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noteを使って自分で成長させていける

先日投稿した「感情と思考を切り離す」という記事。

上書きしたデータが古くて、記事の後半が消えてしまい、一時的に下書きに戻したのね。

ショックで、でも神さまの「もうグズグズnoteに書きつづるのはそろそろやめたら?」という思し召し?なんて感じて、これをキッカケにnoteを離れようとまで決心した私。

それなのに、昨日、再投稿したのよね。

そこからの気づきを言語化。


結論ってひとつじゃない

これが再投稿した記事。

前半は同じで、後半の結論の部分を再記述したの。

最初に書いた記事は、思考と感情の関係性をそのまま分析するような記事だったのね。

でも改めて記事を書いたら、少し発展した。


感情に振り回されたり、飲み込まれないためには思考を切り離して感情を俯瞰できることなんだけど、そもそも受けとめが強すぎる部分の自覚が強まったのよ。

感情は一時的なものだから気分転換などで対応しつつ、少し離れて俯瞰する。

それと同時に、受けとめすぎることも自覚できるといいんだな、と。


なんとなく設定した結論も、書くごとにこんなふうに発展したり、視点が変わったりしていくんだなぁっておもしろかった。

消えたときは無力感に襲われて、もうnoteやめようって瞬間的に思ったけど、やっぱり私には必要かも。


2回目の記事を書いたことで

客観視する部分の発達が順調だったり、自然と発達した人には、こんなの当たり前なんだと思う。

でも、私は今の今まで気づけなかったし、体験を言語化していってやっとたどり着いた感覚なのよね。

しかも今回は2回も同じことを感じ、考えた結果。


昨日はその感覚を大切にして、仕事をしていたらとても楽だった。

ヤバって思っても深みにハマらない。

感情が震えたとき、どうしたのかなって一歩立ち止まれたりね。


何事も客観視する視点なのかなぁ。

それをあらゆる部分に波及させていくと、ダメージも小さくなる気がする。


自分の結論を裏付けるために

私は自分の体験から感じたこと、考えたことを言語化して、自分なりに考察してる。

それを誰かに共感されたり、誰かの心の整理に役に立ったら嬉しい。

でも自分の感覚を言語化しただけだと、ちょっと足りない気がする。


そう思って、「客観視 脳の部位」で検索してみたよ。

そしたら脳科学者の中野さんの記事がいくつかヒット!



自分を客観視することって、メタ認知って言うのね。

メタ認知って言葉は知ってたけど、どういうことかイメージできてなかった。

多分、私が客観視とか俯瞰するとか言ってるやつだよね。

自分の中に、自分を俯瞰するもうひとりの自分をつくる、みたいな感覚。


メタ認知は思春期から発達し始めて、25歳くらいでようやくできるようになるって書かれていて、なんかホッとした。

そこまで私、幼くないらしい(子どもと同レベルくらいかと思ってた)。

ADHDは前頭前野の働きが弱いって言われてるから、私は書き出すことで脳の弱さを補って、今、一生懸命発達させてるのかな。

自分に今、必要だって思って、一生懸命取り組んでるんだ。


ふふ。

そんな自分にエールといたわりを!


※脳科学者の中野信子さん、名前で検索するといろんな記事があって、すごく勉強になります。

たとえばこんな記事とか、ね。

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