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乳がんになった私と夫に起こった気持ちの変化。 (#4)

夫は、静かに笑う。
私を見る時、とても優しくまるで観音様みたい。

外で面白いことはあまり言わない。
しかし、家族にだけは、へんてこなジョークを飛ばす。

私はそれが好き。

何か質問をすると大抵予想の斜め上いく答えで、おかしなことを言う。
学生時代は、「なにかしでかしそうなやつ」だったようだ。

30年近く経った今でもその期待は裏切らず、「なにかしでかしそうなやつ」のままで今のところ「しでかしたやつ」にはなっていない。

その普通では理解のしづらい性格(ある意味天才的な)が人間関係を難しくさせ、実家とも距離を置き、彼の人生の中でたくさんのことを苦労に変えてきた。

変わり者の私は、そのつかみどころのなさが気になりすぎて結婚してしまった。

結婚と同時に私の実家の会社へ転職した。

夫は父の会社のたくさんいる社員のひとりになり、私はさらにしがらみの中で生きることになった。

私は実家から逃げたかった。
けれど、なぜかそうなってしまった。

いや、なぜかではない。
実家の豊かさから離れられなかった、ただそれだけだ。

友人からは「マスオさんね。」と言われる。

全然ちがう。

マスオさんは最高に幸せポジション。
うちはマスオさん要素をぜんぜん持っていない。

形態こそマスオさんだが、中身が違う。
マスオさんって一家から受け入れられてる。マスオさんに気をつかってちゃんと話題振っているでしょ。家族から守られているわ。

結婚17年。

父の会社で夫は今日まで頑張ったきた。
会社で受けるたくさんの嫉妬をやり過ごし、毎晩、歯がすり減るほどの歯軋りをしながら生きてきた。

生きるためには仕方がないことだとすっかり思い込んできた。
固くなった頭は、他に人生の選択肢がないと決めつけていた。

私たちは二人で一緒の船に乗り、取り巻く世間の大波小波をなんとか乗り越えてきた。

そして、私ががんになった。

明らかに夫の様子が変わった。
私のがんをきっかけに何か吹っ切れたみたいに。

家族のために会社へ行っていた夫は、世界が会社以外にもあることに気がついた。
会社の評価が、自分自身の評価とイコールではないということにも気づいた。

仕事をどんなに頑張っても結局は、病気になればおしまい。
病気になって、楽しいこともできなくなって、なんのために頑張ってきたんだろ。

意味なんて何もない。

一生懸命働いてお金を稼ぐ。
人よりいい家に住んで、いい車に乗って
子供をいい学校に入れるためにムキになって勉強させて
それには大した意味がないってことを病気が教えた。

素敵な未来のために今を殺してなんになる。
私たちは今この瞬間を大切にしなくては、なんの意味もなさないと知ったのだと思う。

病気は、私たちを自由にした。

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