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過去を振り返る

どんな世界でも、立派な人間と思われたい人は多い。ではなぜ、人は立派な人間と思われたいのだろうか。

人が誰かを立派だと思う理由は様々だ。例えば、大谷翔平氏やイチロー氏、落合 博満氏は立派な方々である(例を挙げたら、なぜか全員野球選手だった)。しかし、何を立派だと言うかは個々に違うだろう。価値観が人それぞれにある以上、何を評価するかはもちろん違う

話は変わって、社会や組織において”期待に答えたい”と思う事は通常よくある。その行為に喜びや幸福感を感じる人も多いだろう。しかし、価値観は人それぞれにあるので、期待している事も私と誰かではやや違う。にもかかわらず、相手と自分の間にあるギャップを埋めようとする。そして、お互いに不満と疲労感が出る。結果は自分の望まないものとなり、価値観がブレるという副産物を残す。

相手との間には、曖昧な当たり前が存在する。それを議論・正当化することは、時間の無駄かもしれない(価値観が違うため)。立派な人間の定義も、他の誰かが決めたことだとしたら、自分の責任が及ばない世界の代物なのだ。もっと気持ちを向けて集中すべきシンプルな事柄が、自分の中にあるように思う。

先ほど列挙したBigなお三方は、自分流(俺流)を貫いた方々だ。きっと”立派な人間ですね”と言ってもらうために、野球選手になったのではないはずだ(多分そう思うという個人の予測です)。

”存在した時点で人生は99%成功”

”世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する 歴史思考” ダイヤモンド社 深井龍之介氏著

今回のテーマは、最近拝読した本の影響が大きいので、引用した。キリストやブッダ、ガンジー、サリヴァン先生といった歴史上の人物の歩みを通して、新たな視点で自分を客観的に見るきっかけになった。登場する偉人のお話も非常に興味深いので、是非読んで頂きたい。

最後に、

もちろん、立派な人間になる努力は必要だ。周りの誰かの話に耳を傾けることも大切である。

子曰く、「君子は憂へず懼れず」

”立派な人とは?”という弟子の問いに、孔子はこう答えたそうだ。”何も憂えることがなく、懼(おそ)れることもない人”。自己を確立した人間は、何が起きても動じない、そうだ。

偉人だって、そこに至るまでは悩み苦しんだ。まずは自分を知る。その次に他の誰かの事を考えたら良いのかもしれない。

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