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「仕事」という概念から考える自然と人間の関係

農家の娘です。自分の備忘録のような感覚で、自然と人間の関係を考えるシリーズをはじめます。

第一弾は、「仕事」という概念から考える自然と人間の関係。

皆さんにとって、「仕事」とは何でしょう。

・生きていくためにお金を得る手段

・社会のために貢献する手段

・自分のやりたいことを達成する手段

色々あると思います。

昔の「仕事」とは、自然との営みだった

現代の仕事の意味合いは、ほとんどの人は、根底に「稼ぐ手段」というのがあると思います。

しかし、自然と人間の関係の歴史(山村を中心に)を学んでいる際に、「仕事」の意味合いが現代と昔で異なることが分かりました。

昔は、仕事には2つの種類があったそう。

現代でいうお金を得る手段としての行いは、「稼ぎ」と呼ばれ、

「仕事」人間としての営みのことを示していた。

昔、「稼ぎ」とは、他人のところで働き、お金を得るためにする行いのこと。なので、出稼ぎという言葉があるように、定期的に隣町や稼ぐことができる街に出て、他人のために自分の身体を動かしてお金と交換することだった。

そして、「仕事」とは、

人間として生きるために必要な営みのこと。例えば、それが山の木を育てる仕事、山の作業道を修理する仕事、畑の作物を育てる仕事、自分の手で家や橋を修理する仕事、そして寄合いに行ったり祭りの準備に行く仕事、即ち山村に暮す以上おこなわなければ自然や村や暮しが壊れてしまうような諸々の行為を、村人は『仕事』と表現していた。(自然と人間の哲学)

が人間としての「仕事」だったのです。昔の「仕事」は、自然と密接に関係しあい、お金を得るための手段ではなかったのです。

お金を得るための仕事(他人ごと)=稼ぎ

人間としての営み(自分ごと)=仕事

と2つを全く切り分けて生活していた歴史があるのは、とても考えさせられました。

昔の「仕事」の価値観の変化

そしてそんな昔の「仕事」と「稼ぎ」を切り分けて生活していた人間ですが、徐々に2つが混同しはじめます。

何が起こったのかというと、

今まで、自分たちが街に出て、外へ出稼ぎに行っていたのが、自分たちが動かなくても、自分たちの村に「稼ぎ」がやってきたのです。

それが例えば、営林省の下請けなどの伐採作業などのよう。村人にとって、同じ「仕事」の作業とはいえ、主体性を失い、他人のために貨幣との交換の作業のため、「稼ぎ」になるのです。その後、「稼ぎ」が多い方がよしとされる文化となり、村人にとっての、人間の営みである「仕事」が気づかぬ間に、「暇しごと」となってしまい、現代に至る。

SDGsが今、最近の流行のように叫ばれているけど、村では当たり前の、人間としての仕事だったんだと感じます。田舎に住む人間として、近くのおじいちゃんおばあちゃんたちが、今もわらじを編んで届けてくれたり、柿渋塗った手作りの籠をくれたり、村には人間として、自然と生きるヒントがたくさんまだ残っていると思う。私の農家の娘として、農業という観点から、人間として大切なことを掬い上げてアップデートしながら残していきたいと思う。

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