見出し画像

自分をあたたかく包み込む、もう1人の自分をつくる

私、今まで必死で生きてきて、自分を守るとか、自分にあたたかい言葉をかけてあげるとか、そんな視点を持たずに、ガムシャラに歳を重ねてきた。

なんか傷つきやすいし、落ち込みと頑張り過ぎを行ったり来たりだし、何でも真に受けやすいし、その場に馴染めるけど見えない裏の部分が把握できずにやらかすことが多いし、頑張ることが裏目に出やすいし。

そんな自分を理解できずに、ただ生きづらいと思って生きてきて、最近やっとその正体に薄々気づけるようになってきたの。

でね、見えない世界が見えるようになってきたら、不安も一気に増えて、自分が信じて生きてきた感覚が幻かのように感じるようになっちゃったのね。

実は今まで生きてきた世界って、結構キラキラしてた。

キラキラしてる部分しか見えてなかったのかもしれないね。

そういう世界を信じたかったのかもしれないしね。

ある意味それって幸せだったけど、人との温度差があって、分かり合える人は少なかった。

そんな自分を俯瞰する記事。


知らない世界

若いうちは自分のやり方でガムシャラに生きていくって、まぁフツーよね。

そもそも知らないし、やるしかないし、自分のやりやすいとか選んだやり方でとりあえず進むしかない。

だけどやっていくうちに、まぁ自分のやり方では上手くいかないことにもぶち当たるよね。

そんなとき、違う方法を試すのか、立ち止まってそのときが来るのを待つのか、試行錯誤してみるのか、学びに走るのか、真正面から向かっていくのか、戦略はいろいろあると思う。


私は考えナシで。

戦略とか考えるよりも先に自分を責めちゃって、私がダメだからなんだって思い込んじゃったよね。

で、ひたすら足りない部分を学びに走るというか。


でも、壁にぶち当たるなんてフツーだし、できないのだって当たり前よ。

できないからできるようになっていく過程が楽しいし、知らないから知る喜びがあるって下町ロケットの植松努さんが言ってたよね。

100%の自分じゃなくていいんだって。


noteや家族に自分の気持ちを言葉にしたり、話を聞いたりしていって、私は少しずつ自分を包み込んで大切にする感覚がわかってきたの。

みんなちゃんと自分を守ってるんだよね。


ここ1年くらいはその視点を持って、仕事や子育てをする日々を続けてきた。

そんな日々は、実は毎日、不安でいっぱいだった。

だって、私の知らない世界なんだもの。

もしかしたら私、今までは無意識にその世界を見ないようにしてたのかな。

わからなくて不安だから、見たいものだけを見てきたのかもしれないね。


それでいいよね。

今できないこと、わからないことは見なくてもいいし、今は取り組まなくてもいい。

いろんな成長が伴って、今、そこが大切だって思えて、取り組めそうな状態になったから、私はこうして試行錯誤してるのかもしれないよね。

人にはタイミングがある。

自分のタイミングを大切にしていいよね。


で、今、私はきっとそういうことに取り組みたいタイミング。

画像1


トンチンカンだった私を肯定しよう

私、どれだけトンチンカンだったんだろう。

多分、迷惑や嫌なことを押し付けるとか、面倒なことを呼び寄せるとか、そういうタイプではなかったから、怒らず教え過ぎず、みんな放っておいてくれたのかもしれない。

歳を重ねるごとに、知らない私はどんどん生きづらくなっていって。

でも見えない敵相手には、どうすることもできなくて。

何でもこなすフリをして、実は心の中ではいつも焦りと不安でいっぱいだった。


世間知らずな私、コントロール効かない私、真面目しか取り柄がない私、そういう自分を責めて直そうとすることで、なんとか生きてきた気がする。

でもそれは今の時代とは逆行しているのよね。

だから発達特性の強い我が子の子育てでは苦労したの。

療育で言われることと、私が自分自身に課していることは方向がまるで違ったからね。


ホント、そういうの難しい。

感じることも考えることも大まかな感じで把握することも、自分を理解することも、言われている内容を本当の意味で理解することも。


頑張らなくちゃを手放して、何にもしなくていいことにして、全体を眺めるようにして。

そうやってて気づいちゃったよね、自分の今までの行動のヤバさに。

周りの人との温度差が、どこでどういうふうに生まれていたのかも理解できちゃったしね。

ああ、私ってヤバかったよなぁってなって、過去の自分が恥ずかしくなる。

若いってそんなもんじゃないの?みんな大なり小なりやってるよ。

そう思うけど、そういう自分を許すって難しい。

結構ヤンチャしてたし、人を傷つけることもたくさんあったし、世間知らず過ぎてやらかしたことも、勘違いエピソードも。

そんなもんだよって言われても、私の心にはグッサリで、当時の及ばなかった自分に情けなさを感じてしまう。


ああ、そう、私、過去の自分を思いっきり否定してる。

頑張ってたのに。

あんなに必死で、一生懸命で、人のために動こうとしてたのに。

不器用だった私。

ソツなくこなせるタイプじゃないから。


でもいいじゃない、ソツなくこなさないから色んなことが見えてきたり、もっと大切にしたいことを考えようと思ったのだから。

今の私につながる過去の自分。

どんなだっていいじゃない、今の私がいるのは過去の自分がいたからなんだものね。

不器用で、バランス悪くて、何にでも体当たりしては玉砕して。

でもその中で感じ、考えてきたから今がある。

そんな自分は悪くないよね?

画像2


自分の心は自分で守る

私、自分で自分のこと守れなかったから、誰かに守ってほしくて、必要以上の自己開示をしてたんじゃないかと思う。

自分だけの日記帳じゃなくて、noteにこうして書いていることも、実はそういう深層心理があるのかもしれない。

自分でできないから、誰かに肯定して欲しい。

だけど傷つくのも怖いから、結局文章の中で自分を肯定する言葉を必ず入れるようにして。

そうしてわかったのは、自分で自分を肯定する、これが自分をコントロールするのに必要なことなんだってこと。

大人と子どもの大きな違いってそこじゃないかな。

誰かに守ってもらわなくても、自分で自分を守れること。


結局私はそこができなかったから、就職してすぐに自分を大切にしてくれそうな人と結婚した。

夫と結婚して良かったけど、自分の精神的な自立やコントロールまでは結構時間がかかっちゃった。

だけど、ここまでこられたのは、夫や息子たちのおかげ。

私がザワザワしていても、思い通りにならない現実にイライラしてても、自分らしさを貫ける夫や子どもたちがいてくれたから。


これからは自分のことも子どもたちへのまなざしと同じように、あたたかい目で見守ってあげようって思う。

ああ、またやらかしたのね、いい歳して。

でもそこが私らしさでもあるのよね。

素直に認めて、そんな私でも落ち込まないでいられる環境づくりや人とのコミュニケーションを大切にしよう。

画像4


2022年は自分の時間を大切にしたい

思えば、自分の時間を大切にできたことってあった?

時間があれば勉強や反省に費やし、反動で現実逃避に走るということの繰り返しで、ゆったりした時間をつくって、自分をあたたかい目で見つめる時間、応援する時間、生きていきやすいように考える時間、あった?

なかったんだよね。

つくろうともしなかった。

そんな視点、なかったんだもの。

時間もなかったしね。


この秋、私は仕事を少しずつペースダウンして、自分の時間をつくるようにしたのね。

でもね、自分の時間は増えたはずなのに、増えなかったの。

何でかっていうと、今まで忙しすぎて、アレもコレもやりたいのに時間がないって思って頭の隅にあったことを、ひとつずつやり始めているから。

掃除とか、献立を考える時間とか、子どもと向き合う時間とか、お金の管理とか。

時間ってあるようでない。


仕事していたら、その時間ってとっても意味のある時間だったのよね。

だって働く時間でコストが生まれる。

診療報酬で決められた単位をこなせば、報酬が生まれるってこと、ハッキリしてるから。


ところが、家のことって何にも決まってない。

やってもやらなくてもいいし、やった方が居心地いいよね、暮らしやすいよねっていうだけで。

だからついつい後回しにしちゃってた。

だけど、心地よいとか暮らしやすいってめちゃくちゃ大切なことなんじゃないの?

お金を生み出すよりも価値があるって思っていいんじゃないかな。

やっとそう思えるようになってきた。

お金は大事だけれど、お金が全てじゃない。


来年は何よりも自分の心地よさ、暮らしやすさを大切にしよう。

のんびりする時間も、何かにのめり込む時間も、家族で笑う時間も。

いっぱい詰め込まないで、1ヶ月単位でひとつでもできたら良かったくらいの気持ちでいよう。

そのためにも、手帳で大枠を計画して、低いハードルで自分にオッケーを出そう。


今月、やりたいこと。

2022年を迎える下ごしらえ。

画像3




サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶