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【思想】階段の下り方

おはようございます。

今日は”階段の下り方”のお話。

よくスキルアップしたり成長する例えで、
”階段を登る”と言ったりします。
ステップアップというやつですな。

どうやって一段一段登るのか、
はたして登れるのか、
途中で落ちちゃったりしないのか、
”3歩進んで2歩下がる”とは、
本当にうまいこというなぁと思います。

前進しよう!と登っていこう!は、
努力の中ではほぼほぼ同義ですが、
私は登っていく方が性に合っていたりします。
出来なかったことが出来たら一段上がれたかな。
いや、完璧でもないから片足はまだ届いてないかな。
両足でジャンプして登ってみようかな。
でも高さが足りなかったらすってんころり。
ずーっとそれを繰り返すのはときに疲れるので、
一休み、一休み。

前進後進になるとどうでしょうか。
つまずいてもすぐ立ち直れます。
こけても落ちたりしません。
山に向かって前進しているなら階段と似ていますが、
目的地まで地平線で、
たまーに遮蔽物とかがあるんでしょうか。
”壁に差し掛かる”と言ったりもします。

どのみち、”進む””登る”ということが努力になります。
まぁ…壁なら破壊すれば…とか発想次第では…
山に登るにもヘリコプター使えばいいやんとか、
そういうのはもはや”運が良い”とか”奇跡”の話なので、
今回は割愛。

さて、”努力”ってなんなんでしょうか。
前進後進で考えれば、
足腰が強い人は他の人を置いてスイスイ進んでいきます。
足腰が弱い人は遅くても良いから一歩一歩前進します。
一人で進んでいくのも良いですが、やはり壁に出会います。
一人では解決できないので足腰が弱い人を待ちます。
いやいや、待つのではなくて手伝いに行かないと。
これが”協力””足並みを揃える”ということです。
義務教育中の道徳でしっかり学ぶことだと思います。

しかし現実は残酷です。
足腰の弱い人はどうやって助けを求めるか。
「私は人に迷惑をかけてしまうから…」となれば、
強い人は励ましてくれます。
一緒に頑張ろうよ。と。
先はそんなに険しくないから自分のペースでも良いから頑張ろう!
一緒についていくから安心して!
そんな美しい話ばかりではないのが現実。

「そもそもあなたは足が速いから良いよね」
「私の苦労なんて分からないよね」
「もう放っておいてくれ」
これが10年20年続くと、
足の速い人間はどうするのがベストなんでしょうか。
早くその人を見捨てて他の人と組むのがベストなんでしょうか。
そりゃ見捨てて足の速い人は足の速い人と組めば、
先々の苦難に挑戦できます。
しかし、”仲間意識”があると罪悪感が生まれてしまいます。
「あの人、あれから大丈夫だったのかな」
「あのとき自分が助けれたらな」
本当に、残酷だなぁと。

で、タイトルの”階段の下り方”。
”進む”や”登る”ことが努力なんだと思いがちですが、
”戻る”や”下る”ことも努力なのかもしれんなと。
”人を助ける”ということはとても良いことですが、
「私は人を助けたんだ!」とかが良いとかそういう話ではなくて、
自分の意思で”人を助けなきゃ”と努力することこそ、
美しい話なのかもなと。

「ほら、わざわざ戻ってきてやったぞ」
「ほら、私は役にたつだろ?」
という概念ではなく、
全て自分の選択で、
「助けたいから助けた」
という素直な考え方の方が、
事は綺麗に進むのかなと。

お盆の朝に何を言ってるんだろうと。
ただ、”自分の思っている綺麗な気持ち”って、
迂闊に扱うと、
それ以上に残酷なことになるなぁと。
ツラツラでした。
読んでくれてありがとう。

よいお盆をお過ごしくださいまし👋

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