演算と帰納

ある日とつぜん「そうか、そういうことか(たぶん)」と閃くことがあるかと思いますが、自分はちょうど昨日〜今日あたりで1つ、頭の中で新たな姿で見えはじめたものがあります。

それは数学です。単なるお勉強としてではなく、人間社会で数学を見つめる目を新たに養い始めたという感覚を得ています。

自分の中では大発見とも言えるその気付きは、新井紀子さんのコンピュータが仕事を奪うを拝読するなかで起こりました。

本書では前半、「言語としての数学」という概念が出てきます。

抽象化というと大変難しそうですが、要は、21世紀においてコンピュータを使いこなすとは「思い」をプログラムに落とし込める能力だということです。(中略)「思い」をプログラムに落とし込むために、自分がプログラマーや数学者になる必要はありません。日本の数学のカリキュラムでいうならば、中学・高校できちんと数学の授業を理解して、大学の教養課程で1、2年学べば本来は身につく能力なのです。それは、平たくいうと、「似てるか似てないかを測る尺度としては距離の概念が一番近いような気がするよね。だったら似ている度合いを距離で表現したらいいんじゃないのかな」という会話ができるようになる能力です。私は著書『数学は言葉』(東京図書、2009年)の中で、この能力に「第二言語として数学が話せる能力」と名付けました。(コンピュータが仕事を奪う p58~59)

もしかしたらおかしな言い方かもしれませんが、自分はこれまで数学を単なる「もの」としか扱ってきませんでした。そして、いつも心のどこかでその考え方に限界を感じてきました。

自分は IT 業界のエンジニアとして働いていますが、時々、人にとても寄り添うシステムを見かけることがあります。なんというのでしょうか、作っている人たちの思い・・・愛を感じるのです。

(超資本主義ともいえるこの世界で「愛」だなんて、むちゃくちゃなことを言っているように思えますが、一方で、リバタリアニズム甚だしいからこそ純粋に人間のことを愛している人達が多いとも言えるかもしれません。所感ですが、優秀なエンジニアには人間を愛している人が多いように思います。)

ただ、いざ自分でそういうシステムを思い描こうとすると、どんなに泳いでも向こう岸の人間にたどり着けないのです。自分の頭の中ではいつもコンピュータと人間が分断されていました。

愛がなくてもシステム構築はできます。しかしそれは自分の理想とするものではありません。理想と現実のギャップがありすぎると何事も行き詰まりを感じはじめるものです。実際に自分は幾度となく「もう引退かな」と思ってきました。しかしどういうわけか、その度に新たな環境に出会います。そうしてしばらくするとまた自分の限界を感じて、落ち込んで、また新しい出会いがあって歓喜して・・・。そうしてもう、本当にこれが最後かもしれない、と感じていた矢先に出会ったのが本書でした(気付くチャンスが何度もあったが気付けなかった、しかし今回やっと気付き始めたといったところでしょうか)。

本書では数学を、単なる「もの」ではない、柔らかくしかし堅実な存在として見つめているように感じました。もちろん戦略としての数学、これからの時代を生き延びる上でのスキルとしての数学という現実的な側面も描かれています。

自分が特に着目したのは、社会と数学の距離が徐々に近付いてきているというくだりでした。その瞬間、「ここに書いてあることは、あの分野の話で置き換えると理解が深まりそうだ」とか、「ちょっと読書を中断してあっちの本を読み返してみよう」とか、「最近考えていたあの話がこれに通じるんじゃないだろうか」などと、とつぜん頭の中でいろいろなことが結びつき始めました。自分の中で閃きが起こったのです。

コンピュータ以前は、数学の技術は、数学がわかる人にのみ利用可能なものでした。しかし、現在、コンピュータを通じて、かなり高度かつ複雑な数学を誰もが利用できる環境が整ったといえるでしょう。そのことによって、社会と数学の距離はこの20年でぐっと縮まりました。(中略)イノベーションの世界では、コンピュータを媒介にして、数学と社会の距離が縮まっているのです。私たち大人は、消費者である一方、生産者でもあります。生産者としてコンピュータに向き合う際には、商品としてのコンピュータや搭載されているソフトウェアだけでなく、その前段階に目を向ける必要があります。そこにおいて避けられないのが、数学との付き合いなのです。(コンピュータが仕事を奪う p125~126)

これによって、自分が少しだけ向こう岸の人間に近付いたような、そんな気配を感じました。具体的には、数学と社会の距離が縮まっていることに関連して、自分の人生を数学の側から見つめる目を手に入れたように思えたのです。実際にそうかはこれからの動き方で分かっていくと思いますが、まずはそんなふうに感じることができた自分を感慨深く受け止めました。するとみるみる活力が湧いてきて、いませっせと次の読書を進めているところです。

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上記の閃きを得る過程では、様々な小さな閃きがありました。

その中でも特にうれしかったこととして、新たな言葉を得たことがあげられます。それは「演算と帰納」です。この言葉自体は子どもの頃に習いましたし、演算的思考とか帰納的思考という言葉で世の中で広く使われているものですが、今回あらためて、いや、初めてしっかりと、人の世界における「演算と帰納」を意識することができました。

例えば「以前こういうことがあったから、絶対に失敗するに違いない」といった考え方を最近まで自分はよくしていました。これを数学の言葉で言うと「帰納による判断をしている」という説明ができます。

「演算による判断」はこのような憶測はしません。事実を事実として認識し、論理的に考えていきます。コンピュータと親和性が高い考え方でもあります。

この言葉が入ってきたことで、自分は、自分自身のことになると途端に帰納による判断を積極的に取り入れてしまっている、と、とても強烈に自覚したのです。もちろんこれまでも別の言い方でこの状態を表現していましたが、新たな言葉を手に入れることでより理解が深まったといった感じです。

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今回、本書をよくぞ手に取った!とまずは自分を褒めたいと思います。気付きが多すぎて、また新たに知ることも多々あり、一気に脳みそが動き出した感じがします。素敵な本を世の中にはなっていただいて、心から著者の方に感謝申し上げます。

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