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坂口安吾の『真珠』を読んだ

不安ばかりを煽るテレビを捨て、情報収集はネットニュース、不快な言葉はミュートするという生活を続けて長いが、それでも隣の国で戦争が始まったことは知っている。

侵略された国の大統領が、太平洋戦争時の真珠湾攻撃をうけたようなもの、と語ったことも。

それで真珠湾攻撃について書かれた坂口安吾の「真珠」を再読した。

まず驚いたのが、この作品が昭和十七年六月に書かれたということだ。真珠湾攻撃が九人の若者たちによって決行されてから、まだ半年も経っていない、まさに戦争のただなかに書かれている。

作中で坂口安吾は、多分自分は死にはしないだろうという確信をもとに、つらい行軍が中断される敵襲を喜ぶ戦地から帰還したひとから聞いた経験や、真珠湾攻撃を行った九人の若者の、人は必ず死ぬと決まった時にも進み得る人の“自信満々たる一生”と、真珠湾攻撃が始まった日にどう過ごしていたかを対比として語る。

坂口安吾は家の浸水のため濡れたどてらを、預かって乾かしてくれた小田原の友人を訪ねる予定をしていた日に、酒を飲みながら探偵小説の犯人の当てっこを作家仲間としていて行かれず、仲間のひとりの家に夜中に押しかけ、その家の夫人に「小田原に行ったら魚を買ってきてください」と頼まれる。

すでに東京では魚が買えなくなっている。

小田原でも買うことが出来ず、坂口安吾は友人の手を借りて二の宮まで魚を探しに行く。途中、米英への宣戦布告を知る。天皇陛下の詔と東条首相の講和を聴いて、僕の命もささげなければならぬと涙を流したといいながら、二の宮まで出向いてようやく手に入れた魚を、店先であぶって食べ、労働者に配給される焼酒を飲みながら、敵国の技術力と空襲に怯えている。

言論統制がされていた時代の文章であり、実際に戦意高揚を促すような文章を織り込みながらも、この作品から感じるのは、戦争賛美ではない。

国は戦争している。九人の若者が軍服を着ると暑いからと作業着を着こみ、お弁当やチョコレートをもらって、遠足のようだとよろこんで、帰りの燃料を積んでいない飛行機に乗り込み、征ってきますと飛び立っていく。坂口安吾は、生還を忘れた彼らはまるで遠足に行ってしまったようだという。

必ず死ぬと決めた若者の無邪気さと同じ重みで、死を直視していない、ふつうの生活を送るひとたちが、二の宮まで出向いても鮪一種類しか買えないとか、拡張工事で掘り返された江戸時代の墓地から出てきた貴重な土器が割れてしまったことを残念がっていただとか、酒を飲んで道でぶつかって喧嘩をしたりしている戦時下が書かれている。

この作品を初めて読んだのは中学生のころで、この作品は戦後に戦時中の規制の反動をうけて書かれたものだと思い込んでいた。こんなに戦争というのはばかばかしい、と訴えかけてくる文章はそうあるものではないなと。

三十歳にもならない若者が国に志願して、死ぬためだけの鍛錬をして、最後の攻撃をして玉砕。戦艦は大爆発を起こしたという。戦時中であり、死には直面しているが、自分は死ぬことはないだろうと思っていた、間が悪くその場所に居合わせたふつうの兵士たちもたくさん死んだのだろう。

真珠湾攻撃を知ったルーズベルトが、日本が過ちを犯し、戦争に突入したことを喜んだ、という言説がある。「われわれ自身が過大な危険にさらされることなく、日本に最初の一発を撃たせるような立場にいかに誘導すべきか」と語っていたと。

成功にはマグレアタリなどなく、なすべき用意がしつくされていたのであれば、あとは運という一つの絶対に帰する、と坂口安吾は「信長」で書いている。

戦争には目に見える形で始まったときにはすでに勝敗はついていると知っていた坂口安吾は、宣戦布告の報を聞いて、敗戦を悟ったのではないか。必要にかられて参戦せざるを得なくなった軍部に、なすべき用意がしつくされているようには、運という絶対が味方してくれるようには見えなかっただろう。


プーチンがキーウに侵攻する何年もまえに、見えないところでこの戦争ははじまっていたと聞く。

この戦争はどう決着するのだろう。戦争での死に直面する必要などなかったはずの、ふつうのひとたちに、ふつうの日常が戻ることを祈る。

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