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人生に必要なのは情熱

子供が生まれてからはもっぱら育児本を読んでいる。図書館で「○歳までの子育ての教科書」「男の子を伸ばす母親」「自立した大人になるための○○の方法」と見ればそのコーナーにはいくらでも佇んでいられる。

育て方や躾だけでなく英語や算数脳、国語力などのワードにも敏感で、書かれていることで納得したり、良いなと思ったものはどんどん実践したりする。

そしてそれが我が家のライフスタイルに融合し定着していったりすると、こうやって親が何かを始めることでその家のやり方ができていくのだと実感する。

そして親の考え方や選択って子供にとって影響が大きいことだなと少し肩が重くなる。

そんななかで「これは」と思う本に出会った。

https://honto.jp/netstore/pd-book_29258621.html

ボーク重子さんの『「非認知能力」の育て方」』

娘さんが2017年に「全米最優秀女子高生コンテスト」で優勝したことで、その育児方法にスポットライトが当たった。

知る人ぞ知るのかもしれないけれど、私が知ったのは今年になってからだった。

本の内容は具体的な子供との向き合い方や、親としての在り方など。どれもとても参考になったけれど一番打たれ、心の景色を変えたのは最終章の

豊かな人生には「パッション」が必要

というところ。

人はいったい何のために生きるのでしょう。それは幸せを感じるためではないでしょうか。でも、自分だけが幸せでいいのでしょうか?自分だけが良ければいいという人生は虚しいものです。自分の行動が誰かのためになり、誰かを笑顔にし、より良い社会のためにやくだつーーそんな大きなビジョンを持ったとき、人はより大きな幸せを感じるのではないでしょうか。自分が情熱をかけられるもの。何より大好きで、夢中になれるもの、そしてそれは自分以外の誰かのためにもなるーーそれが「パッション」です。

 切実な責任感にも似た気持ちで、子供たちには学校の宿題以外にも毎日必ずやる課題のようなものをいくつか与えている。

勉強は積み重ねが大切だし、自学自習の習慣はなるべく小さい頃からつけるのが良い。自分や夫がしてきたような遠すぎない未来の受験を見据えてなんとなく準備をしている。

そう思って、なるべく楽しい雰囲気で勉強っぽくなりすぎないようにお母さんと一緒にテーブルを囲む。全部合わせても集中すれば30分もしないで終わるものだ。

でも子供たちは他にやりたいことがあったり、気分が乗らなかったりするときがある。なだめたりすかしたりしてテーブルに向き合わせるなかで苛立ちと沈めていた迷いが心の奥から浮き上がってくる。

本当に私のやっているこれは合っているのだろうか?

私たちのような受験。

私たちのような人生。

自分の人生に後悔はしていないつもりだ。

受験勉強もつらいときはあったけれど

学校で出会えた友達は宝物といっても言い過ぎではないわけだし…。

この道であっているのかという疑問と、今それなりに満足してるんだからまぁいいじゃない、自分の通った道だから少しは心配事も減るし、という気持ちとで頭をモワモワさせながら、子供たちにプリントを解かせる毎日。

話は変わるが、息子たちは野球が大好きだ。

ありがちに野球選手になりたいという。

とにかく好きで好きで公園での練習姿や、プロ野球中継の観戦、順位のチェックなどに余念がなく兄弟で生き生きと話す姿を見ていると、このままで居てくれたらと思う。さすがに「星陵高校に入って甲子園いきたいから石川県に移住したい(長男)」と言われたときには、「いやいや、おとうさんとおかあさんのお仕事どうすんの」とすぐに否定してしまったけど、現実と夢のはざまで揺れ動く親心もあり。

「どうやったらプロ野球選手になれるの?」と聞かれ真剣に調べたりする一方で、野球選手なんて夢のまた夢と思いながらも「メジャーにいくとき必要になるかもしれないから英語がんばろ!?」と英語学習をいやらしく勧めてみたり。(メジャーにはいかないからいい、と拒否されましたが)

週に一度の習い事の野球教室くらいで、親族にスポーツ選手がいる血統というわけでもないし、まあ普通に…なれないだろうと思う。

ボークさんの本には

パッションでは食べていけない?

と語られている部分がある。

娘さんがバレリーナを目指していたけれど、「それで食べていけないからやめなさい」とは言わず「どうやったらバレエを続けていけるか」を考えたのだそう。

好きなことで食べていくにはどうすればいいか?そのためにはそのパッションを支えていける副業があればいい。だけど教育がなければ副業の選択肢は狭まります。

「学歴や収入を得て、趣味として好きなことをする」形態と最終的には同じなのかもしれないけれど、この考え方を知ったことでそこへたどり着く道から見える景色は大きく変わる。

こうもすんなりと納得するものなのか、と私の目からはポロポロと鱗が落ちた。

ほしいのは国語力でも算数脳でもなく、

そう、私たちは好きなことをするために生きている。

それで人の役に立ったり、笑顔になってほしいと思っている。

好き=情熱(パッション)はそれほど大切なのだ。

これだったら、私は息子たちに胸を張って情熱を追いかけろ!と言えるし、それを続ける準備としての勉強なら自分のモチベーションもキープできそうだ。

だって、いやだから。

大きな会社に入っても、家族の顔を見られないくらい身も心もボロボロになって働くなんて。一緒に子供の成長を見られないなんて。

子供たちには夢中になれるものを見つけて追いかけていってほしい!

そしてね、私。

私にも情熱が必要よ。

どうした?

かつて外国まで行ったあの勢いは?

今は何にパッションをぶつけたい?

少しでもやりたいことに近づいていこうよ。

去年あたりから私の周辺で「癒し」というワードがよく現れる。

noteでもそういう記事を書いている人のところへ足をはこんでいる。

自分が癒し(ヒーリングや鍼治療)を受けたこともあるし、あなたと話すと、またはあなたの声を聞くとなんだか落ち着くと言ってもらったりしたこともある。

家族が行ってきますとでかけるときに金色の光で守るようなイメージをこっそり送ってひとりで悦に入ったりしている。

昔からなんとなーく興味があるのは医食同源やツボ、肌に触れることによる心と体の解放。

このへんかなあ?

このへんなのかなあ?

もう少し心の声によく耳を澄まそう。

きっと近づいている✨

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