ピンクのワンピースと世界の泳ぎ方
くすんだピンクの、ニットのワンピース。からだに沿うようにぴったりとしたデザインであちこちに異素材のパッチワーク、ふとももをくすぐる人魚の半透明なヒレみたいなひらひらはシルクでできていた。
「こんな素敵なお洋服、いつ着ればいいか分かんないですよ」
私がそう言ったらKKは「そんなこと」と言わんばかりに「男ひっかける時に着ていくに決まってんじゃん」と笑った。ピースの煙たさと、イッセイミヤケのアーモンドみたいな匂いの香水が混じる。
そのワンピースを着て、缶ビールを飲みながら私はこれからKKを焼く火葬場からほど近い公園に立っていた。2019年4月20日土曜 午前10時すぎ。空気は乾燥していて、暑くも寒くもない。365日中364日不快な気候であると言っても過言ではない東京の、おまけの1日みたいな、最高によく晴れた日だった。
薄情に思われるかもしれないが、KKが死んでからも私は泣かなかった。それは「お葬式」というイベントと自分の悲しみのタイミングが合ってないだけかもしれないが、それ以上に……変な言い方だが……「KKは亡くなったけれど、私はKKを失ったりしていない」。そのことがほんとうに「はっきりと分かっている」のだ。だから、周囲の人に心配して頂くのが申し訳ないほど、おだやかかつサッパリしたり気持ちで今日まで過ごしてきた。
KKの訃報が花びらみたいに軽く舞い上がり、世の中に触れてまわったあの日、世間は奇しくも細貝圭一くんと峯岸みなみちゃんの熱愛報道で盛り上がっていたが、ツイッターでKKの本名を検索すると様々な職業、立場、名の知れた人からそうでない者までがそれぞれ彼女の死を悼んでいるのを見て、ふと私の周りの人たちのことを思い出した。児童精神科医の先生の話を聴き、心を震わせながら番組を作る者、京都で子に「パパ」ではなく「ボクモ」と呼ばれながらラジオを行う者、毎日インド人と喧嘩しながら終わらないディナーを回し続ける者、映像を、音楽を作り、酒を愉しみ、宴会を愛す者、教師、もの書き、DJ、主婦、呑んだくれ、精神病、独身、ゲイ、美女、猫好きetc etc…
KKは在学中からよく「私はあんたたちに“アーティスト”になってくれ、なんてひとつも思ってないわよ。ただ、立派なオトナになってほしいのよ」と言っていた。その時は、何を以ってして「立派なオトナ」なのか分からなかったが今なら分かる気がする。
KKから教わったこと、勇気、知恵、愉しみ方、(時には反面教師的な、「こうはなりたくねえ」というレベルのずるさ、怠惰さ、カンジの悪さまで…)そういう「KKの遺伝子」を受け継ぐ者たちが、ばらばらに飛び散って、刺激的かつ真摯に世界を見据え、欺瞞や虚栄に疑心を持ち、できる限り正確にものを語り、書き尽くそうと心を砕き、豊かな色あいで生きている人たちが、この世にはまだこんなにもいるということ。その事実が私にとって一番の希望であり、ほとんど「KKが生きている」ことと同義なのだ。
KKは「ケッコン」も「シュッサン」もしなかったけど、そういう意味では世界中のあらゆる人と契りを交わし、たくさんの「コソダテ」を、本人も気付かないくらい自然に、そして対価に見合わないくらいの真剣さと熱意をかけて一生涯続け、最期の時間で「自分であり続ける」ということはどれほど尊く、そしてどれだけ周囲に迷惑をかけることなのか、「自分で自分を終わらせること」とはいかなるものなのかを、みっともなさや辛さも含めて「教えて」くれた。
私はKKの「血縁者」ではないので「家族葬」にも行かないし、例えばKKの姓を「襲名」したりすることもないが、野に隣り合って咲く違う色の花々も同じいのちであるように、私は「KKのこどもである」と胸をはって言える。それを誇ることができる。
KK、あの世行きのタクシーの運転手さんが道に不慣れでも、「あなたは運転のプロだから運転手になったんでしょうが」とか理不尽にブチギレたりしないようにね。あと閻魔様との面談で、パイプ椅子にどっかり座って「てかさあ、そもそも質問の意味がまったく理解できないんだけど? あたくしあなたにそんなこと答える義理ある?」とか言って空気最悪にしないでね。あと、踏み倒したタクシー代が4680円分あるから、それ忘れないでね。また唐突に電話してきて、日本中どこでも出かけよう。皮までパリパリのローストチキンやニンニクのきいたスープや、できたてのさつま揚げを頬張りながら、喋ろう。KKの酒を途中から黙ってウーロン茶に替えるタイミング、まだ覚えてるから。
KK、bon voyage.
私にピンクのワンピースを贈り、
世界という海の泳ぎ方を教えてくれた人へ。
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