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小さな命から学んだ事


私が初めて初孫とご対面したのは、GCU(新生児回復室)。

産まれて2カ月が過ぎた頃でした。

NICU(新生児集中治療室)から出る事が出来て、おじいちゃんとおばあちゃんまでの面会がやっと許されたのです。

NICUは、24時間体制で看護している為、両親のみに面会が制限されていました。


発育不全で、このままお腹にいても成長は見込めないという事で、予定日より1か月程早く帝王切開での出産でした。

体重は1600グラム程。

私がこのGCUに来るのは、2度目。

1度目は、この子の父親。

私の息子の時でした。

同じ大学病院にお世話になるなんて、やっぱり意味があるんだと確信しました。


突然の出血と出産💦


私は二人目の子供として息子を身ごもっていました。

妊娠5か月頃から頻繁にお腹の張りがあり、思うように動けませんでした。

椅子からさっと立つだけでもお腹が張るのです。


病院から張り止めの薬はもらってはいたものの、上の子は1歳になったばかりで、そんな無理もあったのか妊娠8か月に入ったその日に出血。

お腹の強い張りもあり、急いで病院に行き言われた言葉が、


『もう子宮口が7センチ開いているから、止められません。出しましょう。』


女の子と男の子の成長は違うらしく、男の子の方が成長が少し遅いそうです。

男の子とはわかっていたので、その時に言われた言葉は、


『肺がまだ出来上がっていないので、人工呼吸器を付ける事になります。わずかではありますが、障害が残る可能性もあります。産声もあげる事が出来ないかもしれないです。』


悩むとか迷う暇もなく、ただ従うことしか出来なかったです。

そのまま入院になり、大学病院から小児科の先生が呼ばれ立ち合いの元出産となりました。

でも、何とか産声を上げてくれたんです。


看護師さんがそっと私の胸に赤ちゃんを一瞬置いてくれました。

その時、小児科の先生は私の所へ近寄ってきてやさしい声で言いました。

『お母さん、大事な赤ちゃんお預かりしますね。いいですか?』


私がそっとうなづくと、赤ちゃんは先生と一緒に救急車に乗りこみ大学病院へと戻っていったのです。


溢れる涙💧


私は、そのまま産婦人科で赤ちゃんと離れて暮らす生活が始まります。

お母さんの体は、出産後2、3日程でおっぱいが出るようになります。

普段であれば、新生児室に行って赤ちゃんにおっぱいをあげるのですが、

その時の私には赤ちゃんがいない為、それが出来ないのです。


この手に抱けない寂しさから、ずっとベッドの上で泣いていました。

その時に私が出来る事と言えば、飲ませる事が出来ない為パンパンに張ったおっぱいを、ただひたすら絞る事だけでした。

ただ、早く会いたい。

この腕に抱きたい。

退院の日を指折待っていたのを覚えています。


そしてやっと迎えた退院の日。

やっと、会える!

退院したその足で大学病院へと向かいました。

この時までは嬉しさでいっぱいでした。


泣いている場合じゃなかった😣


大学病院に着いて私が向かったのは、NICU。

案内されて念入りに消毒をして入室しました。

初めて入るNICUってどんな感じなんだろう?


案内された保育器に寝ていました。

早産とはいえ2000グラムはあったのですが、やはり少し小ぶりです。


いっぱい管に繋がれてちょっと痛々しいな、って思って見ていると

『抱いてあげて下さい』

って笑って看護師さんが言ってくれて。

やっと感じるこの温もり。

良かった。


ほっとしたのも束の間。

ふと周りを見渡すと、保育器がずらり。

大きな保育器。

いや、大きく見えるだけ、目の錯覚。


どう見ても1000グラムにも満たない赤ちゃん達。

保育器の中にちょこんと寝かされていました。

皮膚もまだ薄く、そこに管を止めるテープが貼られているのですが、テープを剥がす時に皮膚まで剥がれてしまうのではないかと思うぐらいでした。


小さいと思っていたうちの子がやたら大きく見えるんです。

ここではかなり大きな赤ちゃんだったのです。

胸が張り裂けそうでした。

私は会えないからって泣いてたけど、この子達はこんなに小さな体で必死に生きてる。

泣いてる場合じゃなかった、って思った瞬間でした。


小さいと思っていたうちの子がやたら大きく見えるんです。

早産とはいえ2000グラムはあったので、ここではかなり大きな赤ちゃんだったのです。


気持ちの変化🌈


それから毎日、退院するまでの約1か月間、絞って冷凍したおっぱいを持って病院へ通い、授乳と沐浴して帰るというのが日課でした。

温もりを感じる一方で、周りの赤ちゃん達に心の中で『頑張って!』と声を掛けていました。


自分に出来る事って、何だろう?

その時に思ったのが、『献血』。

これだったら、私にも出来る!


お金が掛かるわけでもないし、というか、逆にいい事ばかりじゃない?

献血をしたら、血を抜くから新しい血液が出来る。

時々献血をする事で、常に新しい血液が生まれるって事だし、いい事尽くめじゃない?

自分も綺麗になって人の為になる。

だから、一石二鳥って言葉、私は好きです。


まだ私に出来る事はある✨


大学病院に約1か月通ってようやく退院出来る日が来ました。

この間に、亡くなった赤ちゃんもいました。

自分にはどうする事も出来ないから仕方ないけど、救える命があるとしたら、救ってあげたい。

そんな気持ちから、今度はドナー登録をしたんです。

まだ、1度もお声は掛からないですけどね。


自分の一部で誰かを救えるってお手軽だな、って思うのは私だけでしょうか?

でも、単に分けるという事ではちょっと足りないと思うんです。

それは、私自身も『健康』でいないといけないから。

献血するにしても、健康な体の血液の方がいいに決まってる。


健康って、自分だけでなく人をも幸せに出来るんじゃないかな、って思います。

それで誰かを救えたら、誰かが喜んでくれたら、最高ですね。


今も思い出すあの小さな命。

きっとどこかで元気に暮らしているでしょう。


今日もありがとうございました。


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