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恋焦がれる人生が時に羨ましい

他人に期待してはいけないという意識は、おそらく小学校高学年の頃に芽生えていた。母親に直接説かれたような記憶もなんとなくあったりなかったり。

恋愛なんて相手に期待する不毛なものだと頭で考えつつ、恋に悩み、実ったときに喜ぶその過程を楽しめる人を羨ましく思うことがある。もちろん、そんなうまくいくことばかりじゃないのは重々承知である。

一番信頼していた人から人生で一番傷つく言葉を言われたときの悲しみは、今でも新鮮で思い出すと泣いてしまう。この人は味方だと思っていても、一番自分を傷つけることを言えるのもこの人。その言葉に反論しても、共感してしまう自分が情けない。

絶望も感じつつ、傷つくようなことを言われる自分が惨めに思えることは言うまでもなかった。信じるのはこちらの勝手だが、期待なんてもってのほかだ。

中学生の頃委員会に入りたい人がおらず、女子全員が廊下に出されて担任からひとりずつ名指しでやりませんか、と言われて自分の番がくる。嫌だけど良心が働いてうなずいてしまうタイプの人間だ。自分にも期待できないのに他人なんてもっと信じられない。

自分にも期待できないし、第三者が絡むなんてもっと面倒。東京は駅を降りれば可愛い子がたくさん歩いているし、自分なんて、と思わずにはいられない。恋愛市場なんて自分を売り込んでなんぼなのに、それが気持ち悪い。でも羨ましい。単純に誰かを好きになって、交際する。その辺を歩いていると見かけるカップルを経験したかったが、どうも適性がなさそうだ。

被害者意識が強いと言えばそうだし、期待しないようにしようとしている時点でそもそもそれが期待なのではないかという気もする。どっちにしろ、こんなことを言っているようでは恋愛は無理そうだ。


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