ココロのバランス
私は身体機能の専門家だから、重力とか重心とか、毎日のように向き合ってる。
動くっていうことが体にとってどんなことなのか、病気やケガをするとどうなるから上手くいかないとか、聞かれたらある程度はお答えできるし、カラダを直接見られたらそれなりの見解は出せる。
そんな私だからね、重心とか重力って言われたら、カラダのことなのよ。
それがココロにも通じること、と気づいたとき、世界が広がった。
そんなお話の第二弾。
第一弾は?
この話には第一弾がある。
その記事はコチラ↓
サークルに入ってくださったロク丸さんのひと言から始まったの。
人生における重心?
それを今の私なりに考えてみた記事ね。
この表現ってすごく自由なところだと思ってる。
今の自分はどう考えるか、どう感じるか。
まずは思うところを書き出してみる。
私にとって、人生の重心ってなんだろう?
考えてみたことがないことを頭をひねって考える。
とりあえず、今の状態で自分なりの答えを出してみる。
これの意味することは、自分のアンテナが広がるということ。
この記事で伝えたいのはそういう感覚。
言葉でピンとくる体験が増える
人生における重心かぁ。
重心とか重力って人生とかココロにも置き換えられるよなぁ。
私なりに考えてみたものの、なんとなくまだピンとこないのよねぇ。
そう思っていたらね、ホラ。
これ、まさにドンピシャな内容じゃないかな?
タイトルでピンとくる。
今回、重心とか重力とかを考えていたから惹かれたし、読んでみたいって思えたんだと思う。
そして、読むときの意識も違う。
私はこんなふうに考えてたけど、この方はどう表現するんだろう、何にフォーカスするんだろう。
自分を深めていくやり方のひとつかな。
noteのいいところは、気になるワードで検索すると、同じような内容をそれぞれの方の価値観や言葉で表現されてる。
自分と似ているような感覚を感じるときは、心強さや親近感をもらえる。
その視点なかったなぁ、というくらい違った内容だったら、自分の世界が広がるし、自分の中の多様化やキャパが広がっていく。
私はね、こんなこと考えてるの私くらいじゃないの?ってね、つい感じちゃうから、そうじゃないって事実がわかるだけでホッとする。
嬉しい。
なんだ、そういうこと考えてる人いたんだ。
そう思うよね、大事だよね、私もそうなの!という感じ。
ココロの重力を感じて
ココロの重力を感じ、理解することは、ココロのバランスを取るために必要なんだと思う。
カラダのバランスと同じように、バランスが取れているときというのは無意識でコントロールできているとき。
バランスを取ろうと思わなくても、能力が十分にあって、無意識のうちにうまくコントロールできるから転びそうにならずに歩ける。
カラダでもココロでも、バランスがうまく取れないぞ?気をつけないと転びそうだぞ?となって、初めてバランスを意識すると思うし、そのときに必要なのは重力を感じるということなんだと思う。
うん、そう。
そうそう。
だからね、私、仕事では重心を足の裏で感じてもらうことを良くやってる。
どこで立つと安定しそうか。
ここだなって感じたところで、いろんな動きを取り入れながらバランスの練習をしたりする。
もちろん、そういうことができるのは、意識の高い人。
自身のカラダを深めることにあまり意識が向かない人、興味のない人に対しては、感覚に意識を向けるような声かけはせずに、バランス練習を繰り返して成功体験を増やしていく。
おんなじだねぇ。
ココロのバランスが崩れてしまって、どうやったらバランスが取れるのかわからなくなってしまった人に対しては、自分の重力を感じ、どこでバランスが取れるのか試行錯誤する必要があるんだね。
紹介した記事では、ココロの重力は「信じられている」ことだとおっしゃっていて。
私はこの「信じられている」という感覚って、「大丈夫」とか「安心感」という言葉にも置き換えられるんじゃないかな、と思う。
それって私がnoteで大切にしたいと思ってることで、読後感に感じて欲しいこと。
でも自分で自分にそれを与えてあげられないときもあってね、そんなときは言語化して客観視して、最後はちゃんと安心感を与えられるような言葉を自分にかけて終わらせるって決めてる。
そうやって、バランスをとってきたの、ここ、noteで。
ロク丸さん、ホントその通り!
そう思うと、サークル活動の最初のテーマに選んだ「歩くこと」とその「重心」について考えることは、私の noteのテーマの再確認でもあったのかもしれないね。
自分で自分に安心感が持てること。
これはまだまだ私には難しいのだけど、サークルやnoteでの体感や言語化を通して、実感していきたいなぁ。
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