慰謝料が入った!4年制大学へレッツゴー

短大での前期が終了した(私の通った短大ではセメスター制といって1月から5月までの前期と9月から12月までの後期に授業を取ることができる)。とった科目の全てでまあまあの成績をおさめることもできた。奇跡のようだった。それだけ勉強に没頭したのだ。

中学高校とまともに勉強したことがなかった。人生で初めての猛勉強だった。やってみればかなり面白いものだ。短大の学位をとってアメリカで仕事先を見つけようという計画があったから勉強する気になれたのだ。それまではなぜ勉強しなくてはいけないのかわからなかったし、勉強に全く興味がなかったのだ。

こうして前期が終わったところで素晴らしいニュースが舞い込んだ。離婚が成立して慰謝料が入ることになったのだ。

日本を発った時、私は夫から渡された離婚届けにサインをしなかった。急いで離婚を成立させる理由はまったくなかったからだ。今離婚届けにサインなんかしたら、元夫はさっさと浮気相手と結婚してしまうだろう。そうは問屋がおろさないのだ。サインをしてもいいかなと思うときがくるまでほっておこう。こちらはすぐに結婚する予定なんてなかったから、離婚するのはいつだってよかった。

すべてを弁護士さんにお任せして離婚届はそのままにアメリカへ発った。女性の弁護士さんは、離婚のことは何も考えなくていいから、アメリカで思いきり楽しんできなさい、と私のアメリカ行きの背中を押してくれた。
あれから1年、弁護士さんの手腕で裁判沙汰にならずに慰謝料をしぼりとり、離婚が成立した。

正直いって裁判なしで慰謝料が取れるとは思っていなかった。かといって裁判を起こして元夫と再会するのも嫌だった。なので、慰謝料は予定していなかったサプライズなお金だった。離婚直後のつらかった時間はこのお金を手に入れるためのバイトだったのだと思うと気持ちが一気に軽くなった。

経済的に安定したことで、私のアメリカ生活は想定外の新しい方向に進むことになった。それは短大の学位ではなく4年制大学の学位をとるということだった。4年制の学位があるほうが就職に有利なのは一目瞭然だった。アメリカはかなりシビアな学歴社会なのだ。

短大に在籍しながらさっそく当時の学力と英語力で編入させてくれる大学を探すことにした。

問題だったのは、高校の内申書と留学生の英語力をはかるTOEFLというテストのスコアが低すぎることだった。学校での勉強をほぼしていなかったので、高校の内申書はひどいものだった。正直いってよく卒業できたなあというレベルだ。こんな低い内申書で編入させてくれる大学があるのだろうか。

そしてTOEFLのスコアもあまりよくなかった。例えば超一流大学などではTOEFLはほぼ満点近くが要求される。私のスコアはぎりぎりでどこかの大学で受け入れてくれそうなものだった。文法が基本的にできていなかったので、一番苦手なのが英文法だった。

とはいってもあきらめるわけにはいかない。下宿先のロバータの家から通える範囲で学費の安い公立大学、そして私の低いTOEFLスコアでも受け入れてくれそうな大学を2つ見つけ出して願書を提出した。

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