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母としての自信が持てない自分を励ます

昨日の明け方、三男が熱いのに気づいた。

38.5℃。

昨日は仕事だったから、まず休みの連絡をして、三男の受診をどうするかネットで検索。

かかりつけの小児科はコロナ診断をしてないから、発熱外来の方がいいよね。

一応家にあった抗原検査では陰性で。

検索したら、車で10分くらいのところに小児科で発熱外来をしてるところがあって、web予約をした。

朝6時からの予約で、7時には午前中枠はいっぱいで、5時20分の予約がかろうじてできた。

そこから三男の幼稚園にオンラインで欠席連絡。

次男も家族が熱を出したわけだから、今日は休みよね…というわけでアプリで欠席連絡。

長男のデイにも連絡。

今日は三男が療育だったんだけど、昨日の時点で無理だと思ったから、連絡。

他に連絡しなきゃいけないところってあったっけ。


熱で仕事に行けないのはかなり久しぶり。

こうなる度に、いつも苦しくなる。

仕事で迷惑をかけることにも、子どもに何もしてあげられない自分にも。

大好きな仕事だけど、自分の思うように仕事ができないことがすごくつらかったし、子どもたちにどう接してあげるのがいいのかの手探り具合にも自信が持てなかった。

いつも目の前のことをとにかく必死でやるのみ。

でも頑張った分を自分で認めてあげられないどころか、無力感にさいなまれてしまう。

何にもできない。

自分は無力だと感じる気持ちを止められない。

実際には、今自分にやれることをひとつひとつこなしてるのに。

できる範囲でちゃんと責任を持った行動ができているのに。

そんな自分を認められない。

うまくやれたことや結果が出たことだけしか、自分にオッケーできないなんて、なんて貧しい脳みそなんだろう。


自分ではどうにもならないものに身をゆだねることが、すごくおもしろい。どうなるかわからないところに、自由があるんです。


うひゃあ!

なんてすごいことを言ってのけるの?

私、どうにもならないことには、無力感ばっかり感じてた。

それに身を委ねていくことがおもしろい…かぁ。

身を委ねるってのはものすごく難しいな、不安だし、怖いし、上手くいかなかったら困るから、アレもコレもやっておかなくちゃって、つい必死になる。

いろいろ経験してきたからさ、上手くいかなかった経験から新しい学びを得るなんてことはいっぱいあって、むしろ上手くいかないから深まるのに、どうして私はこんなに不安になってしまうの?

上手くできないことが「ダメ」なんじゃないかっていう、無意識の捉え方…なのかな。


ああ、すごく分かる。

男性が育休を取ることや産後に仕事復帰するママもかなり増えてきてる今でも、子どもの熱のお迎えはママがスタンダードよ。

かかりつけは何時までだから、とか、熱出すと〇〇だから先生に一緒に伝えないといけないな、とか、アレコレ気が回るのはやっぱりママだし、その方が都合がいいっていうのもあると思うけど。

うちは受診が必要なときは私。

夫に休みをとってほしいときは、私がお願いする。

ママも平等に頑張っちゃったら、子どもにしわ寄せがいくからさ、全体を見てバランスとか考えるよね。

最初はどっちが折れなきゃいけないの?って思ったけど、結局は全体のバランスと将来的にどうしておく方がより家族が幸せでいられるか、で選択していくしかないのかなって。

収入でいうとね、私は産休と育休を3回取ったから、昇給も遅くなってるし、いつのまにか収入の差が広がっちゃってて、太刀打ちできないのよ。

できるのは、「私も仕事に出ないといけないから、この日は休んでくれる?」

「この日は子どものイベントにお願い。」

と、こっちで全体を把握した上で、お互いにしんどくならないラインで家の仕事や子育て関連を振り分けていくしかないのかなって。


そうやってバランスとってきたんだけど、私がフルタイムで働くと、職場の遠い夫は朝も夜も何もできないし、今は役職ついててホントに身動き取れない感じで、全然フィフティフィフティにはならないの。

子どもの療育が必要だって思ったとき、これ以上私にタスクが増えるのは無理だって思って、仕事を変えた。

それからは非常勤やパート勤務。

今は少し余裕を持って、扶養内で働いてる。

これしか仕事を続ける方法がなかった。

夫が同じ医療職で働いてたら、もう少しフィフティフィフティな働き方ができてたんじゃないかなぁ…なんて、ないものねだりしちゃうことも。


家庭のマネジメント。

子どもの先生など、関連機関との面談には交渉術やコミュニケーション力。

ママ友とは程よい距離感。

今まで使ってこなかったスキルを総動員。


女性はさ、妻や母になったら社会的な立場は低くなるのに、求められるスキルは格段に上がるよね。

そして、満足感への閾値は低くしていかないと身が持たない。

思うようにいくことなんてほとんどないんだもの。


だけどね、そんな現実を知らなかったけど、知ってても母になったかって問われたら、この大変な最中にいる今この瞬間でも、母になった選択には全く後悔はなくて。

自分の不甲斐なさやスキルのなさには落ち込むし、発達特性のある子どもたちの子育ても葛藤だらけだけど、子どもたちのいない日々は考えられない。

私は夫がいて、子どもたちがいるから生きていられてる。

日々の感動や苦しみ、悲しみ、悔しさ、気づき、生きてる実感があるのよね。

それにただ生きるだけでもすごく大変なことで、同時にスゴイことでもあるんだとしみじみと感じられる。


そう思うんだけど、欲って果てしないのよね。

私は仕事でキャリアを積みたかったし、子育てではちゃんと子どもたちに向き合いたかった。

人よりエネルギーがあふれてるものだから、諦めるってことを知らなくて、とことん追求して今に至る。

私だって人として何かを成し遂げたい。

親としての責任や子どもの心の発達を促しつつも、ベクトルは同じ未来を見つめていたいよね。


子育ての共有はさ、父親意識の高いタイプや育った家庭が父親の介入度が高いとかじゃない限り、妻の方がリードしていく必要があるよね。

待ってても難しいよ。

だって仕事でも責任が増えていくし、広げていきたい意識が高かったら、子育てへ意識が向きづらいんだもの。

しかも家にいなかったら、子どもを見る機会も少ないし。

全然関わってない子育てをハイ、やって!っていきなり投げられることは、中途採用で転職するのに似てる。

結構大変なのよね、一から学ぶって。

ま、それは母親も同じなんだけどさ。

ね、ホント大変だったよね。


だから心に余裕がありそうなときを狙って、子どものことを話す、変化を伝える、関わりのコツを共有するなど少しずつ家庭運営の現状を共有していく必要があるし、興味を持ってもらえないと次のステップには進めなかったなぁ。

父親の力が必要だ、と思う理由を論理的に伝えたり(思春期男子には父親が必要!とヒシヒシと感じたしね)、こういうときはやっぱりあなたね!と私ではできなかったなぁと少し大袈裟に伝えたり、私はこれが苦手だけどあなたならできそうだからお願いと依頼したり。

それをするには、私が状況や人をよく見ることが大事で、俯瞰して考えることも大切で、言葉を選ぶから言葉のバリエも必要で。


母親ってホント、学びの宝庫ーー!

思い返したら、ホント、その都度いろいろ考えて、本読んだりして学んでって繰り返してきたんだった。

家庭運営を軌道に乗せようと思ったら、仕事と同じように学び、試行錯誤する必要があるのよね。

でもそうやってスキルアップするから、マルチスキルが必要なパートでも勤務できたりするんだと思う。

母って偉大!

だからそれを過小評価する必要ないよね。


今は家電もサービスも充実してるから、あとはどこを外注して、どこを自分でやって、どこで自分も社会貢献するか、のバランスよね。

うんうん。

変に自信失くすことなんてない。

今、目の前で起きていることに対して、今できることをコツコツと積み重ねていけば、きっと何かカタチになるよね。

そして、何にもできないときはとにかく休もう。

それだけ母業は大変だし、気が抜けないんだもの。

今日は…休む!!!










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