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優しさや正義も信頼関係の上で成り立つ

今朝、とても心を痛めたニュースがあります。

誰もが心を痛めたんじゃないでしょうか。

殴られてしまった高校生もその場に居合わせたお友だちも、きっと何もできずにいた近くの人も、みんなで心に深く傷を負ったんじゃないかと思います。

殴られてしまった高校生の体の傷も心配です。

心も体も痛い。

もうやりきれないです。


朝、テレビのニュースで見て、そこから動けなくなってしまった私。

実は、昨日書き上げた記事の内容と勝手にリンクして、さらに自分を混乱させました。

そこで自分なりに考えたことを記事にしてみました。


世の中にはいろんな人がいる

限られたニュースの時間の中で、その事件に関する見解のフレーズがとても印象的で、メモったんですね。


「同じレベルで話のできない人」

「生きている世界が違う人」

のちに「常識のない人」とも言い換えられたりもしていました。


世の中には同じレベルで話ができない人がいて、そういう人に同じレベルで話すのは危険だということでした。

つまり、電車の中のマナーを守らないでいる人に注意をすることは、常識外のことが起こるリスクが高いということ。


高校生はマナー違反を注意した立場なのだろうけど、相手にはケンカを売ってきたと捉えられてしまった。

そういう世界で生きている人に常識は通用しない、そう話していたと思う。


「世界が違う人」というのは存在しているのは知っているけど、そういう人たちが今は、本当に多様化しているって感じてる。

とてつもない資産家、大会社の社長、裏の世界の人、そういう特別な世界じゃなくて、日常のフツーって思うような人たちの中でも世界観の違いをハッキリと感じるようになってきたと思って。


私が鈍いだけ?

だけどね、昭和だったらみんなが当たり前だよねって思ってたことが、今は全然通用しないことって増えた気がする。

歳のせい?


例えば仕事で80代前後の方を担当させてもらうと、時代背景もあって、我慢強くて、イヤとか言わない人が多い。

脳の機能低下で抑制が効かなくなる方もいらっしゃるし、元々こだわりの強い方もいらっしゃるけれど、社会ではこうするもの、みたいな共通認識はそこまで大きく変わらない印象がある。

あとは人生経験?

お話しすると「歳をとって丸くなったのよ」と言われる方も多いし。

何が言いたいかというと、常識から大きく外れる人が少ないというか。


だけど、今はいい意味でも困った意味でも多様化って進んでいて、昔だったら周りのみんなでとっちめただろうマナーの悪い人をそういう世界の人、と括ってリスク回避が大切な世の中になってきたような気がする。

口うるさい近所のおばさんとか居なくなった。

私が小さい頃は、近所の人に挨拶しないと親に言いつけられたくらいなのに。

「自分のことを自分で守れる」

これが最優先の時代になってきたのかな。

自由と言われたら聞こえはいいけど、自己責任の重さに押しつぶされそうよ。


「良かれが伝わる」は時代遅れ?私は信頼関係の有無だと思いたい

ここで昨日の記事に戻っちゃうんだけど。

大正生まれの女性の言う

「伝わるわよ」

が、昔と今ではだいぶ違うかなーっていうことに、改めて気づいて。

伝わらない人、増えたかもね。

だから、変化してきた時代に窮屈さを感じてる人も多いんじゃないかと思う。


この記事にコメントをくださった定年のおっちゃんねるさんが、2つの記事を紹介してくださったのだけど。


結局のところ、良かれとか忠告とか人に何かをするときには、その人との「関係性」がものすごく大切になってくるんだってことじゃないかな。

信頼関係が成立している者同士なら、それはトラブルになりにくいけれど、相手がどんな人かわからない、価値観の違いもわからない、そういう人相手には「良かれ」でもどういう結果を招くか想像できないってこと。


そう考えると、いろんなところに合点がいく。

例えば私、学校の先生の言うことはなんでも聞くのよって教えられたし、言うことによっては使い分けていいなんて教わらなかった。

親の言うことは聞きなさい、言うこと聞かないとおやつはなし!なんてのも当たり前にあったし、あまりに聞かないと家を出された記憶もある。

脅して言うことを書かせるなんて、当たり前のようにあったと思うし、だけどそうしてでも伝えたかったことは「親の言うことは絶対」と言うことじゃなくて、「社会に出たときに困るのよ」だったんだと思う。


でも、療育センターで教えられることはそれとは逆なんだよね。

困ったときに相談できるような関係性、もしくはその手段を選択できるようにしておく、ということが大事で、それを叶えるためには子どもとの信頼関係は欠かせない。

脅して言うことを聞かせるよりは、おやつで釣ってでもいいからいい体験を積み重ねていく方を選択したりする。

社会に合わせる形を強要するよりは、心の発達を大切にする感じ。

できないことは無理にやらせず、できることからステップを踏ませていく。

そうして、信頼関係が構築された上で社会のルールを伝えていく方が、のちのちの家族トラブルを防げるもの。


同じ「社会に出たときに困るから」という親心での対応なんだけれど、子どもが受ける印象や親との関係性構築には大きな違いがある。

結果的に子どもたちが社会で生きていく上で、なんとか自分らしく人生を歩めたらいいんだと思うのだけど、

ひといちばい繊細だったり、理解や意図を汲むのが苦手だったり、刺激に弱かったり、受け取る器の違いで、子ども時代に心に傷を負うような体験をたくさんしてしまうと、大人になってからうまくいかなくなることが多い気がする。

信頼関係をまず構築するって経験すらなかったりするし、そういう関係とそうじゃない関係の線引きもできないし、言っていい人と悪い人の区別もつきづらい。


私もきっとその一人。

で、子どもたちにはそうなってもらいたくないなぁ、と日頃思ってはいるのだけど、自分が多様性を受け入れられなかったり、自分の世界の狭さに気付いたり。

子どもたちとの関係も悪くはないけど、まだまだ不安定で。

夫の言うことはその通り!と思って様子を見てきたけど、夫と子どもたちの関係性も心が通っているようには思えないし。

関係性を築いていくって、難しいよね。


信頼できるかどうかで線を引く

一連の体験や見聞きしたことから、今の私が、今の時代を生きていく上での線引きとして考えたのは

信頼関係がある程度できている、なんとなく話が通じる人だ、という認識がある人には少し踏み込んだ話をしてもいいけれど、基本的にはサラリと表面的な付き合いでよい。

それは子どもに対しても一部適応し、あまり押し付けにならない関係でいるようにする。

子どもに対してはテレビのニュースなどをキッカケにして、社会ってこんなところよね、こういうふうに考えている人が多いよね、実際にはこうだったりするよね、といった、体験談を話して聞かせ、いろんな世界を疑似体験してもらい、自分はどう考えるかという機会を持つ。

世界が違う人には踏み込まない。

つまり、自分なりの安全域を設定して、その範囲内で過ごすようにする。


そうそう、なんかね、最近ネットを通じて副業を成功させようとあの手この手で不安をあおり、行動することで変われる!みたいな言葉で期待させ、何かの購入を促すものが増えたように思うの。

私も子どもたちの療育がひと段落した際には、同じように悩むママの助けになりたいと思って、そういうサービスを提供する側に踏み切ろうとしたことがあったのね。

それに突き進める人はいいんだと思うのだけど、私はやろうと思ったら違和感だらけで。

結局、正解がさもあるような世界にいると自分が正解の人間じゃないことに気付かされて、つらかったんじゃないかと思う。

誰かの正解に合わせることほどしんどいことはないし、じゃあ自分の中の正解は?と問われるとさ、なーんにもなかったんだよね。

結局、サービスそのものに惹かれて飛びついたから上手くいかなかった気がする。

サービス提供者のしていること、考え、その人との信頼関係、これが成り立ってはじめて一歩進めるものなんだって実感した。

うん、やっぱり人と人とは信頼関係。


あとね、私が以前の職場でトラブル起こした経験もね、思えばこのニュースの高校生のような感じのことだったと思う。

周りが悲しい思いをしてるのを見て、黙っていられなかったのよ。

自分が傷つくのなんて後回しにして。

でも結局ね、傷ついた自分に未だにとらわれてるところがあるんだから、情けないわ。


でも人生、長いんだもん。

そういうことだって一度や二度あるよね。

私は三度か。

一番大きかったのは、部署内のトップを引きずり下ろしてしまったこと。

それまで周りの苦情をたくさんたくさん耳にしていて、私はその上司が嫌いじゃなかったんだけど、みんなのために動いちゃったんだよね。

で、もっと上にいいように利用されて。

今はその職場、めちゃくちゃ環境が整っていて、内情はわからないけれど、外から見ていると良い変化を起こしたと思う。

多分、組織の上の人たちは早くこうしたかったんだろうね。

上司が邪魔だったけど、クビにもできず、ってところに私でしょう。

まだまだペーペーの職員の書類1枚でそんなに簡単に事が動くと思わなかったもの。


ニュースで誰かが言っていたけど、この高校生もみんなが困っているその場の空気に押されて、じゃあオレがってなったのかもしれないよね。

私だってさ、そうだったから。

フツーだったら絶対にできないことも、周りの空気でつい動いちゃうこと。

それで、結果、自分が深く傷ついてしまったり。


違うかもしれないけどさ。

でもそうだったとしたら、頑張ったね、ってたくさんたくさんいたわりの言葉をかけてあげてほしいよ。

間違っても、そんな世界の違う人に注意なんてするなんてバカだよ、なんて言わないでほしいな。


なんかまとまらなくなったけど、これからの私は信頼できるかできないか、を今まで以上に大切にしようと思う。

多分、これからの時代ってさ、なおさらそこが大切になってくるんだよね、きっと。


長男が言ってたのよね。

詐欺がまかり通るってのは、それだけ信用に関してゆるい人が多いってことなんだよ、人情とかに頼ってる人が多いんだよって。

うん、同時に心が寂しい人も多いんだと思うな。

信用したいし、信用してる人の役に立ちたいとか思っちゃうんだよ。

あとは簡単に人が信用できない時代になってきたってことよね。

寂しいけど、それだけ個人主義が強くなってきてるんだよね。


ってことで、結局は自分の心を整えて、自分を守っていくことが大事ーっていう、いつものところに戻ってきました。

心を整えるのに、私にはステップが多すぎます。



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