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心の浄化…みかんの独り言

昨日は学校の個別面談が2回続きでした。

影響されやすい私は神経が高ぶって眠れません。

昔はこんなじゃなかったのだけど、年々神経質になっていく自分がいてビックリします。

今回は心安らかに眠るための記録です(心の内を記録していたら寝落ちしたので、投稿は翌日の今日になりました)。


久しぶりに見た夢

私は小〜中学生のとき、翌日に必要な習字道具や絵の具セットなど、忘れちゃいけない!と思うとその日の夢で必ず忘れた夢を見ました。

ああ、どうしよう!!あんなに忘れないようにって思っていたのに…と後悔する夢です。

やっちゃった、という場面でハッと目覚めるんです。

それで、ああよかった、今日はこれからだ、と気づいて支度をします。


昨日の朝は久しぶりにそんな夢を見ました。

なんと面談をすっかり忘れてしまっていて、30分も遅刻してしまう、という夢でした。

やっちゃった、というところで目が覚めて、やっぱり今日はこれからだったとホッとしました。

私は今でも小学生の頃と同じで「ちゃんとやらなきゃ!」にこだわってしまっているのかもしれません。

パニック


面談に臨む

先日、夫に

「診察や面談が苦手。

うまくやれているのか、話せているのか、いつもハラハラドキドキで、何のために行っているのかわからなくなってしまうし、帰ってきてドッと疲れてしまう。

自分に軸がないから、言われたことを真に受け過ぎてしまうし、受け止め過ぎて気持ちが落ち着かなくなってしまう。

面談や診察での相談内容も進行も伝え方も話す内容もこれで良かったのかと心配になる。」

と正直に話したところ、夫からは

「面談には2つくらいコレが話せたらオッケーということを決めていき、それが話せたら十分と自分にオッケーを出してあげること。

自分でオッケーが出せないから苦しいんだよ。」

と言われて、とても心が軽くなりました。


そうか、2つでいいよね。


子どもが療育センターでフォローしてもらったり、療育を継続していたり、放課後等デイサービスを利用したり、他のサービスを利用したりするとスタッフとの面談の時間がものすごーーく多いんですね。

就活などの面談なら採用されるため、という目的が明確なのでいいのだけれど、子ども関連の面談ってその時々でテーマが違ったりするし、本人はいないし、相手の話したいことと私の話したいことも一致していなかったりします。

相互的なやりとりをして、お互いに有意義な時間にするには、かなりスキルが必要なんじゃないか、と実感しています(考えすぎ?)

もしかしたら私がちゃんとやらなきゃってハードルを高くしているからそう思うのかもしれませんけど。

もっと気楽に向かえばイイのかな。

でも毎回私には冗談を言い合う余裕もないくらい、そこそこの困った課題や取り組んでいることの話題を抱えて出かけていました。

だからとっても気が重かったです。

回数を重ねれば重ねるほど、本来なら場数を踏んで楽になるはずなのに、うまくいく体験ができなかったので、感覚が掴めずに今に至ります。


今振り返って考えてみると、私は面談をしながら、いつも子どもの立場に立って話をしがちでした。

でも当たり前だけれど本人の本当の気持ちがわからないので、いつも合っているかどうかもわからなかったし、自分の解釈にも自信がなかったし、そこに母親としての自分もいませんでした。

私の母親としての考えは自信がなかったです。

なのでいつも答えを求めがちでした。


母親としての自分で参加していれば良かった、という話なのだけれど、その違いに気づきませんでした。

いつも子どもと話したことや状況をお伝えするけれど、母親としての気持ちや考えを語ることはあんまりなかったです。

だからいつも私が置き去りにされていて、いつも重たい気持ちを引きずっていたのかもしれません。


今日は2つだけに絞って、気を楽にしていきました。

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まずは自分のスタンスを決めたいけど

今回、2つに絞って他は先生に委ねました。

ちょっと無理難題を突きつけられる場面があったけれど、何とかなりました。

案の定、帰ってきてからは言われたことや自分の考えが頭の中をグールグル。

どうしたらいいんだろう?

でも実際にこれ、無理だよね。

今、一番大切にしたいことって何だろう?

優先したいことって何だろう?

私はどんなスタンスでいたらいいんだろう?


でもね、これはずっと考えてきていることで、でもわからないんです。

自分がどうしたいかとか、どうなったら嬉しくて、どんなのを望んでいて、嫌なのはこんなことで・・・。

自分のことがわからないんですよ。

その時々では状況に合わせたり、相手に合わせたり、それなりにはこなしているんだけど、何がしたいのかなんてわからない。

子どもの行動を見て、嫌だと思うことはハッキリしているんだけれど、どうなったらいいのかを考えると月並みなことしか出てこない。

私らしく生きるって何?

子どもがその子らしくいられるって何?

私が母親としてできることって何?

これだけは子供に伝えたいことって何?

何にもビジョンがないんだ、私。

だから影響されまくるし、社会的に必要なこととか、普通はこうする物とかしか出てこないんだ。

でもはっきりしたところで、ビジョンなんて出てこないし。

私って心の奥で何を望んで今こうして生きていて、何を叶えたいんだろう?

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涙が流れて浄化する

以前の記事で紹介したのですが、

今この本を読んでいます。

昨日は最終的にこれを読んで、涙がこぼれまくって、何となく浄化された気分でそのまま入眠しました。

私は子どもの自分と母親である自分、どっちの立場でこれを読んだのかなぁ・・・。

摂食障害の女の子の章では女の子かな・・・私も高校生で過食に悩まされたので。

母のためだったかは疑問ですが。

今でもそれを乗り越えられていない気がするのは、根底には母娘の関係があるからなのかも・・・。

でもこの話を読むと、母の方が気づいて変わらないと子は救われないって感じですよね。

私の母は気付くタイプではないから(多くの問題が母の前に立ちはだかっていたけれど、自分とは違う視点に気づくのは難しく、他の意見が入らなかったので)、この女の子のお母さんのように、自分が断ち切らないとという感じでしょうか。


夫との関係

私が夫と離れられなくなったのは、私の理解者だと思ったから。

こんがらがった私をここまで許容し、うまく付き合ってくれる人は他にはいないと確信したからです。

結婚に至った理由は強引な形でした。

私の母の落ち着かなさ(家の情報誌を持って帰っていたら、まずは結婚でしょ!と感情をぶつけてきた)が私に伝染して、さあどうする?と私が夫に詰め寄った結果でした(笑)

今思うともっと時間をかけてもよかったと思うし、でもそれがあったからこうなったのかもしれないし、結局は必然的だったのかもしれないけれど、思い出としてはあんまりよくないでしょ?

私は不思議と夫にもう一度育てられるような感覚でこの10年、一緒に過ごしてきました。

夫の考え方はどれもうなずけて、もっと早くそういう考え方を知っていれば私は全然違う自分で生きてきたかもしれないと思うほどでした。

子育てに関しても、私の母に相談するよりも夫に相談した方が納得行くことが多かったです。

私はどんどん夫の考え方の虜になり、夫のように生きられたらいいと思いました。

でも私にはどうしても無理だと思うこともあって、やっぱり人はなんだかんだ自分が生きたいと思う生き方でしか生きられないのかもしれないと思いました。


また人は自分が幸せになりたいと思っているし、幸せになるだろうと思う選択を無意識にするものだと知りましたが、それも本当にその通りなのかもしれないと思いました。

私には私の望みがあって、そのために周りに合わせたりうまくやっていこうとする選択をしています。

子どもたちの心に寄り添いたいと思っていて、何よりも大切にしたいと思うのもその望みを叶えるため。

でも望みってなかなか自覚できないものですよね。

私はまだまだそれを探している最中です・・・というか、このnoteの目的が自分の望みを知ることだったりします。

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長男の望み

自分の望みがわからないのに、人の望みなんかわかるわけないのですが、長男の望みを叶えるレールみたいな、道すじみたいな中に学校という手段が必要とは思えなかった、そんな感じなのかな、と今では何となく感じています。

私とは大切と思うことも興味を持つものも全然違うので、見えている世界も感覚も全然違うんだろうなと。

これがすんなり受け入れられるようになったのは、先ほど紹介した本の中の引きこもりになった32歳の男性の話を読んだからかもしれません。

この男性の父親の気持ちが痛いほどわかった私。

そしてその解説もなるほど、と思いました。

私は母親にしてもらえなかったことを長男にはしてあげたかったけれど、その加減がうまくできなかったのかもしれません。

だって自分では経験のないものだものね。

加減が難しいのは当たり前なんだ。


本を読んで、子どもの思春期は親も自分の人生を振り返り、見つめ直す機会なんだと実感しました。

子どもは思春期までは親の生き方をしっかりと学ぶ時期で、思春期になると親の苦しみまで背負った子どもたちは辛くなり、訴えるようになるというのは何となくわかるなと思います。

私はそれこそ母の考えが100%でずっと生きてきて、思春期でも脱せなくて、しばらく葛藤が続きました。

その時、母がもっと私と自分自身に向き合ってくれていたら、もう少し早く抜けられたのかもしれません。


私は自分の考えや生き方を子供に言って聞かせられるほど、自分に自信がない状態で母親になりました。

子どもが不安定だったのは、私のようにはなるなという信号を繊細にキャッチしていたのかもしれません。

ママのように生きたらいいんだ、と安心して真似できなかったのかも。

上二人の時は日々精一杯だったし、どんどん自信をなくしていた時期でもありました。

私はこうやって生きてきたのに、と思うこととは正反対のことをする子たちに、いつも心はハラハラしていたのだけれど、そういうことかもしれない、と思うと合点がいきます。

ごめんよ、安心させてあげられなくて。

親っていうのは、子どもを通してそうやって自分の人生を振り返る必要があるのかもしれないですね。

子どもは言って聞かせようと思っても、なかなか思い通りにはならないし、自分の進むべき方向をちゃんと知っていると思います。

親がそれを抑圧して、子どもを違う方向へ誘導することもできなくなはいけれど、どこかでひずみを感じたり出てきたりして、どこかではちゃんと向き合わざるを得ないのだろうなと思います。

無視することもできるけれど、そうしたらそこから何も進まないんじゃないかな。


私は子どもから何らかをキャッチして、今こうして自分を振り返ったり、自分の感覚をしっかりと感じようと思ったり、今までしたこともないようなことをここ数年、向き合っています。

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私らしさは欲深さに紛れて見えない

私はあんまりにもこの世界に影響されすぎちゃっていて、自分らしさとかよくわからなくなっちゃっています。

この社会でうまくやっていく方法ばかりを模索しすぎていて、というかそれで精一杯で、うまい線引きとか、折り合いとか、自分を大切にするとかそういう視点が全然持てなくて、社会でうまくやれていたらそれでオッケーって思ってました。

でも全然OKじゃないって思ったのは子育てするようになってから。

自分の軸がない状態では人間関係全般でつまづくことが多いんですよね…。

特に関係の近い家族だと難しーーー!!


私は今までアレもコレもうまくやりたいという欲の深さが邪魔をして、本当に自分が望んでいること、心地よいこと、嬉しいことと向き合うことをしてこなかったと思っています。

今回もこうして言葉にして整理して、感覚を腑に落として、自分の望みに近づけたかなって思います。


良くわからない文章をツラツラと…読んでくださった方、ありがとうございました!





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