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作家・三浦綾子氏の元秘書から語り継がれる愛の物語

老眼が進んで困ったことは、大好きな読書が思うようにできないことだ。
ずっと視力が良くて、メガネの世界なんて異次元の出来事に思ってきたのに、40代後半からジワジワと暗雲が立ち込めて、ステイホーム中に一気に闇の世界(ともいえる)に入り込んでしまった。

米国生活のなかで、諦めなくてはいけない生活習慣はたくさんあるけれど、お風呂に入る習慣だけはやめられない。
早朝5時、家族がまだ寝静まっている時に、1人でのんびりと湯船に浸かる。「読みかけの本」を相棒に、1時間ぐらいゆっくり身体を温める。

1日のなかで唯一、誰にも邪魔されない至福の時間。
学生時代からずっと、わたしのリフレッシュ法の大事なひとつだった。

それなのに。
老眼が進むにつれ、本を読むことに躊躇するようになった。
目を酷使すると、持病の偏頭痛と緑内障が悪化した。
「趣味=濫読」というわたしの履歴書項目が、ひとつ消えていった。

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三浦綾子氏の作品に出会ったのは、大学生になってからだった。
小林陽子ちゃんという同級生がいて、彼女が自己紹介の時に
「氷点の陽子のように生きてほしいと父が名付けてくれた」と語り、
そこからわたしの「三浦綾子作品」の濫読が始まった。

「塩狩峠」で、命の尊さと自己犠牲について学び、
晩年の作品「銃口」で、思想弾圧を真面目に考えた。
三浦氏の作品が本棚にずらっと並ぶことが嬉しくて、バイト代をどんどんそこに費やしていた思い出が、けなげでまばゆい。

作品によく出てくる藻岩山をどうしても見たくて、北海道まで行ったら、思ったよりずっと小さな山だった。

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米国移住にあたり、たくさんの荷物を整理した。
思い出のアルバムも画集も、重たい物は全部処分した。

大好きな本もほとんど持ってこれなかったけれど、心に刻まれた作者からのメッセージだけが、一緒に海を渡った(と後から思う)。

障害を持った娘を散歩に連れて行くのが怖かった時、アメリカ人が気軽に普通に声をかけてくれることが、ありがたくもあり、不思議でもあった。
隣人を愛する、クリスチャンの精神が、そういった国民性を作っているのかもしれない。

学生時代は、ただストーリー展開が面白くて読んでいた三浦綾子氏の作品。
後になって読み返すと、あの時気付かなかった深い部分、人間に対する愛を、もっとたくさん学ぶようになった。

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「ミカさん、今度わたしの母の講演会を企画するので、参加してね」
ニューヨークで仲良くさせていただいている音楽家・宮嶋みぎわさんから
メッセージが届いたのは、今年の春頃だったろうか。

北海道出身のお母様が、三浦綾子氏の初代秘書でいらしたというのだ。
みぎわさんにとっての三浦綾子御夫妻は、「綾子おばちゃん」と「光世おじちゃん」であり、彼女のお母様・宮嶋裕子さんは、物語を創作する綾子氏に一番近い場所でその姿を見続けていた。

二つ返事で参加表明をして、いつかいつかとその日を楽しみにしていた。

コロナで開催時期が遅れてしまったけれど、過日、2回に渡ってオンライン講演会が開催された。

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三浦綾子氏の秘書になったきっかけや、創作活動中の様々なエピソードなど、講話の内容は盛りだくさんだったけれど、
参加者の多くは、宮嶋裕子さん御本人の生き方や子育て論に惹かれ、
後半の質疑応答も、そこにまつわるストーリーで盛り上がった。

みぎわさんを含めて3人の子育てをしていくなかで、三浦綾子氏からいただいたメッセージ。

「命はすべて神様が与えた個性」
「欠点は見方を変えると長所になる」
「できるだけ肯定的な言葉で話しかける」

三浦綾子氏が敬虔なクリスチャンであったことは周知の事実だが、裕子さんもその教えを受け継ぎ、素敵な子育てをしていらした。

何よりも説得力があったのが、講演を聴きたいと参加した聴衆の多くが、娘のみぎわさんのファンであったこと。
彼女のような娘を育てたお母様の話を聞いてみたいと思うのは当然で。

講話の間ずっと、お母様を「ママちゃん」と呼び、つい脱線しそうな話をきちんとモデレートするみぎわさんとの呼吸も完璧だった。

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裕子さんが語る。
「3人の娘を同じように愛せるか。答えはイエス。平等に愛を与えられる。しかし、相性というものはある。」

これが、子育ての真髄、そしてヒントなのかもしれない。

子育てに、正解はないと思う。
近くにいて四六時中見守っていることができなくても、母としての愛は変わらない。


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