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アメリカにイザ出陣!

わが家は父が英語の教師を目指していたせいか、
兄も英語は大の得意。

わたしが小さい頃は、自宅で兄とアメリカの子ども
向け教育番組「セサミストリート」を見ていました。

ある時、兄は通っていた高校を退学するということ
を誰からともなく耳にしました。

悪いコトでもしたのか?
10も歳の離れたわたしには、どういうことなのか
良くわかりませんでした。

(おにいちゃんは何か悪いコトをしたんだ)

そんな悪い兄を持ったと思い込んでいたわたしは、
ひとり悶々としていました。

けど、実はそうではなかったのです。

兄がアメリカに行くことになったことを
両親から聞かされたのです。

(どうしてアメリカに行くんだろう?)

意味がわかりませんでした。
気になって仕方のないわたしは、
毎日両親の会話に
耳を澄ましていました。

そんなある日曜日のことでした。
私は花火大会の日でもないのに、
おばあちゃんに浴衣を着せられたのです。

(浴衣を着せて貰えるなんて、どこか連れて行ってもらえるのかなぁ?)

そんなことを思いながら、
おばあちゃんや両親に
聞いてみたかったのですが、
皆なぜか慌ただしくて
声をかけることが出来ませんでした。

ただ、浴衣を着て、
家族がバタバタしているのを
退屈に眺めていました。

すると、いつの間にか、
いつも写真を撮りに行くお店のおじちゃんが
大きなカメラを片手にやってきました。

「こちらです。今日はお願いします。」

いつの間にか、
応接間のテーブルセットの位置が
変えられていました。

(これではいつもとソファーの場所も違ってるし、写真屋のおじさんは座ることができない)

そんなことを考えていると
日本刀を片手にしたおじいちゃんが
和服姿でやってきました。
あとに続いておばあちゃんも、
いつの間にか着物に着替え、
歩いて来ていました。

物々しい様子に、わたしはいよいよ
何が起こっているのかわかりません。
すると兄がやって来て、あっという間に
父も母も全員が勢ぞろいしていました。

(写真屋のおじさんは、ソファーにかけることも出来ずにどうしてるんだろう?)

振り返って見ると、
昼間なのに応接間のシャンデリアがつけられ、
やわらかな光を放っていました。
すると、写真屋のおじちゃんが前に出てきて、
三脚を設置し始めました。

(写真を撮るのだ!でもなぜ皆ものものしくしているのだろうか???)

わたしには理解が出来ません。
今度はおじいちゃんの声が聞こえてきました。

「日本の恥にならんように、皆しゃんとせいっ!」
「姿勢を正して、シッカリ前を見るんじゃ!!」

(おじいちゃんはいったい何を言ってるんだ?)

日本刀を脇に置いたおじいちゃんを中心に、
家族はソファーに腰掛けたり、正座したりと、
写真屋のおじちゃんの指示に従っていました。

その間もおじいちゃんの ”喝” は飛びます。

そして撮影は終わり、
写真屋のおじちゃんは帰って行き、
父は応接間のソファーを
元に戻したりしていました。

(結局、今日はなにが起こっていたのか?)

すると、おばあちゃんがやってきて、

「浴衣を脱ぐよ」

とあっと言う間に脱がされました。
どこかにお出かけはないのだ
ということはわかりました。

それから数日後、
写真屋のおじちゃんは、
またおうちにやって来ました。

「よぉ撮れとるけぇ、これで大丈夫じゃ!!」

わたしも
大人が見ているその写真を
横から覗いてみました。
そこには
わたしもヘンな不審そうな顔をして
写っていました。

(あれだ!あの時に撮った写真!!)

写真なのだから、
撮影した時の恰好と同じなのは
当たり前なのですが、
祖父は、着物を着て脇には日本刀、祖母も和服。

両親や兄も何か違和感のある気難しい
顔をしていました。

そして全体の構成が、応接間だったこともあり、
下には絨毯がひかれ、
上には暖色系のシャンデリアが
ぼんやりと輝いていました。

それはまるで、明治時代にでもタイムスリップ
したかのような変な写真。
西洋文化が入って間がない頃の日本のような構図。

わたしはここでようやく
事の真相を知るコトになったのです。

「これでアメリカのホストファミリーにも家族の説明が出来る!」

祖父はそう言っていました。

どうやら兄はこれからアメリカに行くのは
悪いことをしたからではなく、
留学をすることが決まったということ。

生活は、寮ではなく、知らないアメリカの家族が、
兄を家族同然に
お世話してくれることになったらしいこと。

だから、
兄の家族をアメリカの家族に紹介するために、
どうやら祖父の発案により、
家族写真を撮るコトになったらしいこと。

しかし、なぜ家族がシャンデリアの下で、
着物を着て怖い顔をして、
1人は脇に日本刀まで置いて写ったのか?

どうしても祖父がこうあるべきを譲らなかったのだ
というコトを後々聞かされました。

だから、海外では今も日本人は刀をさし、
ちょん髷を結っていると思われるのではないか。

わたしはそんなことを未だに考えてみたりします。

いまや、その恰好だけでなく、
写真屋さんにわざわざ自宅に来てもらってまで
家族写真を撮るなんてこともなくなっていますよね。

そう思うと、
何かトンチンカンな一家でありながらも、
良い想い出のワンシーンでもあり、
これもまたかけがえのないものとなっているのは
確かだと感じています。

~かおのことが気になるあなたへ~

分かりやすそうに見えて、
なにか掴みどころがないと言われるわたし。
他のnoteも手にとってみてくださいね。
そこにヒントがあるかもしれません。
大切にしてきたベースとなる考え方などお話しています。
どうぞこちらもご覧くださいね。


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