心まで手放さなくていいよ
今の私のブームは「手放す」なのね。
キャパが少ないのに、アレもコレもって欲張っちゃうとどれも達成できないどころか、混乱して生きづらくなる。
今までいろんなことを知りたくて、挑戦して、経験して、学んできた。
もう十分だから、必要ないものは手放そう。
そう思って躍起になっていた自分から一歩進んだ話。
仕事での意気込みの変化
今の職場では今までの私の経験が生かせると思いきや、かえって足を引っ張る部分もあることに気づいた。
私は今の職場に適応しようと必死だ。
だから、今の職場に必要ない考えや想いは手放さなきゃやっていけない、と思い込んでた。
そして、残るものはとってもちっぽけで、私は初心に返って、自分はわかってない人間だってことを前提に貪欲に学んでいかなければ、と思った。
そう決意すると、もう私の価値はないような気にもなった。
無力感と無価値感で心はいっぱい。
もう潮時なんじゃないか。
弱気な自分が顔を出す。
特性のある子ども3人を育てながらも、私は自分の仕事に誇りを持ち、長く続けたいと思って、細く長くを心に仕事に食らいついてきた。
フルタイムで働けないなら、子育てと両立しやすい環境のあるところで新しい分野に取り組み、自分の知見を広げたらいいんだ、と前向きに捉えて、果敢に挑戦してきた。
子育てとの両立に悩んで何回も転職し、その度に適応するための努力で生活がいっぱいいっぱいになりながら。
そうやって経験してきたことで、私はいろんな視点が持てたし、どんな人でも環境でも対応できるという自負があった。
そして、そこが私のウリだと思った。
深い専門性よりも、幅広く対応できることは今回の転職先ではとても役に立つに違いないと自信があった。
もう職場を変えなくていいように、選んだ今の職場。
のちに子どもに手がかからなくなったときには、フルタイムに変更して、定年まで続けたいという覚悟だった。
それなのに、だよ。
もう潮時なのかも、と弱気になってしまったんだよね。
どんな状況にも対応できる!という自信が、日に日に小さくなっていく。
夫との会話の中で
夫に全部ぶちまけた。
その中で、以前に実母から言われた
「もうフルタイムは無理なんじゃない?
特性のある子どものフォローなんて終わりはないでしょ。」
と軽く言われたことが頭をよぎり、それを話すと涙が止まらなくなった。
実母の言葉が深く刺さったのは、どこかで認めたくないと思いながらも、そうなってしまうんじゃないかという不安があったからだと思う。
そういう不安は、自信がなくなるとフイッと私の奥の方から出てきて、自分を追い込もうとする。
私はその不安に打ち勝ちたい気持ちと、もうダメなんじゃないかという折れそうな気持ちと戦ってた。
それでいっぱいいっぱいになってるんだ、と夫に話をしながら自分を俯瞰して見ていた。
夫「物は手放していいと思う。
でも物と同じように、心や気持ちまで手放しちゃダメだよ。
心や気持ちは大切にすべきだ。
みかんちゃんが今まで大切に考えてきたことは、簡単に手放しちゃいけないよ。」
夫の言葉でハッとする。
自分を大切にするってそういうことなんだね。
夫は私の道しるべ
夫に初めて会ったとき、私は22歳で、悩みの森で迷子になっていた。
夫に惹かれたのは、夫の佇まいだった。
しんと静かで深い森のような人だった。
どんな人かは全く見えないのに、安心感があった。
具体的に言うと、その安心感っていうのは、私が騒いでも泣いても怒っても、全然動じないし、強く反応し返してくることもなくて、その態度にスゥッと自分が落ち着くのを感じたんだよね。
その頃の私は、悩んでばかりな一方で自信満々でもあった頃で。
変だけど。
多分、百ゼロ思考があるから、自信がある部分とない部分が極端だったからかもしれない。
得意な部分、経験して考えてきたことに関しては、こうするのがいい、こう考えるのがベスト、という揺るぎない自信があったの。
その態度が夫には新鮮だったみたいで、私と夫は出会ってからあっという間に恋人になった。
夫の落ち着きをうらやましく感じて、私も夫と同じ歳になる頃、つまり歳の差の4年後にはそんなふうになれたらいい…そう思って、日々生きてきた。
もう出会ってから15年になるけど、夫のような落ち着きは願っても願っても手には入らず、やっぱり私は私で、夫は夫で。
でもよく言うように、お互いの絵の具の色が一部分だけ混ざり合ったような、そんな関係になったと思う。
日々の会話、日々の関わりが夫婦の関係性を表しているとは思うけれど、特にハッキリとその関係性がお互いに感じられるのはセックスじゃないか…最近、それをものすごく実感していて。
完全な私の感覚だけれど、お互いがお互いのことを認め合えて、許し合えて、お互いにお互いを深く感じられるセックスができるとき、ああ、今はとてもいい関係でいられているのだなぁと肌で感じる。
自分が思いっきり感じられないときや夫が体に触れる感覚を心地よく思えないときは、夫に対して不信感があったりする。
逆に夫が乗らないときは仕事なり家庭なり私自身にストレスを感じている、そんなふうに思う。
だからダメとか良くないとか、そういうジャッジは必要なくて、今はそういう感じなんだな、と事実を受けとめるだけ。
そして、自分にゆとりを持とうとか、夫婦の時間を大切にしようとか、目の前のことをひとつひとつ着実にこなそうとか、メンタルを整えるスイッチを入れるのね。
そんなふうにして、自分を整えるようになってから、週1だった夫とのセックスが週2〜3回まで増えた。
あんなにストレスで閉ざすように寝ていた夫が、私の目を見て、寝る前の会話を楽しんでから寝るようになった。
その会話の流れでセックスになだれ込むか、お互いに疲れて寝てしまうか。
どちらにしても心地よい眠りで、この時間をいつまでも大切にしたいと思ってる。
思えば、私は関係性を大切にしたい、程よい関係性を継続したい、という想いは強くても、その状態がどういう状態かを知らなかったと思う。
だけど今は、夫とのこの関係がまさに私の叶えたい関係なんだと自信を持って言える。
お互いに心地よい。
これが大切なんだと思う。
夫はいつも私の進みたい道を体現してくれる。
言葉にもしてくれる。
どっちを向いたらいいのか、歩いていったらいいのかわからない私を導いてくれる。
そう、私の道しるべ。
物を手放すために軸にしたいこと
実は断捨離しようと思ってる。
でもなかなか物が手放せないの。
それは大切にしたいものが定まっていないからだと思っていて。
軸がない。
だから物が捨てられない。
学生時代の教科書さえ、捨てられずにいるんだよね。
でも定まった、と思った。
こうして言葉にしたらハッキリしたよね。
私と家族が心地よく感じるものだけ残そう。
見たとき、触ったときに心地よいな、と思えるものだけ。
そういうものばかりに囲まれていたら、何をしなくても、自然と顔がゆるむんじゃないかしら、と思うの。
私は今年1年で、おうちの物と向き合いながら、悲しい過去を手放したり、心地よい毎日を積み重ねていきたいって思ってる。
その先には、掃除しやすいおうちと、掃除をすることで自然とエクササイズになること、それがダイエットにつながること、を目指してる。
私の食欲は心との連動が強すぎるから、心を整えたいと思ったのが最初だった。
心を整えるのに、自分を見つめ直すことは大切だったけど、そこから一歩踏み出すための行動としては、物の整理整頓がいちばん適切な気がしていて。
これから少しずつ、1年かけて整えるつもり。
心地よいを毎日の生活に、ね。
サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶