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できないと思う気持ちを抱きしめる

昨日書いた記事で私、

「できないことはできないって言おう」

って最後にフッと思って言葉にしたの。

これがものすごーーく大きかった…そんな気づきの記事。


心の叫びを言語化したときに気づくこと

昨日書いた記事はコレ。

今まで私、できるだけネガティブな記事は避けてきて、書いたとしても結論はちゃんといいカタチで終われるようなものにしてた。

だけどね、昨日はちょっとネガティブな感情を乗せてみようかなって一歩踏み出してみたの。

だから、ずっと読んでくださってる人にとってはどうしちゃったの?って思ったかもしれない。

昨日はね、当たり前が当たり前にならない毎日を過ごしている私の叫びだったの。

子育てしてたら、あるあるよね。


我が家のフツーは元々かなりズレたところにあるけれど、どんな立ち位置であってもその位置での大変さとかうまくいかなさってあるものね。

だから別に我が家が特別大変だとは思ってない。

だけど、大変さを言葉にしたら何か気づきがあるんじゃないかって思ったんだよね。

多分、大変なのは出来事じゃなくて、私の心の中の葛藤なんだと思ったから。

この感覚、わかるかな。

目の前の出来事にとらわれるんじゃなくて、その出来事にとらわれてしまう自分の心に問いかけると開ける気がするんだよね。

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昨日の記事のポイント

昨日、記事を書いた時点では気づかなかったのだけど、コメントをもらってハッとしたの。

私ね、記事を書いたときよりも、その記事を読んで素直に反応してくださったコメントで気づくことってたくさんあって。

だから、どんなコメントでも本当に嬉しい♪

ありがとうございます。


昨日の気づきはね、やっぱり最後の一文に集約されてるって思ったんだ。

「できないことはできないって言おう」

すごく心が軽くなった。

できないって言ってもいいよねって。


だけどできないって言える?

私、言えない。


できないなら最大限努力しなきゃいけないって思い込んでるし、

「できない」じゃなくて、やってもダメなら相談するカタチがベストじゃないかとか、

まずはやってみないとわからないでしょとか、

できないって諦めてるってことで諦めないで頑張らないととか、

そんなこと考えてしまう。


学校の勉強とか仕事とか個人の問題だったら、そう考えるのは必要なことかもしれない。

そうやって教えられてきたし。

でもそれ、子育てに応用したらどうなる?

結構厳しいんだよ。


まず気軽に周りに頼れないでしょ?

諦めないで頑張るのはいいけど、方向性間違ってたら空回りもいいところよ?

自分の「できない」認められないと子どもの「できない」も受けとめられなかったりする。

何とかしなくちゃと思うのは親ばかりで、子どもは逃げたい状況になっていると、自主性は育たない。


「できない」ってさ、悪いことじゃないと思うの。

「できない」に丁寧に向き合うことで、自分なりのやり方とかうまくいかないことへの対処法や問題解決法が見えてくるじゃない?

それをただ根性論で頑張れっていうのは、気力を上げるっていうひとつの方法でしかない。

ホントはもっとたくさん方法ってある。

気力なんて心のベースや環境に左右されたりするんだからさ、全然確実な方法じゃないよ。

「できない」ってすっごく大切なことで、前向きにじっくり向き合ってイイことじゃないかな。

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できないことだらけの日々

実はね、私、今の生活はできないことだらけ。

もっと言うと「できない」と思うことだらけ。

さらに言うと夫からするとできてないようには見えないことだらけ。


つまりできてないようには見えないけど、私が勝手に「できない」と思っていて、私はできてない気がしているの。


親として子どもの勉強をフォローできてない

家事がうまく回ってない

仕事はまだまだ勉強が足りてない

お金と時間管理がとても苦手

プリントの管理がヤバい

子どもプラス自分の予定が管理しきれてない

もっと子どもたちに経験させたいことがあるのにできてない

自分の時間をうまく使えない

子どもたちとの対話の時間が少ない

料理のレパートリーが少ない

朝ご飯の野菜が少ない


いっぱい出てくるよ。

いろんなことに足りてないって思ってるよ。


だけど夫の目にはできてないと映ってないみたいでね、全然助けてもらえないの。

それなりには回ってるからね。

でもできないの。

苦しいんだよ、私。

いつも誰か助けてって思ってる。

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できないって何?

じゃあ、できてるって何だろう?

多分、生活リズムはつくれてる。

みんな規則正しいかな…20時過ぎには三男が寝て、22時にはみんなとりあえずベッドで消灯はしてる状態をつくれてる。

あと、とりあえずみんな健康よ。

それから家族関係は悪くないよ。

だってそこは最低でもクリアしておきたいところで、生活する上で大事にしたいところだったんだもん。


でもそれ以外はどれも中途半端。

Instagramとか見ちゃうとダメね、あんなふうにやりたいけどできないなぁーって。


夫に言わせると、

「Instagramとかで出てるオシャレなやつを目標にしちゃったら、それは何でもできてないになるんじゃない?

 アレができてる人は他のことを犠牲にしてるから成り立ってたりすると思うよ。

 そこまでは出ないからわからないだけで。

 そんなのを指標にするんじゃなくて、自分の身の丈を考えな。

 自分にとって何が大切か、優先順位はどうするのか。

 答えは何でも自分の中にあるんだよ。

 オレは今の生活で十分だと思ってる。

 みんな健康で、居心地のいい家があって、十分じゃないの。

 他に何がいるのさ?」


チーーーーン。


私には目に映るいろんなことが全て中途半端でうまくできてなくて、ダメだなーって思っちゃうんだよ。

感覚よ、感覚。

ハッ!そうか、感覚なんだ。

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感覚相手に作戦を立てる

感覚相手ってことはさ、要はそう思わせたらいいんだよね。

つまり、できてるなぁって自分に暗示かかるような設定や環境にしちゃえば問題ないのかもしれないね。


例えば、終わりを設定しちゃうの。

現状でまぁこんなもんでしょっていうレベルの。

目標値じゃなくて、身の丈レベルの設定ね。


例えば家族のシーツは週1回洗った方がいい、と思ってるの。

コレは目標値。

でも実際は仕事してると平日は無理だし、休日は天気や予定に左右されてしまう。


身の丈レベル、というか達成可能なのは月に1回、かな。

最低でも月に1回は洗う。

1回洗ったらクリア!

そうしたら、もっと洗えた月はめっちゃいい気分になりそう。

月に2回とかなら負担なくいけそうだもん。


毎週って思ってると月に2〜3回洗えても

「私、いつもできてないからダメ」

って思っちゃう。

それが、月に1回って思ってたら3回とかマジすごくない?って思えるよね(笑)

そう、なんかモチベーションが違う。


で、もし月に1回しか洗えなくても

「ま、1回洗えたんだから良くない?」

って思えそう。


だけどなぁ…現実的に考えたら1ヶ月分の汗が…と思うとワサワサしちゃう。

でも無理だもんーー。


で、ここで人の手を借りる案が出てくるよね。

月に1回は私ができそう。

月に1回くらいなら夫でもできそうかも?

お?

そっか、夫にも月に1回お願いしたら、月に最低2回はいけるんじゃん?と。

んでもって、ルーティン得意な夫のことだから、天気が良かったら洗濯、の流れが定着しちゃえば私の仕事じゃなくなるかも!?


こんなふうに「できない」に丁寧に向き合ったら、少しはしんどくなくやれるようになってくるんじゃないかなーなんて思った。


フツーに考えたらね、

仕事して、

3人の子育てして、

今は3人とも結構手のかかる時期で、

さらに偏食があって食事にも気を使う状況で、

療育センターやデイ、スクールカウンセリング、病院など定期的にかかってるものがあって…

ってなってたらさ、そんなに丁寧に家事なんかこなせなくて当たり前じゃない?


そんな中でもちゃんとやらなきゃって頑張ってるんだからさ、もっと「できない」を丁寧にみていって、身の丈レベルを設定してさ、自分をもっと楽にしてあげようよ。

自分が問題なくできるレベルをまずは設定して、現実的にそれだと困る、回らないって思ったときに次の手を考える…そんな流れね。


「できない」は心のサインだよ。

優しく丁寧に向き合ってあげたら生きづらくなくなるよね。

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