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「うまくやれる」は幻想、そのままでいい

自分の無意識の感覚を書き換え中。

しんどい、つらい、居場所がない、を楽にするための記事。


「上手くやれていた」感覚と「今の自分はダメ」を言葉にする

ああ、居心地悪い、上手くいかない。

その感覚ってなんだろう?と自分に問いかけてみる。


① 周りの職員と仲良くしていくイメージが湧かない

→働き方、ジェネレーションギャップ、感覚の違い、いろんな要素がある。


上手くいってたイメージは、同じ年代で同じ頃に入職して、同じようにやってきた仲間がいたとき。

ランチのときのおしゃべりは楽しかったし、話題も尽きなかった。

今は同じ年代もいないし、入職時期も違うし、私のように転職を重ねてきた人も、パートで働いている人もいない。

わかり合いたい気持ちが空回りするのは当たり前なの。

それをどう捉えるか。

→→最低限、業務で必要なコミュニケーションが取れていて、時々雑談ができるのであれば良しとする。

もしくは自分なりにやりたいカタチを目指してみる?

あとは環境を変えるか、かな。


でも今のままがダメなわけじゃないと思う。

ダメにしなくていい。

無理に仲良くなろうと思って空回りすることもあるし、一度既成事実ができてしまうと修復って大変だもの。

トラブルを起こさなければオッケーってハードルを下げよう。


② 役に立てている気がしない

→基本的にパートに責任のある仕事は回ってこない。

だけど元々役に立ちたい人間なのよね、私。

アレコレやりたくなる性分。

だけど、それを子育てに向け過ぎて、子どもとの関係が悪化しそうになったから抑えたの。

仕事に対しても同じように、ちゃんとやりたいと思うと気持ちが強く出てしまう。

冷静に考えて、今の状況でそれは抑えた方がいいというのは理解できていて。

それなのに、モヤモヤする。

もっと役に立てないといけないように思えてしまう。

→→与えられた仕事をキチンとこなす、それでオッケーと自分に言う。周りの状況や全体を把握して「こうした方がいいんじゃないか」とつい考えがちだけど、この職場の考え方があるわけだから。非効率のように感じても、首を突っ込まない。


ここまで言語化して、ハッとする。

先日の記事のこの言葉。

アダルトチルドレンは「そこまで しなくてもいいんだ」ということに気が付くことが回復の一歩である。

「そこまでしなくていい」

もう一度自分に言い聞かせてみる。

多分そう、そこまでしなくていい。

私は大抵、やり過ぎて失敗することの方が多いのだから。


自分が決めたことに忠実に動く

今の職場で今の働き方で、自分を保ち仕事を続けるためには、上に書いたように今までの思考回路を「そこまでしなくていい」に上書きする必要があると思った。

それで、実際に自分で決めたことに忠実に動いてみた。

そしたらね、物足りないなぁって思った、率直な感想。

それでも1対1で人と向き合ってる時間は幸せだった。

この時間があるってこと自体が、私は幸せなんだ。

幸せな時間をもらって、お給料もいただくのだから。


それでも解消されないモヤモヤがたくさんある。

もっともっとできるのに。

もっともっとこうしたいのに。


学生のときは勉強やスポーツなどぶつけるものがあったし、自由になる時間も、自分のことさえしておけばよかった環境もあった。

でも今は違うものね。

今の環境でやれることをやりながら、生活費を稼ぎ、さらに思いをぶつけるところを持ち…って、私のバランスが取れる範囲って狭いなぁ。


2つの気づき

ふぅ、こうして言葉にすると、頭の中では腑に落とせなかったいろんなことが、自覚することで落ち着く気がする。

今まではここまで自分と向き合ってこなかったんだもの、モヤモヤするのは仕方ないよね。

だけど、ただ頭の中でグルグル考えていても答えは出なくて。

こうかな、と思ったら行動して感じてみる、その繰り返ししかないのかなって思う。


それで、ひとつひとつ行動してみてるんだよね。

落ち込むことも多いんだけど、そこでの気づきを大切にしたい。


最近の気づきは2つある。

1つめは、夜の洗い物がどうしても気乗りしなくて。

元々は夫の役割としてお願いしてるんだけど、遅くに帰ってきた日は大変だろうし、やってあげたいなぁって思うじゃない?

でも疲れ果てて、子どもと寝落ちしてたり、やる気になれなかったり。

そんなときでもやれる方法が見つかったの。

それはね、人とおしゃべりしてると洗い物が楽しいし、無意識のうちにできちゃうってこと。

仕事から帰ってきた夫は私とおしゃべりするのがすごく好きで、洗い物はしなくて良くなるし、私とは話せてニコニコしてるし、その状況に私も嬉しくなるし、一石三鳥!


料理もね、話し相手がいるとはかどる。

今は長男が横にいてくれることが増えた。

料理を覚えることが楽しいみたいで。

私も一緒に子どもと料理することが夢のひとつだったんだぁ。

嬉しい!


Voicy聴きながらとかもいい感じ。

あんまり気乗りしないこととか、ルーティンな家事は、何かをしながらこなすというのが私にはピッタリだってわかった。

脳の多動が著しいから、インプットで気をそらせるのかも。


もうひとつは夫が職場の後輩の女の子を泣かしちゃったって発言から、考え直したこと。

実は職場の上司もついこの前同じようなことを言っていて。

夫はとても物腰柔らかな言い方をする人だし、その上司もそんな感じ。

責任のある立場上言わざるを得ないから、あとは言われた人がどう捉え、どう行動するかで、仕方がないと思ったんだけど、良心がね、痛むんだよね。

私は泣いてしまうことがあった側で、こっちとしても気持ちが昂って抑えられなくて、情けないって感じだったから、相手にはこういう想いをさせてたんだなって実感した。

思えば、私はよく泣いてた。

感情のコントロールができない自分をホントに情けないと思ってきた。

昨日だって、子どもの療育の個人面談で泣いてるし。


大体泣くのはわかってもらえたり優しい言葉をかけてもらったときと、どうしたらいいかわからなくてパニックのときにお叱りを受けたときかな。

お叱りの方はもうこの歳になると、誰もしてくれなくなるけどね。

最近はね、そういう自分をふと俯瞰して振り返ってるところがある。

なみだちゃん。

手放したいけど、ずっと変わらない私の一部なのよね。


そして、今まで私と関わってくれた人の顔を思い出しては、いろんな想いで関わってくださってたんだろうなってことを実感する。

私が今こうしているのは、いろんな人の支えがあったからだし、今もたくさんの人の支えがあるから生きていられてるし、これからもきっとそう。

だから、大丈夫だよね。

あんまり考え過ぎなくても、私は私で、それ以上でもそれ以下でもない。


今の職場に転職するときは「今までの経験から考えて私にできそうだから」という前提があったから、上手くできない自分がダメだと思ってるかもね。

子育ても、何の根拠もなしに一生懸命頑張ればできるに違いないと思ってたから、行き詰まってるのかもね。

だけど世の中のいろんなことは学校の勉強のように、努力すれば結果につながるようなことばかりじゃなくて。

自己選択と試行錯誤の繰り返しで、見えてくるもの、わかってくるものなんだよね。

できることが前提のものなんて多くないし、できないからダメなわけでもない。

一度原点に立ち戻って、ひとつひとつを学び直したり、考え直していったりしよう。


そんな私に長男がズバリ。

「何でもやってみたらいいんだよ。じゃないとわからないよ。今からやるのに遅いってことはないよ。」

なんか、遺伝子が近いからかな…世界観が近くて、何でも話せる親友みたいだ。







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