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【子育て】長男の子育ての味方は家族以外に4人いる、それがものすごく心強い

長男は小4で学校に行かない選択をした。

長男「学校に行っても学べない。オレは家で学ぶ方がいい。」

そのとき、長男からはとても強い意志を感じたのに、私は全てを信じてあげられなかったの。

私は週1時間でも学校に一緒に行って、長男が何に対してそれを感じているのか、なんで学べないと言うのか、どこかに突破口はないのか、長男を理解したかった。

学校復帰が目標ではなかったつもりだった。

長男の感じ方、考え方、思いを知りたかったのね。

でもどこかで期待してたのかもなぁ。


それは親子で1年頑張ってやっと卒業できた。

長男のような考え方もあるんだと思ったし、できることで頑張ればいいと思ったから。

そんなふうに私が行動すればするほど、少しずつ味方が増えたのね。

親の会とか同じように発達の問題を抱えた子どもを持つ親が集まるようなコミュニティは無理だった私が、これで十分かもと思えた3人の味方の話をするね。


ひとりめ:主治医

長男の担当になった主治医との出会いは10年前。

長男が2歳のときに療育センターにかかったことで、主治医になった。

この主治医の言うことは、周りにいた他の誰とも違ってて、最初は理解できないことも多かったんだよね。

周りの意見を聞いて、やっと決めた自分なりの方針が180度くつがえってしまうことも良くあった。

でも長男には分かっていて、長男が理解ある大人、と認定したひとりだったりする。

長男は今まで出会ったどの支援者にもなつかず、心を開かなかったのだけど、主治医はわかってくれている、と言ってる。

何度も主治医は学校に行かなくていい、と本人に伝えていた。

納得できなかったのは私で、随分と時間がかかってしまったと思う。

その分、長男との関係は強固になったと思うけど、長男の理解はまだまだ難しい。


まぁ、脳のタイプが全然違うんだもの、多くを理解するのは難しいのは当たり前。

だからこそ本人を信じて、本人の意志を尊重したらよかったんだけど、どこかでまだ何か期待もあったんじゃないかな。


そんな私が母だったから、この主治医がいることは長男にとって良かったんじゃないかと思う。

ひとりでも長男の理解者がいることが、長男には大きかったと思うもの。


先日、主治医がいるクリニックに籍を移した。

これでしばらくはお付き合いしていけると思うとホッとしたよ。


主治医の話や感覚は私にはないもので話がすぐに理解できるわけじゃないんだけど、周りの意見にブレブレな私が、ハッと気付いて原点に戻れる拠り所でもある。


自分とは全然違うタイプの子どもの子育てって難しい。

理解者とか子どもの味方がいてくれるって心強いよね。

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ふたりめ:薬局の薬剤師

長男が学校に行かなくなってから、不安で夜、眠れなくなって。

主治医に相談して、依存性の少ない睡眠のお薬を試すことになった。

ロゼレムとかベルソムラとか。

いちばん合っていたのは、メラトベル。

しばらくお付き合いしたかな。

結局、学校を完全に辞めたらお薬は必要なくなったのよね。

そりゃ、不安のもとがそこだったんだものね。


そのお薬をもらう薬局は次男のADHD治療薬を処方してもらってた、近くの薬局にして。

ADHDのお薬も、カプセルも液体も嫌がった次男に、錠剤をお願いしたから特別に取り寄せてもらわなくちゃいけなくて。

そのときからいろいろお世話になっていた薬局で。

次男は結局錠剤も苦くて飲むのをやめてしまったのだけど、飲めるようにアレコレ相談に乗ってくれた優しい薬剤師さんがいるの。


今回は長男のお薬なんです、学校に行かない選択をしたものの夜眠れないみたいでってお話ししたら、実は薬剤師さんの長男さんも不登校で悩んだ時期があったみたいで。

実体験も、薬剤師としてもお話も、毎回いろいろ話してくれて、私を励ましてくれる。

多分過去の自分にしてもらいたかったことをしてくれてるんじゃないかな。


今はその長男、仕事もしてるし結婚もして上手くやってるよって、当時はこんな未来を思い描けなかったけどって、ホントにいろいろと話してくれて。

当時はいろいろ良くないことも考えたよって、素直な気持ちを教えてくれたり。

それからこの薬はこういう薬だから心配しなくても依存性はないよって言ってくれたり。

それが私の心を救う。


今回は、長男の週1時間の学校を完全に辞めたら薬がいらなくなったって話をして、良かったねって言ってくれた。

行きたくないところは行かせずに、でも行きたいところはたくさん連れて行ったらいいよって言ってくれた。

引きこもるとつらいからって。


何も知らない人に引きこもると良くないよって言われたらカチンときちゃうと思うの、私。

好きでそうしてるわけじゃないのにって。

でもいろいろ経験した重みがある人から言われると、うん、ホントにそうだって素直に聞けるから不思議。

そういう素直に聞ける人がそばにいて、いろいろ話してくれるってありがたいこと。


最近ずっと飲んでたメラトベルは、新薬で2週間おきにもらいに行かなきゃならなかったから、ずっと通っていたのね。

そのときはホントに心強くて。

今は長く処方してもらえるようになったから、しばらく行けなくなるのかと思うと、そこが残念。

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さんにんめ:デイの責任者の先生

長男が小学校に入学してからずっと通っているデイが近所にある。

子育てを終えたくらいの女性スタッフが多くて、なんか包み込んでくれてる感じがするの。

そこのデイの責任者の先生は元はずっと学童にいた先生で、3人の子育てを終えた女性。

長男を私と同じような感覚で理解しようとしてくれてて。

なんかそれが嬉しいかな。

それが専門家の立場でっていうよりは、たくさんの子どもたちを見てきた中での経験で話してくれてることも多くて、一緒になるほどーって話ができる。

上から目線とか、押し付けとかそういう感じが全くなくて、純粋に子どもの成長を応援してくれたり考えてくれる感じ。

伴走っていうのかな。


ありがたいね。

否定せず、受けとめつつ、一緒に考えてくれるし、そこで先生なりの考えも示してくれる…その存在があるってことが心強い。

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よにんめ:スクールカウンセラーの先生

スクールカウンセリングは長男が不登校になってから通い始めたの。

長男が外で話をする機会を増やしたいと思って。

最初はそれだけだったんだ。

でも話していくうちに、担任の先生に関する相談とか、場面を見て直接心理士としての助言をしてくれたりとか、週1時間の過ごし方の配慮も一緒に考えてくださって、学校にいるカウンセラーさんの心強さを知ったの。

異動がなければ中学にもいてくれるカウンセラーさんだから、不登校のお子さんがいるならつながっておいて絶対に損はないと思うよね。


相性も悪くない。

長男の理解者としてもなかなか。

その方は役所にも曜日で来ていて。

学校でも役所でもすっかり頼ってしまっているのは私で、長男はいろいろと話ができる人って位置付けじゃないかな。

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複雑な気持ちで話せる人が限られてしまう

私ね、今は同じ不登校の子どもを持つお母さんとはうまく話せないのね。

うまく話せる人がそばにいないだけかもしれないけれど。


同じ不登校でも、子どもの性格や不登校になったキッカケ、今の状況って違うでしょ?

でもうちでうまくいった方法とかつい話したくなってしまったりするじゃない?

しないか。

私はしちゃうのよね。

相手の気持ちを考えたらそれって微妙なのはわかっているけど、そういう話ってそういう人としかできなかったりもするし、つい聞いて欲しくなってしまうのよ。

でも内容によっては聞きたくなかったりするじゃない?

私は自分がそういう話を聞くとうちの状況とは違うしね…ってなんだか複雑に思ってしまうところがあるのよ。

自分は話すのに、よ?

だから、自分がそうやって聞くと複雑な気持ちになるのにさ、つい会話の流れで自分もそういう話をしちゃうから、落ち込むのよね。

ダブルパンチ。

だから情けないけど親の会とか行けなくなっちゃった。


脳科学や心理学を知って、子どもの脳を発達させるっていうコミュニティにいたときもあるのね。

理屈ではわかるの。

私だって脳については仕事でめちゃくちゃ勉強したし、専門家としてのその考え方は大切だと思う。

だけど、それに向かうと愛がなくなる。

適切な刺激を入れて、子どもの反応を見て、その反応でまた考えて。

仕事みたい。

仕事でも患者さんへの愛はあふれているけれど、なんていうのかな。

子育ては長期戦ってことかな。

仕事では専門的な関わりをするのは限定的な期間だから、お互いに頑張ろうねって気持ちを元に頑張れるのよ。

でもね、子育てって頑張るものじゃないと思うの。

頑張ったら続かないでしょう?

私だけかな。


それとね、「発達を促す」は発達が遅かったりうまくいってないことが前提にあるから、促そうと努力するほど、きっと子どもには

「あなたは発達がうまくいってない」

を伝え続けるようになると思うのね。


でも私が子どもに伝えたいことって、

「発達特性はあっても、それも丸ごと含めてあなたって人が愛おしい」

なんだもん。

そのままでいい。

うまくいかないこともたくさんあるけど、あなたにはそのままでもこんなにステキなところがたくさんあるんだよってこと、言葉で伝えなくても態度と雰囲気、普段の親のあり方で十分伝わる。

その上で時々ちゃんと言葉でも伝える。

なんかそういうことをしたいのよ。

で、そういうことを同じように大切だよねって心から思っている人とつながりたいなぁーって思ったの。


こうやって発信してたら、私もそう思ってるって人に出会えるかなって、そんな気持ちがあるから、あえてネット上で発信してるのかもしれないね。

また、自分で距離も置けるし、程よい距離でいられるし、安心安全なカタチでの発信。

noteってありがたいね。

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私って自分のやり方に自信が持てない人?

こうやって心強い気持ちを表現してきてハッとしたよ。

私ってもしかして、こうかなって思ったことに自信が持てない人なんじゃない?

世の中一般的なこととか大多数が良いとしてることは堂々とできるし、迷いがないんだけど、人と違うことって自信ない。

コレが自分!って言い切れない。

だから、学校に行かない選択してる長男や人と違うことに突き進む次男のサポートの仕方に迷いが常にある。

長男なんか、そう思うとスゴイよね。

学校では学べないよって言い切れちゃうし。


16年続けてきた仕事でもまだまだだって思うし、自分なりのスタンスはあるけど、世界はもっと広いもんなぁって想いは常にある。

その視点は悪くないけど、今までの自分のことだって、それなりにやってきたんだから認めたっていいよね。

スゴイんだよ、えらいんだよって認め方じゃなくて、自分はこう考えてこう行動してきたよねって感じに。

つい、ジャッジしちゃうんだよね、いい悪い、すごい、よくできてる、失敗したとか。


今度noteで過去のことで失敗したーって勝手にジャッジしてることも、ありのままを見つめて言葉にするとかやってみようかな。


人に頼ることも、できないことをお願いすることも必要だと思うし、それはうまくできてるのかなって、記事書いてて思ったんだけど、もう少し自分で考えたことにも「うん」って言ってあげたくなったよ。

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