言葉にしたらどんどん変化していく自分が楽しい
言葉の威力って絶大ですね。
自分の変化を後押ししてくれる言葉のパワーって、まさにこういうことだ!と感じた経験を言葉にしてみます。
仕事での私に付き物が落ちたような感覚
先日、こんな記事を書きました。
今までの私のスタンスでは、どうにも上手くいかないぞ!と思ったから、自分の変化を言葉で後押ししようと考えて書いた記事でした。
私は元々、転職など環境の変化への適応順序が多分、人とは逆なんです。
フツーは周りの様子を見ながら、少しずつ自分を小出しにしていくでしょう?(勝手に思い込んでるだけかしら)
私はね、まずは自分が思うようにやってみて、そこから微調整していく感じなんです。
自分がやったことが、その場所ではどう捉えられるか、どう解釈されるか、どう反応されるか、それを実感しながら、その場に徐々に適応していく感じです。
なので最初はやや浮きがちで。
だんだん馴染んでいきます。
↑フツーの会社だったら、許されないだろうね
今の職場は、あっという間に5ヶ月目に入りました。
週2〜3回で、しかも時間も短いし、ミーティングや勉強会にも出られないという状況なので、今でも全然馴染めません。
だけど、波風立たせないような在り方は掴めてきました。
最初は経験があるから、それなりに知識や技術を提供する必要があるのではないか、なんて勝手に考えていたんですよ。
それだけやってきたって自負もあったし。
だから私がここで役に立てるのはそういうことじゃないか、なんて。
でもね、違いましたね。
管理職でなければ、正職員でもないのだから、ただただ言われた通りに動いていたらいいだけでした。
聞かれたときにだけ、それを自分の言葉にすればいいんです。
そんな働き方、つまんない!って数年前の私なら言いそうです。
だけどね、不思議と先日の記事を書いてからは、そんな立場も面白そうって思えるようになったので、言葉ってすごいなぁと思っちゃいましたね。
具体的な変化
記事で取り上げたのは、仕事を思いっきりやりたい気持ち。
それを言葉にして受けとめ、もう十分やってきたよ、今はもっと大事なことがあってそれを大切にしていいんじゃないかなって、自分に話しかけるような感じで言葉にしました。
仕事を思いっきりやることで、満たされようとしていた自分から、もう卒業したいなって思ったので。
昨日は仕事でした。
めちゃくちゃ晴れ晴れしてました。
淡々と仕事をして、何かを言われてもそのまま受けとめて。
会話になったときは、いつもの私らしさをそのまま表現しました。
すごく自然体。
肩の力が抜けていて、焦りもなく、スッキリしていました。
いろいろモヤモヤがあったんですよ、今までは。
なんで?どうして?
もっとこういう方が!
ホントはこうしたいのに!
想いが強すぎて、その気持ちはあふれてしまって、それを自分では止めることができなくて苦しかったんです。
それが今日は終始穏やかな気持ちで過ごしました。
おんなじことをしているのに自分の気持ちの持ちようで、こんなにも感覚が違うなんて!
違った自分を楽しめる余裕
今日は、経験でいったら10年以上違う後輩と話をしたんですね。
今までは、私の経験で何か役に立てたらなんて気持ちがあったので、話の中に自分の話もねじ込んでました。
でも今日は、ああ、それはいらないんだとふと気付きました。
この子はちゃんと自分で考えて自分で行動してるんだなって。
私は聞くだけでいいし、疑問に思ったことは興味の範囲で聞くくらいでちょうどいいのだと。
役に立とうなんて思わなくてよかったんだなって。
そして、フッと肩の力が抜けました。
私はもっともっと治療家として、治療を突き詰める道もあると思うし、それでもいいと思うのだけど、私の経験はこの程度と認めて、若い子たちの頑張りや考え方を見守っていく立場にシフトしてもいいのかもって。
スタッフの中にいるときは、もう「私」はいらない。
その方が、パートという働き方にも合う。
そして、患者さんや利用者さんと向き合っているときだけ、治療者のみかんとして、やれることをキチンとやったらいいと思いました。
そう思ったらスーーッと気が楽になって、私がこの職場に来た意味がやっとわかった気がしました。
すると、すごく不思議なんですけど、周りのスタッフがどんなタイプで他のスタッフとどんな関係性なのか、今までは見えているようでぼんやりしていたのに、輪郭がハッキリしてきたんです。
そして、その中でどうバランスをとっていったら、私はここで心地よくいられるのかがなんとなーくわかってきました。
感覚で言うと、長らく戦闘モードだったのが、いきなり平和モードにシフトチェンジした感じ。
この戦闘モードって、受験戦争の中で戦ってきた人には自然と装備されちゃってますよね。
就活や保活でもそんなモードだった私。
やっとやっとそこから脱せたなぁって思いました。
脱したら、一気に自分が俯瞰できるようになりました。
ああ、私って経験でつくられた「社交的な自分」と元々の「内気で臆病で丁寧に生きたい自分」の2つの自分をその場に応じて使い分けて、なんとか生きてきたんだなぁって実感したんです。
で、そこに今、「傍観して、何にでもそれで良し!と言える自分」が追加されました。
この3つの自分がいたら、まぁそれなりにバランス取れるかもなぁーって思いました。
あとは必要に応じて、「リスク回避のための静かな戦闘モードの自分」も出てこられたら、めちゃくちゃいい感じ。
この状況や人はマズイぞ、やられるぞ、傷つくぞ、っていういざというときに出てきて、私を守ってくれる私です。
そして、イメージはドラクエ。
勇者な「社交的な自分」を先頭に、残り3人の私が着いていく感じかしら。
普段は「社交的な自分」が何でも対応してくれていて、その場に応じて残りの3人が活躍してくれるイメージ?
そうやって自分を客観視して、うまくコントロールしていけたら、私はもう少し生きやすいかもしれないなぁって、ひらめきました。
すると、今の仕事もね、つい最近まではやっぱり転職は間違いだったかなとか、そろそろこの職業自体が限界かなとか、暗ーい気持ちでいっぱいだったのに、どの私に頑張ってもらおうかな、なんてワクワクしてる自分に変わりました。
自分の人生なんだけど、いつでも主役じゃなくていい
私ね、今まで全然気づけなかったのだけど、自分の人生なんだから、いつでも主役でいなくちゃ、いつでも輝いていなくちゃって、なんとなく思ってたみたいです。
思えば、子どもを優先したい、夫を敬いたい、そう思って行動したあとは何か満たされない気持ちに包まれてました。
悪くないはずなのに満たされないって何だろう?って。
主役でいなくちゃって気負ってたんだって気づいたら、めちゃくちゃ笑えてきて、肩の荷がまた下りましたよね。
仕事でもきっとそういうことよね。
主役でいなくちゃって気持ちだったのよね。
私がやらないで誰がやる!?的な?
何でこんな前提が自分の中にできちゃったのかは知らないけれど、スイッチが入ったのはきっと中学生くらいかなぁ。
班長とか委員長とか議長とか、そんなの別に好きでもなかったはずだし、そういうキャラでもなかったはずなのに、そういうポジションにいるべき!的な何かスイッチが入っちゃったのよね、勝手に。
その役割を担っていかなきゃって、どこかで自分を縛りつけてたのかもしれない。
全然キャラじゃないよーー。
どうしたんだ、私?
前に立って引っ張っていくタイプじゃない、ホントは私、いろんな人の中でバランスよく立ち回ってるのが好きなのに。
いつの間にか、勝手にこうすべき!と思っていたことっていろいろあるんでしょうね。
なかなか気づけないものなんだけど、ふとした瞬間、あ!って気づく。
私はこうして言葉にしていくと、最後に見えてくることが多くて、言葉にするって大事だなぁって実感しています。
不思議ですよね。
ひとつゆるむといろんなところがゆるんでいく。
そして、ホントの私とどんどん出会える感覚があります。
出来もしない、勝手な自分の思い込みの役割とか理想は手放して、もっと私らしく生きていこう。
主役とか色濃い私とかいらないし!
人のあったかさとか、心地よさとか、そんなのに触れて楽しむのが好きなんです。
そこに社会的地位や成果、立場なんて関係ない。
その人らしさがあれば良くて、私も私らしさを楽しめばいいの。
昨日はそんな感覚がつかめた日でした。
すぐにきっと忘れてしまうから、言葉に残せてよかったです。
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