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人生が好転するスイッチ

ああ、そうかも。

自分にないから、誰かから力を借りたいとか、知識を得たいと思うんだ。

私は自分で自分のことを大切にできなかったから、自分を大切に扱ってくれる人が欲しかったし、自分のことを応援できなかったから誰かに応援してもらいたかった。

それが自分を大切にできるようになったら、夫との関係が一気に良くなって、自分を大切にする感覚は2倍に増えた。

自分を自分で応援できるようになったら、夫や子どもたちへも自然と応援できるようになってきた。

いいサイクルというのは、こういう感じなんだろうな。

その根本にあるのは、自分を大切にできる感覚なのかもしれない、そう思ったから言葉にしてみる。


自分を大切にする視点へ

自分を大切にする視点なんて一切なかったの、私。

なくても今まではやってこられたしね。

やたら生きづらいなーとは思ったけどね。


でね、自分を大切にするのが大事、自分で自分を応援することが必要、私をそんな結論に導いてくれたのは「学校に行かない」選択をした長男。

この夏休み、彼はまたひと回り大きくなった気がする。

人としてそんな彼を心から尊敬しているし、私も頑張ろうって思う。


実は先月、夫とね、流行りの「金魚妻」をNetflixで観たくて、初めてこういう配信サービスに加入したのね。

やっぱり原作のマンガより実写の方がエグいね、なんて話しながら観たのは3話ぐらいで、今では三男がアニメを観まくっているのだけど。

でね、三男が観ていたアニメのひとつにキティちゃんがあるんだけど、やたら教育的な要素が強くて違和感を覚えていて。

あるときふとタイトルを見て納得、「しつけアニメ」なんだって。

もうね、スゴいのよ、エンディング?のテーマ曲の歌詞が「がまんだ、がまんだ、がまんがだいじ、だいじ!」だからね。

がまんしか言わないの。

夫や長男と笑っちゃったよね。

スゴいよね、これ。

でも多分、小さい頃に観ていたらそういうものなんだなーって素直に受け取ってたと思うな、私。

深く考えなければ、まぁ昭和の時代を過ごした私からしたら、そんな感じだったよねって思うんだけど、発達特性のある子どもの子育てに奮闘している母の立場からすると、オイ!よ。


小さな頃からの当たり前の捉え方を変えるって、心揺さぶられる何かキッカケがない限り、なかなか難しいなぁって思う。

なんとなく嫌だな、上手くいかないな、から、なかなか脱せないよね。

だから、そういうキッカケがもらえたらありがたいこと。

私はこじれまくってたから10年くらいかかってるけど、noteで強制的に「自分をつい責めてしまう」ことを「自分を応援する言葉に変える」ことをしてきたら、最近ではなんとなく自分を大切にする感覚を持てるようになってきたよ。

小さなことの積み重ねが、少しずつ自分を変えていく。

キッカケは誰かにもらうのかもしれないけど、変えるのは自分の行動の小さな積み重ねだと思う。


難しいけど、私はnoteで変われた。

noteを始めてもうすぐで2年になるけれど、この2年で自分にやってきたことはちゃんと身についてるって実感してる。

現実は上手くいかないことの繰り返しだったり、モヤモヤばっかりだったりしたのだけど、その中で確実に自分の捉え方や視点が変わってきたのがわかるよ。


自分軸=自分を大切にすること、とは限らない

私は他人軸でつい考えがちで、だから自分軸をしっかりと持つことが「自分を大切にすること」のように考えてしまっていたところがあるかもしれない。

でもね、最近ではその感覚からちょっと抜け出してる。

長く他人軸で考えてきた人には「自分軸で生きる」ことがめちゃくちゃ大切なことのように感じるし、それが幸せの第一歩のような感覚に捉えやすいかもしれない。

でもね、今まで他人軸で生きてきたことにも意味があると思うのね。

大事な感覚。

だから他人軸の自分を否定してほしくない。


今、私が考えているのは、「今は他人軸でいたい自分」や「今は自分軸で考えたい自分」を感じてその自分を大切にすることが自分の気持ちを応援することなんじゃないかなって。

自分が思う「こうしたい」を応援するってことね。

人のために動きたい!って気持ちがあったら、それを応援する。

今は自分のために時間を使いたいと思ったときは、自分のために使ってあげる。


私ね、昨日は「話したい自分、動きたい自分」と向き合ってみたの。

そういう気持ちがふくらんできたから。

人にとってはどうでもいいことかもしれないし、話すのも動くのも苦手な人はそんな人がいるんだ?と思ったかもしれない。

でもね、私は嬉しかったなぁ。

自分のこと、うんうん、そうだよねーって理解してあげられるって安心するの。

いろんな自分をね、知らないうちに否定してきたんだなぁって実感したよね。

一般的に良しとされる人物像を勝手に思い描いていて、そこから外れる自分の性質を見つけるたびに、ダメ!って抑えてた。

苦しいんだよねー、自分で自分を認められないと。


自分を大切にできたときの変化

なんで自分を知らないうちに否定するようになっちゃったのかなって考えてきたのね。

多分、最初は人から何かを言われたことがキッカケだと思うの。

それで傷ついて、もう傷つきたくないから、人から何かを言われる前に自分でどうにかしようって思うようになったんじゃないかな。

で、いつのまにか自分で自分を縛るようになっちゃって、こんなんじゃダメだよ!って監視するようになってた。


この過程はよくあることじゃないかと思うんだけど、人はどこかで気づいて解放してあげてたりするのかもしれない。

でも自分を理解するのが苦手な人とか、こじれすぎちゃっててなかなか向き合えない人とか、走っていて気づかない人とかいると思う。

あとは自分は監視してないとちゃんとやらないからって、常に叱咤激励して動いてる人もいるよね。

それは自分が必要だと思ってやっていることだから、無理に変える必要はないのよ。

私もずっとそうだったし。

それもひとつの生きる戦略というか、ね。


上手くいかなくなる瞬間があるとしたら、人との関係を深く築こうとするタイミングじゃないかな。

自分を監視する思考回路が、相手をも監視する視点を生む。

私はそれに苦しんだのよね。

夫や子どもを監視して、私の考える「こうすべき」の方向へ動かそうとしてしまったからね。


その根源は「人に言われて傷ついた自分」だと思う。

子どもたちに対しては、ちゃんとやらないことで怒られたり傷ついたりすることから守ってあげたい気持ち。

夫に対しては、大切なあなたは私を傷つけないで守って、という気持ち。

もっと言うなら、私が自分で自分を大切にできないから、その分あなたが私を大切にして、という気持ちかもしれない。


自分で自分を大切にできるようになったら、子どもや夫への態度が変わったのは、根源の部分が変わったからよね。

自分で自分を大切にできたら、子どもたちには「私が守ってあげないと!」ではなくて、自分で自分を大切にする方法を伝えてあげられるようになったの。

夫には、自分で自分を大切にできるから、自分を大切にしてほしい気持ちが前面に出なくて済むようになって、自分にするように夫を大切にできるようになった感じ。


そう考えると、子どもには私の小さな子どもを守るのと同じように接していて、夫には自分で守れない自分を守ってほしいとどこかで求めていたんだなぁ。

自分を自分で大切にできないと、知らないうちにどこかに求めるようになるし、自分の代わりに守ってあげたい存在に過剰に関わるようになってしまうんだね。


人生の好転スイッチを入れよう

私は自分を大切にできなかったから、仕事での成果に執着してだと思うし、誰かから感謝されたかったと思う。

夫には誰よりも自分のことを大切にしてほしいという気持ちが止められなかったし、子どもたちには守ってあげなくちゃって想いが止められなかった。

そんな自分を理解して、もう大丈夫!って解放してあげよう。


私は自分で自分を大切にできるんだよ。

自分が「こうしたい」と思うことを、誰よりも応援して、誰よりも寄り添って、上手くいかなかったとしても、誰よりも励ましたり残念だったねって共感できる。

自分応援モードを新しくアップデートして、ザワザワ、モヤモヤしたときに、ちゃんと寄り添ってあげるんだ。


例えばね、私にはこれが足りないから努力して習得しなくちゃ!という動機で何かにチャレンジしたら、続かなかったりしんどくなったりすると思うのね。

自分にはないっていう否定から入ってるし、「習得」という結果が必要だから。

でもね、「これがやってみたいな」って思う気持ちを自分で応援して始められたら、無理なく続けられるし、必要なときはやめられるし、そのプロセスを楽しめるんじゃないかなって思うの。

そういうマインドの違いは大きいよね。


同じチャレンジでも全然違う。

私はずっと前者だったから、意識して後者に入れ替えるよ。

スイッチオン!

自分の気持ちに気づいて応援してあげよう。







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