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不安はそこに自然とあるもの。けれど・・・


具体的にいえば、難題を抱えたお家のリフォーム、食事のための買い出し(料理好きなのでw)。抽象的にいえば、生き方やあり方。人生を送る上で何かを選択すること、何かを決断することは避けて通れません。わたしもこれまで多くの選択と決断を繰り返してきました。


選択や決断の対象が「はじめて」のときはとても苦しかったりします。なぜなら、選択や決断の答えというのは結局、やってみなくちゃわからない、という不安定な「未知の領域」にあるからです。


未知なるものに対しての期待やワクワク感はありながらも、やはりそれと並列してひょっこり見え隠れしているのが「不安」です。不安とは、今はまだはっきりとはわからない、今この場所からは見え難い、とてもとても不確実で距離感のある<結果の状態>から呼び起こる感情のようなものですよね。


わたし自身、人生の選択や決断にとても苦悩したときがありました。たとえば、果たして独立して建築の仕事を永くつづけていくことができるのだろうか・・・。


それでもここまで何十年とつづけてこられたという現実的な結果を見れば、やはりその時々の選択や決断は正しかったのだろうと自分では解釈しています。


たまに、不安が止まらない、不安で仕方ない、という方がいらっしゃいます。とても苦しい状態だとおもいます。そんな方へ、その不安とは一体なんだろうか、そうした、不安を定義する、作業をされてみるのはとてもいいとおもいます。なぜなら、不安とはとてもとても漠然とした言葉だからです。


不安とは、いってみればイメージのようなものではないでしょうか。不安それ自体には色も形もありません。つまり、手を伸ばせばそこにあるというような物質的なものではなく、不安という感情はその方が主体的に繰り返し繰り返し頭の中でイメージしている非常にボヤけた「存在」に他ならない、とおもうのです。不安を知り、それに捉われてしまっている(ある意味、気づかないうちにそこにばかり執着してしまっている)自分に気づくだけで不安は薄らいでいくのではないでしょうか。


生きていれば不安は自然と沸き上がるものですよね。もう不安はあるもの(笑) だから、それはそれでいい。けれど、その不安を定義し、自分のこととしてどう解釈するかで変わってくるのではないでしょうか。


時間は限りあるものです。不安になるのが嫌だから、選択や決断をしない、先延ばししたいというのは、実は自分の人生にとてももったえない行為なのかも知れません。選択と決断を繰り返し、より良い人生を形にしたいものですね。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


三上