見出し画像

故郷が教えてくれたこと

3年ぶりの帰省をした。

飛行機で飛べば1時間と少しであっという間の函館が、コロナ禍になってから随分遠く感じてしまった。いつでも会えると思っていたはずの父に会えない日が続いた。私が帰省して若くない父に何かあったら、東京からの帰省者は北海道民にとっては迷惑なのでは?そう考えているうちにドンドン時間が過ぎてゆく。

今まで何度も帰省を繰り返してきたけど、「親孝行とお墓参り」それは、どこか義務にもなっていた。その証拠に東京に戻るといつもホッとしていたし、やっぱりこっちの方が気楽だとも思っていた。

今回の帰省はそんないつもの義務とは大きく違った。父に会いたい!実家前の海が見たい!お墓参りがしたい!と、心から欲していたし、更に今までほとんどしなかった観光も計画してワクワクしていた。函館情報満載のインスタをフォローして行きたいところ食べたいものをシミュレーションして、まるで旅行客。

娘が途中から合流することになった。これも初めての事。何度も小さな娘を連れて帰省を繰り返してきたけど、おじいちゃん孝行と親戚へのご挨拶。娘にでさえもやっぱり義務づけていた。そのせいかいつからか、自分から進んで函館へ行きたい!とは言わなくなっていた。約13年振りの今回、初めて「私も行きたい!」と有給を使って自分のお金で母の実家へきた。


話を戻して、空港に迎えにきた父と

3年ぶりの再会。

いつものように到着ロビーに父の姿を見つけたとき、助手席から函館の街を見たとき、心がどんどん溶けていった。何度も何度も深呼吸した。取り止めのない会話をしながらも運転する父からワクワクが伝わってきた。今までの私は気取っていたのか?独特のイントネーション(方言?訛り?笑)で話す父にも、私なりの東京弁で話していたけど今回は違った。会った瞬間から「思ったより寒ぐないべさ〜⤵︎」「車乗り換えたのがい?⤴︎」方言丸出し、すぐさま函館の人、お父さんの娘になった。初日の夜はお決まりのお店で一緒にお寿司を食べて父はご機嫌に過ごした。いつもは夜8時に寝ると聞いていたのに、この日は12時を過ぎるまで起きて話が止まらない。それでも、まだ寝たくない様子から私の故郷帰りを心から喜んでくれていることがわかる。


翌日


私は親友との再会。私達は笑ったずっと笑った。あの頃の高校生の時みたいに。心地よくて恋しくて楽しくてずっと話した。この日は偶然にも親友のお誕生日。うっかり帰省に気を取られ忘れていた事を冗談混じりに親友は少し責めたけど、そんな事さえ本音で言える関係を私達は37年かけて作れたのかも知れない。かけがえのない人が愛してくれる人がここにもいた。楽し過ぎる時間だったけど、52歳の娘は父が待っていると思うと、夜9時には帰った。学生の頃でさえ、こんなに早くに帰らずに心配させる事もあったはずなのに少しでも寝る前に一緒に話して晩酌に付き合いたかった(私はお水や珈琲だけど…それだけは飲めなくてごめんね!って感じ)とても穏やかで優しい顔の父と、毎日いっぱい話して、取り留めのない日常を過ごした


父79歳。娘52歳。孫31歳


私と父は、娘を空港まで迎えに行った。13年ぶりの孫との再会を到着ゲートで待つとき、父は急にトイレに駆け込み、逆に娘に出迎えられてしまった!(なぜこのタイミングで?緊張して急にもよおしたのか。。。笑)

3人になって、父は更にテンションが上がった。娘の荷物をトランクに載せ、まずは海岸通りを小一時間ドライブしながら父の実家のお墓参りをした。牧場で朝の函館牛乳を飲んだ。スマホで写真を取り合う私達の中に入って「どれ!ジィジも一緒に撮るべさ」って写真に収まった。昔は写真も嫌い無関心だっだはずの父が一緒に同じリズムで楽しんでいることが分かり私は更に訛った。2人の方言を聞きながら娘が笑う!父はもう運転は億劫だと言っていたのに、孫を函館観光に連れて廻った。函館の海を見渡す八幡坂、旧函館公会堂、立待岬、夕日の見える外人墓地。何十年振りだと言いながら何時間も運転してくれた。夜は函館山からの夜景も見た。



最終日前日の夜


家でジンギスカンをすることした。父は孫のために奮発して蟹を買って、食べやすいようにそれはそれは丁寧に下拵えをして始まった夕飯。父はいつもより早いペースで飲んで酔っ払った。何度も何度も同じ話を繰り返す。嬉しさが伝わり微笑ましいけど私は滞在6日目。そろそろ本音が出る頃「酔っ払いは面倒くせーな」滞在2日目の娘はおじいちゃんの話しに一生懸命に頷いてる。私は「ごめんバトンタッチよろしく!」って心の中で呟いてスマホいじった時、父が言った。「美加が来て本当に楽しくて、更に○◯が来てテンション上がったんだ〜、酔っぱらってごめんなさいね」って。「酔っ払って、ごめんなさい。ごめんなさい。」って何度も何度も言った。娘は「そんな事ないよ飲んでいいんだよ」って答えてる。そう!私は子供の頃、お酒を飲む父があまり好きじゃなかった。もちろん暴れる事などないけど、あの酔っ払い独特の呂律の回らない話し方や拗さが無償に嫌いだったし、そこから夫婦喧嘩に発展する事もあったせいか、父がお酒を飲むのは好きじゃなかった。でも父の口から「お酒飲みすぎてごめんなさい」を聞いた時、まるで小さな頃の私に謝ってくるようで何とも言えない気持ちになった。胸が苦しくなった。スマホを見ながら泣けた!私が思う以上にお父さんは私を見てたし知ってたんだ。


最終日


私達は朝早く、家の前の浜を散歩した。貝を拾ったりカモメの声を聞いたり、父の知り合いに会って立ち話したり、ゆっくりゆっくり3人で歩いた。話した。一緒に写真を撮った。お願いだから私達が帰ったあと寂しくならないで!フェイドアウトしないようにギリギリまでその瞬間を普通に過ごした。


空港へ


荷物を積み父の運転で、東京より1ヶ月遅れで咲く桜を見ながら、朝は白湯を飲むこと、なるべく多く水を飲むこと、TVを観ながら足指体操することなどを話した。父は私のアドバイスに「はい!そうだね。そうだね」ってしっかり記憶に刻むように答える。マスクが助かった。


空港に到着


数年前から車寄せで降りてバイバイすることにしている。昔出発ロビーで見送られ振り返った時、父の目に潤む涙を見た時から、私の後ろ姿を見せないようにそうしている。「せばね〜、またくるからね!帰りの運転気いつけてや〜」「うん、せばね!!」いつものパターンで気持ちを切り替えお土産を見る。そのはずが。。。今回は違った。父の運転する車を見送ったあと、突然滝のように涙が溢れた。娘が私の背中をさする。

「また来ようね」
「またここに帰ってこようね!」



東京へ到着

最初に書いたようにここで何となくホッとするはずが。。。またいつもと違う。切り替わらない。寂しくてUターンしたいくらい心が函館から東京へ戻らない。帰りたい。行き交う人混みも、みんな前を向いて颯爽と歩く姿も、軽快な東京の言葉も、今の私には別の世界の人みたい。たった1週間で私は田舎仕様になったのか?東京の方が住んで長いのに。。。自分のマンションにたどり着いた時、さすがに「はぁ〜やっぱり自分の家がいいわ〜」って思うかと思いきや、いや、やっぱり思わない。おかえりの声も今日何食べる?も聞こえない。あれ?52歳のホームシックを今さら経験した。38年前、実家を離れたあの時と少し違うホームシック。


東京二日目


マンションから見える朝の東京の景色を見ながら、大丈夫??私??って確認しながら足速に電車に乗る。便利で不便な東京。電車に乗ってもずっと故郷を想ってしまう。そんな時、マネージャーさんからお帰りなさいのメールと共に、バタバタとお仕事の連絡。二日後にはドラマの撮影。北海道で食べ過ぎた調整をするため慌ててピラティスへ。女優スイッチが入ったその時、シックから解放されそうな気がした。それは御先祖様からのメッセージだった気がする。

「東京で頑張りなさい!」

私はここ東京でやることがある!
まだ挑戦したいことがある!
そしてまた新しい風と共に故郷へ帰ろう。


故郷が教えてくれたこと


ここには無条件で私を愛してくれる人がいる。私を待ってくれる人がいる。私は北海道函館で産まれて、七重浜という街で育った。私のルーツはここにある。昔私は父に愛されていないと思っていた。いつも寂しかった。でも私はずっと愛されていた。ずっと。


故郷から教えてもらったことを記憶に残してたくて文章を書きました。最後まで、読んでいたありがとうございました。


皆さんの故郷はどこですか?
地方でも東京でも思い出でも、そこがきっと皆さんの心の故郷なのではないでしょうか?



三木美加子☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?