見出し画像

「精神的な自立」とは何かを深める

私は無意識に相手の気持ちを考えて、相手にとっても自分にとってもいいだろうスタンスを考えた上で行動しようとしてしまう。

それがいいのだと思ってた。


でも実際には「相手にとっていい」かどうかは人によって違うのだから、ただの空回りで終わることもある。

想いが伝わらないとなぜか勝手にショックを受けてしまう自分。

またピッタリとハマるとお互いに依存的になりやすかったり距離を縮められ過ぎたりして、上手くバランスが取れない。

そんな自分を愛情への飢餓感が強いのかなと解釈して自分を満たすことを意識してみたり、無意識に行動するとズレやすいから客観視しながら調整してみたりしてコントロールしてきたのね。

そこがやっぱり自分で上手くコントロールできないと感じている部分。

そんな私の思考のクセを自覚し、より生きやすい思考に変えるために、言葉にして腑に落としたいと思う。


精神的な自立

20歳前後からどうも空回りしてる自分。

なんだか自分を上手くコントロールできなくて、心のバランスがとれない。

仕事は続けられているし、結婚してなんとか子育てもしてるけど、なかなか安定しない。

一時は特性のある3人の子育てが大変だからとか、自分のADHD特性に振り回されてるからとか、そこら辺に原因を見出して対策を練ったりしてたんだけど、どうも根本はそこになさそうで。

もちろん要素のひとつではあるんだけど、そのもっと奥にある、私を不安定にさせているものの存在にやっと勘づいてきた。


どうやら一言でいうと「精神的な自立」に至っていないことが根本にあるんじゃないかと今、感じてる。

それが上手くいってないと、他者との距離感も上手く取れないんだって。

うん、その通りだと思う。

それがいつもお世話になってるJoeさんのブログで紹介されていて、新しい感覚をインストールできたの。


Joeさんは「精神的な自立」というわかりにくい感覚を下記のように表現してくれていて。

すべての人間にとって
「他者」は
自分の人生を楽にする「道具」なんだと思ってみよう

ふむふむ。

その認識で考えると、誰かに「良かれ」と思って行動する前に、自分にとって「良かれ」と思う行動しようよ、ってことだよね…と一言で思考回路の修正が図れた。


なんで私は自分に良かれと思う行動の前に、誰かにとっての良かれを優先しちゃうんだろう。

無意識にそれがある。

それがあるから、人の中で自分の考えで動くことや自分が強く出てしまったときにものすごく後悔しちゃうのよ。

状況を加味できてなかったとか、あの場面であの言い方はなかったんじゃないかってクヨクヨ悩む。

ありのままの自分、つまり上手くできてない自分をそれでいいんだって実感できるような体験が少なかったのかなぁ。

なかったのだから仕方ない、意識して自分でたくさん言ってあげるしかないよね。


夫はそれを無意識に感じているのか、事あるごとに

「かわいいよ」とか

「考えていることも行動していることも理解できるし、おかしくないよ。人間くさくていいじゃない。」とか

言ってくれる。

その度に、ああそういう言葉を自分自身にかけてあげたらいいんだって思うんだよね。

人間くさいっていい言葉。

上手くいかなくて泣いちゃったり、頑張りが空回りしてる姿も肯定できるもの。


人からの感謝が生きるエネルギー

それからね、記事の中にこんな言葉があるんだけど

この相手が
私の期待通りに
作動しないんですけど。

これもよくある感覚なのよね、私の。

その理由を記事の中で

「他人」という道具の用途には、大きく分けて次の2つがあります。①労働力の外注②アロマ的な用途
自分は①と②の用途でこの相手を利用して、
ラクをしようとしているんだと自覚する謙虚さを
忘れていると思います。そして、その謙虚さの欠如によって横柄になりすぎて、他人という道具の取り扱い方法を誤り

と話してる。

この感覚、わかりすぎる!!!

人との距離感を誤ってしまう理由は、自分が生きている意味の理解がこじれてないか、みたいなね。


ちなみにね、生まれながらにこの感覚を持っているのがうちの長男(←なかなか私と信頼関係が作れなかった)、ないのがかなりハッキリ出てる次男。

メタ認知や状況理解とかそういうスキルになるのかな。

子どもたちを見てるとね、まず生まれながらの気質があって、気質としてなくてもその後の経験で獲得できる人とできない人に分かれるんだろうな、と予測できる。

で、私はこの歳になってやっとそういうことに気づいて、感覚の修正を図ろうとしてるんだと思う。

そんな自分を応援してあげなくちゃね。


つまり、私の捉え方で話すとね、相手に良かれと思って行動したり話したりすることって、自分の感覚としてはきっとこうしたら喜んでくれるだろうっていう無意識の感覚なのね。

それは私の感覚に基づくことで、私がそれをされたら嬉しいから、相手にもしてあげて喜んで欲しいと思ってる。

その喜んでる姿を見ることが、私の満足感につながるの。

それは悪くないんだけど、その見返りをかなり強く求めてしまうことがある。

こうしたら喜んでくれるに違いない、くらいのレベルで。

私の欲しい感覚なのよね、自分が生きる上でのエネルギーになってるから。


つまり、誰かが喜ぶことをすることで自分の存在価値を実感して生きてる人なんだ、私は。

一見すると悪くなさそうだけど、裏を返すと人が喜ばなかったら生きてる価値がないってなりやすい。

また、喜ぶ前提で行動してる部分が強くなりすぎると、こうすればあなたは喜ぶでしょう?的な、相手の感情をコントロールしようとしてる感じにもなりうる。

これ、きっと子どもにはすごく伝わるところじゃないかな。

そこが私の子どもとの関係が上手くいかない要因のひとつ。

夫と上手くいくのは、私が考える良かれが夫にはありがたいことで、その良かれで成立している関係なのかもしれない。

夫は精神的に自立しているように思うけど、行動面での苦手さが強くて、私の行動力に救われてるところがあるのね。

だから多少私が強く出ても、夫はグッと我慢できる。

私を必要な存在だと思ってるからだろうね。


関係はその都度変わっていくと思うのね、人は成長するから。

今は私の心が弱くなってて、夫には好都合で、win-winな関係なんだけど、私の精神的な自立が進んだらどう変わっていくんだろうな。


子育てに対する心構え

Joeさんの記事で、同じように子育てに対しての感覚も記事になっているの。

親子って気をつけないと支配関係というか、親の言うことを案に子どもが感じ取って親の思惑通りに動こうとする関係になったり、親が真っ向から要求してきて子どもは逃げられなくてしんどいこともあると思う。

Joeさんのいう謙虚さが大事って、子どもが親の言うことを聞くような関係にしない心の距離をつくるために必要な要素だってことじゃないかな。

そういう感覚を持って、もう一度読んでみる。


「親」というのは、もともと
そうやって、自分自身の生活の
クオリティアップの道具として、
「我が子」を
自宅に設置しているわけだから、親は、
そのことについて
自覚的であろう。もともとは
この子は私が
私自身の精神の安定のために
設置したものなんだってことに
幾分かの危機感を
自分の中に感じていよう。それに自覚的でないと、すべての親は、我が子との間に
境界線意識を持てず、我が子のことを
過剰に、「親の道具」
あるいは
「親の人生の一部」のように
扱ってしてしまう
可能性があるから。

まさにこの部分。

そして、子どもを「親の道具」や「親の人生の一部」にしないためには、

でも、
それを理解してその現実について
謙虚であれば、親は常に
自分を客観視して、子供の前で
理性的に振る舞うことができ
正しく動くこともできるはずです。

ここ!

「謙虚さ」と「自分を客観視する」ことが子育てには必要ってわかる。


で、もっと深堀りした記事がコチラ。

「子供の利用」
っていうのは、まず、
それを設置した親自身が、それを設置した途端、=======
(私がでは無く)
この子自身(道具の側)が、
伸び伸びと成長するのが
「私にとって」嬉しい。
=======
(私がでは無く)
その子自身(道具の側)が
その子らしく成長するのが
「私にとっての」アロマ効果!
========みたいに感じないと、すべてが
上手く回らなくなることです。

もともとは、自分の
「自己満足」のための道具として、「我が子」を
自分の生活に設置したにもかかわらず、それを設置した途端、どちらかというと、
逆に自分のエゴや
自己満足を抑え、道具のはずの
子供に対して、「この子らしくあって欲しい」「そのためには、
自分のエゴを抑えたい」という道具の側の利益
を喜ぶ気持ちに
切り替わらないといけないわけです。
子供という道具の
利用方法は、どちらかというと、
むしろ自分(親)の側が
見返りを求めず
一方的に与えてあげることで、その子自身が
イキイキとしてくる。で、
それを見ることで、
それが間接的に
自分自身の支えになる、そういう利用方法なんだ


つまり、私に置き換えるとね、私は「良かれ」と思って人のために行動し、その人が喜ぶ姿を見て自分の存在価値を見出して生きてきた人なんだと思うのね。

もっと遡ると、学生時代は勉強をすることで人からすごいねって言われることが存在価値で、仕事は人に喜ばれる対人援助職を選んで、「すごいね」を「人から喜ばれること」に価値を変えて生きてきたんだと思う。

で、子どもを産んでからは子どもといい関係を築くことで母親としての存在価値を得たいと思ってたんだろうけど、そんなカンタンなものじゃなくて。

しかも仕事でもね、子どもの熱とかで休まざるを得なくなったら、喜ばれるよりも迷惑をかけることが増えるわけよ。

職場の人にも患者さんにも迷惑をかけてしまう。

一気に自分の存在価値を感じる場所がなくなって、行き詰まってしまったのが子育てし始めてからの苦悩につながってる感じがする。


でもここまで追い詰められないと気づけなかったのよ。

そこまで私は他人から得られる自分の存在価値に執着して生きてきてたんだね。


子育てにおいても、子どもに喜ばれることに執着してた。

子どものご飯の好き嫌いにも過剰に反応して、個別に対応しすぎてキャパオーバーになったし。

何でも子どもの要求に応えようとして、自分を犠牲にし過ぎて爆発することが多かったよね。


もしかしたら長男は、私の良かれに応えられない罪悪感をどこかに持っているのかもしれない。

すごく繊細な子だもんね。

なんか子どものことを想うと、もっと自分がしっかりしなくちゃ、自分のことは自分で満たせるように意識していこうって強く思うよね。

そういう意味でも、子どもっていうのは宝だと思う。

ひとりだったら気づけなかったし、頑張れなかった。


グズグズしていられないね。

自分の存在価値は、自分で認める!

そのためには、誰かに認められようとする前に、コツコツと自分がやりたいこと、好きなことを積み重ねていく時間が大事じゃないかな。

今はつい、あわよくば収入につながったら、なんて欲で動いてしまうところがあるもんね。

やりたいこととできることは違うのに。


まだまだ気づいた段階

もう何年も同じようなことでグルグル悩んでると思う。

でも、noteに言葉にするようになってからは、そのことに対する理解度がかなり深くなったと思う。

ありのままを言葉にするのは抵抗があったけど、その分ちゃんと向き合わなければと思えた。

ずっと逃げてたというか、実感のない中でただただ悩んでただけだった。

今は違うよ。

自分の気持ちを言葉にして、それってなんだろうって考えて、向き合う。

結局はこのnoteで最初の頃から言ってる「自分を大切に扱う、応援してあげる」ことが苦手だから、誰かの評価に依存してるってことを毎回実感するのよね。

壁にぶつかるたびに深掘りして、結局いつもそこか、って思う。

それをずっと繰り返してきていて、まだまだ上手くできないんだけど、やっとその実態を実感できるようになってきたというか、大枠を理解して方向性がわかってきた感じ。


最近の新しい感覚

仕事でね、ちょっと行き詰まったことがあって、とある人に相談してみたの。

そしたら、頷きの連続ですごく整理できたのね。

私もここまで状況を理解したり、考えを深めたりできたらいいのに、と思った。

年齢や経験に関わらず、上手な人は上手だよね。

私は苦手。

だからこそ、そういうことができたらカッコイイなーって思ってるんだと思う。

それが私は物事を達観したいって欲が強いんだってことにつながってる気がする。


だけど。

スゴイな、ここまでわかったり考えられたらいいなぁーって思うものの、そういう人と接してるとちょっと強いなって思うことがある。

まだ新人の頃、職場でいろいろわかってる人だなぁと思って見ていた人がいたんだけど、その人って陰ではあまりよく思われていなくて。

私の感覚とだいぶ違うのを感じて、ビックリしたのを未だに覚えてる。

その辺からよね、私の感覚と周りの感覚って違うんだなって思って、私の感覚や想いに素直に突っ走ると周りとの調和は図れないのかもしれないから気をつけなくちゃってどこかでは感じながら生活してきた。


Joeさんの考えに合わせて考えてみると、それもなんとなくわかる気がする。

誰かの能力が高かったとして、それが利用する価値があるならいいのかもしれないけれど、自分の仕事をジャマするような存在だったら面倒だもの。

私は単純にああなれたらいいんだろうなって、当時は思ってたし、今もその感覚があるんだけど、達観した先にどんな未来を描いているのかっていうところまで考えられているのかだよね。

達観した先に人からスゴイって言われたかったり、人から頼られたりしたいって気持ちがあるのなら、多分それは現実的には違う可能性があるってこと。

自分のイメージと現実とのギャップをまだまだ捉えきれていないのかもしれないね。


それと、できたらその先は自分を喜ばせるカタチが想像できたらいいよね。

当てにならない誰かの評価ではなくて、自己満足できるみたいな。

自分で良しって思えたり、楽しかった、やってよかった、自分らしくいられてる感覚がある、無理してない、自信につながる、そんな感じ。

まだまだそこまで持っていけないけれど、今の私の課題だと思う。

仕事でもプライベートでも。


最近始めたピラティス養成講座も、ウッカリしてると収入につなげるためにああしてこうして、と考えてしまうのよね。

でもその前に自分のためで。

ピラティスを実践することで自分が楽になるのが大事。

私に必要なことはコアを高めることだっていうのはわかっているのだから、実践して言葉にする、そして腑に落とす。

その中で生きやすくなったらいいと思ってる。

そこからなのよね。


うん。

少し考えをリセットできた!!

今日はこのあと、自分のために時間を過ごそう。




サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶