見出し画像

わたしたちは素晴らしい、わたしは素晴らしい


「芸術とは、わたしたち人間は戦争やひどいことをたくさんしてしまうけど、それでも私たち人間が素晴らしいと、人間を肯定するための装置だ」と南嶌さんはいった。(南嶌宏さんは、自分の思春期に地元・熊本市現代美術館の元館長をされていた方で自分が影響を受けた人物であることは間違いない。)
「人間」を捉えることはとても難しい。セルフィーで写真を簡単にとれる現代でも、「人間」の姿は見えない。さらに、今の時代はその写真の上からフィルターをかけて修正された姿になっていることもあるから余計に厄介だ。
これと同じことが、社会でも起きているように思う。
「作品」は昔の人間の素晴らしい成果を残すだけでは足りなくて、今の人間、私たちを捉え直し続けなければいけないものだと思う。

わたしの世代は物心ついた頃にはバブルが弾けたあとで、どうしようもなく無慈悲に災害は起きて、どんどん地球環境が悪くなっていっていることがデフォルトに体感している世代だ。
私自身も立て続けに疫病と災害を経験した今、虚無感に襲われたりどうしようもなくシャットアウトしないと呼吸ができないように感じることもある。

そんな私にも、遠慮せずに感じるべきものだと私は信じている
「私たちはすばらしい」と。

でも、その「すばらしさ」の怪しさや怖さみたいなのもずっと前から感じてもいる。
それは
・毎年のように戦争番組で流れるヒトラーの「私たちは素晴らしい!未来は私たちの為にある」という演説に移る歓喜する群衆の一切の陰りもない笑顔
・ドナルド・トランプmake America great againというキャッチコピー

から見つけた。


わたしはすばらしい
私たちはすばらしい


私にとってそれは、
優位さや栄光、偉大さを示すような「すばらしい」でなくても全然生きていていいよ、それで最高だよみたいなものでありたいな。
そちらのほうがいいな
それは自分が一度だって自分をgreatだとおもったことない私からの目線だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?