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【起業ヒストリー①】出産で世界が一変。会社を辞めた2014

株式会社リモートストーリーズのタナカミカです。私は今、オンラインアシスタント「リモットさん」のマッチング事業や、オンライン研修サポート・セミナー事業などを行う会社を経営しています。昨年末に出版した「Zoomマスター養成講座 改訂版」はベストセラーとなり、「Zoomの人」と認識してくださっている方も多くいるかと思います。

リモットさんのサービスは5月にリブランディングしてローンチしたばかりですので、この辺で、なぜ私が今起業をしているのか・この事業を行っているのかという話をしっかり書いておきたいなと。特に、個人事業主として起業したいと考えている方や、オンライン完結の事業に興味のある方、子育てと仕事の両立に悩んでいる方、あとは最近タナカミカを知った方に読んでもらえたら嬉しいです!

大学卒業後、知人が立ち上げた会社に勤務

早稲田大学の国際教養学部というところを卒業した私は、将来は海外で働いてみたいな!とか、海外と繋がることができる仕事に就きたいな!とか様々な期待を胸に抱いていましたが、知人が立ち上げた企業に誘われて働き始めました。同時に東京学芸大学大学院の教育学部にも通い始めたのですが、(教育に興味があり、教育といえば学芸かな、ぐらいの気持ちで選んで、シュタイナー教育を研究していた)紆余曲折あったり途中で妊娠したりして中退しました。そこから退職するまで、その知人の企業に勤めました。

スタートアップの会社というのは当然忙しく、厳しく、社会人になりたてだった私には普通に大変だった上に、責任ある担当を任されていたりしてツライなと思うことも多々ありました。でも、やりがいも大きくて、長女を出産するまでは、やりがいが辛さを大きく上回っていました。妊娠中は悪阻で動けなくなって事務所に泊まったこともあったし、ビニール袋を抱えてタクシーで通勤した日もあったなぁ。なつかしい。(頑張ってたわ私!笑)そんな感じでも、仕事を辞めようなんて全く思ってませんでした。出産したらすぐに復帰して、またバリバリ働こうと思っていました。

25歳で長女出産!世界が一変。

2013年、3600g超えの大きめサイズで長女が生まれました。出産の兆候から50時間もかかったので、無事に生まれたときには長女が我が子というより「バディ」みたいに感じたことを覚えています。一緒に苦難を乗り越えた相棒的な。そこから仕事が軌道に乗るまでの数年間、長女はずっと私のバディでした。自分の人生の選択の中心がすべて長女になったし、私がどうしようもないときに救ってくれたのはいつも長女でした。

子どもが生まれて、大げさではなく私の人生は変わってしまいました。まず、出産前はあんなに「早く復帰しよう」って思っていたのに、産後は子どもから離れたくなくて泣きながら仕事に行ってた。笑 それから、仕事にエネルギーが行かなくなってしまいました。一刻も早く子どもとの時間を過ごしたい気持ちでいっぱいでした。夜中も1,2時間おきに授乳していたこともあり、自分の頭が悪くなったと感じることが増え、判断力も低下していました。

産後1ヶ月半で仕事には復帰したのですが、長女は待機児童になってしまったこともあり、子連れ出勤をしていました。週に何度か子どもを連れて出勤していて、当然仕事は捗らないけれど、子どもと一緒にいられる安心感がプラスに働いている面もあったと思います。子連れ出勤できない日はベビーシッターさんを頼んでいて。酷いときは月に30万円ベビーシッターさんに払っていたこともありました。キッズラインさんのようなマッチングサイトもまだ立ち上がっていない頃で、即対応してくれるシッター会社は高額でした。

子どもと向き合えないストレスにプラスして、限界を何千%も超えて努力しているつもりなのに一向に仕事が上手くいかない辛さ、人間関係などなどありまして、気付けば髪の毛が薄くなっていました。朝8時半から働いて23時頃から飲み会ミーティングが始まって朝4時、5時までお酒を飲むというような日も、多々ありました。今思えばそんなの断ればいいわけですが。「ここで断るなんて社会人失格」とか「プロじゃない」とか思ってしまっていたんです。自分が置かれている状況と環境によるところも大きかったと思いますが、自分で自分を洗脳していたというか。もうどうしようもなくなっていました。

ある日、本当に辛くて、辛くて仕方がなくて、帰宅して夫に言いました。「もう殺してよ」って。その日何があったのかはもはや覚えてないんですけど、何かあったんでしょうね。さすがに夫も焦って私の会社の社長に電話をしようとしていたし、私も言葉にしたことで自分の精神状態のヤバさを認識して冷静になりました。この頃から辞めることがやっと頭にちらつくようになりました。

退職の決め手は、母の言葉

ただそれでも、退職の踏ん切りをつけることはなかなかできませんでした。たった数年ではありましたが、全力で人生のエネルギーを注いだ場所を離れるというのは怖かったし、辞めたら自分から何もなくなってしまうと思いました。その会社で活躍すると決心していたから、その地域にマンションを買って住んでいたりしたわけですが、「辞めたら恥ずかしくてもう外に出られない」とかも思ったな。今思えば、「え、なぜ?」って感じなのですが。これも洗脳。自分で自分を洗脳していました。

退職する前に相談したのは、夫と母だけです。夫は自分も慣れない育児を「手伝わ」せられていることにイライラしていて余裕がなかったし、夫婦関係も今と違ってまさに「産後クライシス」の状態だったので、まるで頼りになりませんでした(キッパリ。笑)母だけには、だいぶ心配をかけたと思います。何度か電話で相談して、何度も「もう会社辞めなさい」って言われた。私はその度に、「いや、でも会社ではやりがいもあって・・・」とか言い訳のようなことを何度も言ったりしてたのだけど、母は「もう辞めなさい。一旦八戸(実家)に帰ってきなさい」ってずっと言ってた。

母には本当に感謝しています。心から、あのタイミングであの会社を辞めてよかったって思います。いつもの飲み会の席で退職届けを提出して、辞めました。そこから辞めるまでの期間も、一挙手一投足を監視されたり「あなたのせいでプロ感がなくなった」と言われたりそれなりにトラウマになるようなことも多々あったんですが、この経験も今振り返るとめちゃくちゃありがたいです。あのときの私は、自分で自分の価値をめちゃくちゃ低く見積もっていたからそういう周りの反応を引き寄せていたんだって今ならわかる。もう二度とその経験をすることはないだろうなと思います。

退職後、3週間の抜け殻期間からの激短専業主婦モード

本当に、最初に勤めた会社の人たちには感謝しています。当時〜辞めてから数年は思い浮かべると苦しくて苦しくて仕方なかったけど、今となっては感謝しかない!色んな経験をさせていただいたし、何より手加減なしで、私とは違う価値観をぶつけてくれたから。当時の私は、あの企業には合ってなかったしいるべきじゃなかった。ただそれだけのことでした。

退職してから2,3週間はさすがに抜け殻状態でした。朝から晩まで長女と一緒にいられることは喜びでいっぱいでした。何をしてても可愛かったな。長女がお昼寝をしているときは、ツムツムばっかりやってた。笑 それから、昼間からお酒を飲んでいました。そうやって廃人みたいな生活を2,3週間はしたと思うんだけど、私の性格上そうやってダラダラ目的のない時間を過ごしていることが逆にストレスになってきて、「今できることを徹底的にやろう」と思い始めました。そこで「専業主婦」を極めてみることにした私は、毎日徹底的に狭いマンションの掃除(ほうき・掃除機・床はすべて水拭き→乾拭き・もちろん水回りも磨く等)をし、夫に食べさせるための節約料理を作りました。子どものことはもちろん最優先で、「今あるものの中で最大限に良い環境を作る!」って決めていました。

で、徹底的な専業主婦モードにも慣れてテキパキできるようになった私は、だんだんと時間に余裕ができてきました。そこで気付きます・・・

あれ、お金がないぞ・・・?

と。実は、退職してから知ったんですが、夫の収入は私の何分の1かしかなくて。私の収入が途絶えたら、経済的に余裕がない状態になってしまったわけです。そこから、私の起業に向けた取り組みが始まります。

というわけで、専業主婦期間はほんの一瞬で、起業に向けて動き出しました。「起業」というか、まぁそのとき思っていたのは「とにかくお金を稼がなきゃ」という感じでした。前職を辞めたときにすっかり社会人としての自信を失っていたので、「もう企業勤めは無理だろうな」と思い込んでいて、就職活動をすることは頭にありませんでした。

どうやってお金を稼げばいいんだろうと考えたときに、まずは自分ができることを棚卸ししてみることにしました。最初に頭に浮かんだのは、英語。自信があるわけではなかったので「英語(一般の人よりはちょっとできると思う)」とか書いてたと思います。そんな状態から英語の講座を売って、最終的には何百万かの売上を立てることができたので、そこまで何をしたのか、次の記事でお伝えしたいと思います。

続く。


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