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いちばん似ていて、いちばん敵わない人

私はずっと、家族の中で誰に似たのかよくわからなかった。

顔は、子どものころから自覚するほど父似。
思考はきっと、理系の大学に進んだ叔父似。

ふんわりと、その程度にしか思っていなかったが、最近知り合いが私と私の母を見るたび、決まって「似てるね!」と言う

コロナ禍でマスク姿がスタンダードになったからだろう。目元だけ見れば似ているのかもしれない、と思っていた。

しかし、知り合いの言い分を聞いていくと「母の所作がエビアンそっくり!」「声が似ている」など、さまざまな共通点が挙がったのだ。

私は大人になるにつれて、母に似てきたのかもしれない。

似てほしいところが似なかった

今は何とも思わないが、子どもの頃は自分の顔があまり好きじゃなかった。

父と母から譲り受けた二重と、地毛で十分な長さを誇るまつ毛。鼻は父そっくりだったが、形はきっと一般的な日本人らしいものだろう。

パーツごとに見れば悪くないのに、合わさると何だか、私の思い描く「可愛い顔」とはすこし違う。

顔は母に似ればよかったのに……。
学生時代から人気があったという母を羨んだ。


私は母の苦手なことばかりが似ていた。水泳、裁縫が最たる例だ。

一方、母の長所は遺伝しなかった。運動神経は譲り受けたかった。できれば顔も。


そんな私が唯一、「遺伝の力を跳ね除けた」と思ったことがある。

私は勉強が得意だった。

中学でのテストの点数は、上位が当たり前。
高校受験では、一般的に「頭がいい」といわれる進学校を受験した。

合格したとき母は、「本当に頑張ったね」と喜んでくれた。母の涙を見たのはこのときが初めてだった。

勉強に関してだけは、父にも母にも勝てた気分になっていたのだ。

大人になってからわかる、母のすごさ

今だからわかる。母はとても真面目だった。

お金が必要とわかれば、うんと働いた。

結婚を機に仕事を退職して私を産み、私の子育てにあまり手がかからなくなった頃からパートの仕事を始めた。

現在ホテルで客室係のアルバイトしている母は50歳過ぎ。転職活動の真っ最中だ。


それでいて、家事もきちんとこなす。

家の周りに生えた雑草を抜き、休日はお風呂にカビキラーを吹きつけて掃除する。新しい料理本を買っては料理のレパートリーを増やし、買い物に行っては欠かさず私のおやつも買ってきてくれた。


母はまた、自分の興味関心に関する行動力がすごかった

読売ジャイアンツのファン同士でfacebookで繋がり、会ったことも無い人とよく一緒に野球観戦に行く。

また、Twitterの趣味アカウントで繋がった人と連絡を取り、贈り物を送り合ったりイベントで会ったりしている。


無理はしない。しかし無理ない範囲ですべてをバランスよくこなす母は、いつも充実してみえた

実は、大事なところが似ていた

子どもの頃は、運動神経や顔、勉強といったわかりやすい部分を比べては、母と似ていないと判断していた。

けれども私は、私を作り上げている大事な部分を、母から譲ってもらっていた


何事にも真面目。行動力があり、自分の興味に正直なところ。

私は母にそっくりだ。

でも何年経っても何十年経っても、母に敵うことはないだろう。

いちばん似ていて、いちばん敵わない。

そしていつも、いちばん近くにいるその人は、今日も素敵です。

阿部広太郎さん著作『心をつかむ超言葉術』(ダイヤモンド社)のp224で登場する、『「私の素敵な人」をテーマにしたエッセイをnoteに書く』課題にチャレンジしました。

素敵→「自分には敵わない」と思うこと、と定義。

何年経っても超えることはできず、敵わないだろう母に焦点を当てて書きました。

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