私にとって「今、生きてる」ってことの記録
感情と思考、そして行動を結びつけ過ぎずに過ごしていた最近。
気分の落ち込みは多少続いていたものの、気分の乱高下はなく、目の前で起こる現実を流せている自分がいたよ。
そうか、そういうことも意識次第でいくらか変えることはできるんだ。
変えなきゃいけないと自分に負荷をかけ過ぎず、でもジブンゴトからちょっと横に置いておくこともできる。
そんな意識でいられたら、私は随分と楽になる。
そんな楽になるワードがいくつかあったから、記録しておこうと思う。
女性は波がある生き物
今をときめくこんまりさんが、とある対談でお話ししていたことが印象的で。
女性は波がある生き物だと、そのような感じで話していたのね。
そしてご主人も、
「うちの会社の社員はほとんどが女性で、その波ありきで考える必要がある。この意見は本心からなのか、バイオリズムに影響されて出てきた言葉なのか。それを加味しながら接する必要があるんですよ。」
そんなふうにおっしゃっていて、ああ、女性って生き物は本来そんな生き物なのか、と妙に納得したの。
私はその波がダメなものと思い込んでいたし、波のある自分が許せなかったし、夫を見ていると自分でコントロールできるものなんじゃないかと誤解しちゃってた。
でも人によって差はあれど、女性にはその波があるのが当たり前なのよね。
だったらその波をなんとかしようと思わずに、自覚してその波に自然と体を任せながら、ここぞというときにはなんとかできる、そんな生き方したいかも、と思っちゃった。
親との関係を客観視
タイムラインで流れてきた記事をふと読んで、ハッとした。
その記事はコチラ。
毒親は、言葉が示すように、子どもにとって毒となるとんでもない存在としての親が出てくることが多い。
とんでもない親に完全に支配されてきた子どもたちの回復というトーンが強い。
一方 アダルトチルドレンは、親は愛情を注いでいるつもりで過剰な期待が子どもにかかってしまい、子どもはそれを敏感にとらえてしまい親のため・家族のために上手にふるまい続けることを覚えてしまったというトーンが強い。
毒親は「そうか この状況は普通じゃないんだ」と言うことに気が付くことが回復の一歩であり、アダルトチルドレンは「そこまで しなくてもいいんだ」ということに気が付くことが回復の一歩である。
ここの文章を読んで、やっと自分の中での母との関係が整理できたと思った。
私は「アダルトチルドレン」だ。
親の強い想いに反応し過ぎたんだ。
そんな私が今できることというのは「そこまでしなくていい」なんだな。
やっとスッキリしたなぁと思う。
そして、子どもたちに対する想いや気持ちも、きっと「そこまでしなくていい」なんだ。
やっとフッと肩の荷が降りて、「できることをやるので十分」と自分に言えたよ。
母に対しても子どもに対しても。
そのさじ加減って難しいんだけど、もっとやらなきゃ!と思い込んでいて盲目になっているよりはいいんじゃないかなぁ。
まとめ
今はただ自分を感じ、言葉にして理解し、そうだったんだと認め、生きていくだけ。
時々、自分に過負荷だったり、必要のないことは手放して、軽くする。
大事だと思ったら深く刻む。
そんなことをしているうちに、いろいろと見えてくるかな。
やってみなきゃわからないこともまだまだいっぱいあると思ってる。
その度にまた凹んだり、泣いたり、奮起したり、感動したりするんだと思う。
でもそれが私にとっての生きてるってことなんだ。
だからいちいち自分をジャッジせず、毎日を踏みしめよう。
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