大学で友達ができなかったこと

4年制の大学に編入してから卒業するまで合計で3年間大学に通った。前期後期だけではなくサマースクールという夏期に開かれるクラスもとっていたのでほぼ1年中大学に通っていたことになる。

そんなに長く通っていたのに大学で知り合えた友達と呼べる人はひとりだけだ。その彼女とも現在はフェイスブックでかろうじてつながっているだけの付き合いになってしまった。

大学生活って自分のスケジュールに合わせてクラスを取っていくのでいつも同じクラスメートが授業に来ているわけではない。おまけに授業の合間は図書館かカフェで常に勉強。予習や復習をがっつりこなさないと良い成績は残せない。質問などで教授を訪ねることも少なくなかった。大学は勉強をするだけのところになっていた。

多分クラブとか留学生の会みたいな課外活動に参加していたらもっと友達ができたのかなと思う。ボーイフレンドが大学以外の場所にいたことも要因の一つだろう。余暇の時間は彼と映画やハイキングに行ったり、船酔いするのにもかかわらずクルーズに連れていかれたりの生活だった。ウインドサーフィンにもはまっていたので、冬以外は時間を見つけてはセーリングクラブに行って海に出ていた。

おまけにクラスメートは18歳から20代前半が中心だった。30代の後半に近づきつつあった私とはあまり共有できることはなかった。高校を卒業してすぐに大学に入らない人は多いけれど、30歳を超えてから大学に入る人たちは少数派だ。20代のうちに学位をとってしまわないと、あとあとのキャリア設計に不利に働いてしまう。遅く始めれば始めるほど、学費を払うための学生ローンの返済も厳しくなる。

そんなわけで3年間でできたたった一人の友達は30代の日本人女子だった。彼女はアメリカで結婚して離婚したあとに大学に入りなおした。なんとなく似たような境遇だったけど、違ったのはアメリカに住むことのできるグリーンカードという永住権を持っていることだった。アメリカ人との結婚によって得たものだ。日本にはもう何年も帰っていないということで、日本語と英語が会話でごちゃまぜになってしまう人だった。

もう一つの違いは彼女が真剣なクリスチャンだったこと。聖書の勉強会とかに参加するくらい真剣だった。その後再婚して、夫と2人で自分たちの教会まで開いてしまった。

彼女は私に宗教を押し付けることはなかったので、友達として付き合うことができた。彼女を通じて教会の仲間とも知り合いになった。みなとてもよい人たちで、ディナーパーティなどに招待してくれた。ご飯の前にみなでお祈りする以外はふつうの食事会だったけど、会話のあちこちに神様のことが出てくる。アメリカで真剣に宗教を信仰している人たちとかかわるのは興味深かった。自分たちの行動はほぼすべて神様の教えに従っているかどうかで判断されていた。すごいことだ。特定の宗教を信仰していない私にはできないことだけれど。

宗教は居場所を探している人にはとてもよい仕組みだなと思う。人間は自分の居場所が必要なのだ。私にとって大学は自分の居場所ではなかったけれど、セーリングクラブが私の居場所だった。大学の帰りに部活のように通うところだった。彼女にとってはキリスト教の教会が居場所だったのだろうと思う。私と同じように大学で親しくしている人はあまりいないようだった。でも教会という居場所があったから、大学を自分の居場所にする必要がなかったのだ。

アメリカ生活でどこにも居場所がなかったらどうなっていたんだろう、とふと思う。多分ものすごく寂しかったはずだ。高校を卒業していきなり留学して、寂しさから日本人なかまと集って英語が大して上達しない語学学校の若い日本人を多数みてきた。

大学ではあまり日本人に出会うことがなかったけれど、若い子たちは居場所を見つけることができたなのかな、と余計なお世話だけど考えてしまう。大学では友達ができなかったけれど、大学以外で居場所があったから寂しさにめげることもなく無事に大学を卒業することができたのだろうなと思うのだ。

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