入させることもある
発揮するのは

自分をコントロール
できなくなった子がいたときや


人を傷つけたとき

イメージは
本当の家族、お母さん

どうしてそれが起こったか
どんな気持ちだったか
苦しみ悲しみ悔しさを一緒に感じる

ダメなことはダメだと厳しく
伝えることもある

母親はこうだったらいいなの
理想像

発達に偏りがあったり
愛着形成に難があったりで
問題行動が多い子には

その家族もふくめて味方になる

その子のよさをみて
それを家族に伝えられるだけ伝える


集団での難しさは
その子のせいじゃないから

どこまでがんばらせたいか
がんばれるところはどこか
どうしたらそれが達成できるか
見極めながら

自分自身の判断ではなく
家族と相談しながら決める

それはまるで
カウンセラーのように

ひとりだけを見るのではないのに
その子に合わせてオーダーメイドに


この7年間、

こんなふうに
いくらでも作り上げて
その場その時に合わせて演じる

学級崩壊を起こしたことはない
何か特別問題があったわけでもない

個性豊かな子ども達ではあったけど

みんなのことが今でも大好きで
子ども達もたくさん愛を返してくれた

保護者たちにも恵まれて

楽しく幸せに仕事ができている
そんなふうに見えていたと思う

わたし自身もそう思っている

いろんなことを同時にできて
いろんな役になれる

飽き性のわたしには
天職かもしれないとさえ
思うこともあった


巷で有名な教員の愚痴

業務量が多い
残業代が出ない
モンスターペアレントがいる
発達障害の子が大変

どれもわたしにとっては
大変じゃなかった

何か起きたのだとしたら

それは
わたしが上手く立ち回れなかっただけ

自分の裁量でやり方次第で
どうにでもなること

人のことを考えて
自分は殺して行動すれば
大丈夫

そうなれるように
ひたすら準備もした

朝は1時間早く7時に着く
家を出るのは5時過ぎ

夜は終バスがある22時まで
家に帰ったら24時前

土日は泥のように眠りながらも
どちらか1日は次の週の授業準備

ただひとつ苦しかったこと

それは
自分の心と反する指導をすること


学校のルールに合わせて
社会にでたときのためにと

型にはめること
枠の中に入れること

それがどうしても苦しかった


ありのままでいい
その子のよさを認めていて
楽しく安心して幸せならいい

わたしの願いはそれだけなのに

学校の中にいる以上
学年の考えに合わせなきゃいけない
学校の他の先生の考えを
取り入れなきいけない

見守る保育者ではなく
指導をする指導者だから


先生として
指導者として
そうあるべき
そうしなきゃいけない


わたしにとって
この言葉たちは
抱えきれない重荷だった


そんなことが言えるほど
立派な人間じゃないのに

いくつもの仮面をかぶって
そうみえるように作っているだけなのに


先生として
言わなきゃいけないから伝える

思っていないことでも伝える

この感覚はどうしても
わたしの中で割り切れなかった


嘘をついてごまかしている感覚

自分がなにものかわからなくなる感覚

心と人格が乖離しているような感覚


いつのまにか
修復できないほど
心が傷ついていて

ぼろぼろになっていたと
気づいたときには遅かった


ーポキっと折れたきっかけは
 まだ少しあるのですが

 心が蝕まれたのは
 先生としての指導でした

 実際はそれだけが辛かったわけでは
 ないのかもしれません…

 気が付かないオーバーワーク
 疲れもあいまっていたのかも
 そんなことも思いつつ、、

 書いていて、読み返していて、
 わたし自身がひしひしと感じるのですが…

 自信のかたまり
 傲慢

 そうとらえていただいても
 全然かまわないのです、、

 しかし
 そのような考え方をしていても、

 わたしは
 自信のなさのかたまりでした

 そこの矛盾が難しいもので

 やらなきゃいけないからやる
 ことはできるんです

 自信をもっているように
 みせなきゃいけないから
 魅せる
 ことができるんです

 こんなに自信ないわたしが
 上手く魅せるだけみせて
 ダメだよなぁ

 わたしじゃなかったら
 もっとありのままに
 上手く指導しただろうなぁ

 本当に向いてないなぁ

 の繰り返しでした

 自分の努力や成果は
 認められないんです
 受け入れられないんです

 このちぐはぐさが
 はずかしいものです

 けれどそれがわたしなので
 しょうがないんですよね、、

 こんなふうに開き直りつつも

 ありのままの
 自分を受け入れるようにしている

 最近のうさぎでした

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