いっこうに身体が動いてくれない(こうして今日も世界はまわる)
今は昼どきだ。今日はパンを買いに行かなければならない。明日の朝のパンがない。
とりあえず空腹のような感じがするので起き上がる。テーブルの上にヨーグルトがある。朝作って食べずに置いておいたもの。それを食べることにする。
ぼーっと食べながら、周囲にあるものが目に入りなんだかんだと思考が巡る。あの書類、いい加減に処理しないと。あそこ片付けたい。あの人にメール送らなきゃ。やらなければならないことは山ほどある。
この「山ほどある生活の細々としたこと」に、今私は辟易している。体調が良くないのもひとつ。お茶を飲もうとして手近なコップが全て使用済みで流しに置いてあったこともひとつ。つまりは最近家のこと私ばっかりやってない?という不満があるのだ。
その根本的な解決方法はパートナーと話し合うことしかないのだが、結局のところ仕事に忙殺されている相手と、比較的定時で帰宅でき休みも取れる私とでは、在宅時間が全く違う。在宅時間が違えば当然、家にいる方が家のことをやらなければならなくなるのだ。気になってしまうタイミングも増える。
だから片付けもメールも書類も、本当は家のことだから二人で分担したいのだが、相手は全く気にしていないしたぶん気づいてもいない。毎日目にするところに書類を置いておいても、その上にタブレットを置いている始末。自分のことだという自覚があるのか。ないんだろうな。
そんな愚痴をつらつらとヨーグルトを食べながら思い浮かべてしまう。それに嫌気がさしてスマホを手に取ろうとするが充電中。何か見ようかとも思うがテレビのバラエティは賑やかしくて気に障るし、好きな配信者の動画も気分ではない。盛り上がるものではなく落ち着くものが欲しい。ネコの動画とか。
思うに、スマホやテレビを眺めるのは脳を休めるのに恰好の方法なのだ。なにもせずぼーっとすることは案外、脳にとって余計なエネルギーを使う。とりとめのないことはつまり、とりとめなく脳の部位を使用するからだ。あちこちいろんな部位を使うと、それだけで脳はエネルギーを消費する。だから脳を休めるには単純作業をすることが一番効率がいい。一カ所の部位しか使わなければ、エネルギーも一カ所集中で省エネできるのだ。ひたすらネギを切るとか、パズルをするとか、Twitterを眺めるとかはまさにその行為。没頭してしまうのは脳か疲れているからなのだ。電車の中で、満員でぎゅうぎゅうでも人の流れがあってもお構いなしにパズルゲームに熱中する人はストレス軽減のために脳の負担を減らし快楽を享受しているのだ。ただし人の眼前や後頭部にスマホ突き刺してくる奴は絶許である。画面だけじゃなくて周囲も見ろ。あなたが必死でスマホを持とうとしている肘がこっちの脇腹に刺さってるんだよ気付いてくれ。
スマホはなんて手軽な脳省エネツールなのだろう。そして現代人は何にそんなに疲れているのだろう。
脳はもともとサボりたいようにできているので、手が抜けるとなったらとことん抜くし、習慣を減らすことは簡単だが増やすことは難しい。そして行動とは心理ではなく脳科学だと私は考えている。片付けが苦手だったり時間に合わせてなかなか行動できなかったり、風呂が嫌いじゃないのに入るまでに猛烈に時間がかかる人(私だ)なんかは、やる気がないのではなくてそういう脳の仕組み(動き方)になっているのだ。これは生まれつきなのでしょうがない。男女とかも関係ない。ちなみに私は、見たいテレビ番組を万全の状態で観るために決まった時間に風呂に入れていたのだが、それが終わってしまった現在と放映がない曜日は、途端に風呂入るのめんどくさいマンになっている。このように外的要因で自分を動かすやり方が合う人もいる。
結局のところ、体調不良や家族の問題は急に降ってくる(顕在化する)ものなので、対応するには日頃から余裕がなければならないのだ。そして余裕を持つにはどうするのがいいのか。個人的には長時間労働が一番の敵だと思っている。ねえなんでみんな仕事終えるのにそんな時間かかるの?ほんとに。パートナー(一応管理職)に聞いてみたら「別の管理職が使えなさすぎてその人の分の仕事が来る」とのことだった。それマネジメントの問題じゃん。なのに人一倍残業時間が長いので、「残業を控えるように」と言われるのだという。いや組織の問題を個人に帰結しようとするの、ダメな組織の典型だから。残業しないと終われない仕事量を振る方が悪いから。
話を聞いていると、その使えないもう一人の管理職は本当に管理職に向いておらず、何で管理職にした????????と人事を疑うくらいの人物のようだった。それでも悪いのはその人ではなく、適切な采配ができなかった上の人々である。適切じゃなかったとわかったら修正してくれよ。判断と決断出来ない人が社会には多すぎる。責任を負うのがみんな怖いのだ。
個人的なことを言えば、私は専門職として非同業者の中で働いているので、「判断をすること」が仕事である。それは自らの専門性において、責任を負いながらの判断である(もちろん組織の中でとれる範囲での責任ではあるけど)。だから判断をしない・できない管理職に非常に腹が立つのだ。お前ら何のための管理職手当てだ。その金は責任取るためにもらってんだよ。
そんなことを考えていたらヨーグルトを食べ終わった。あと怒りが出てきたらちょっと動けそう。怒りは行動のためのエネルギーにもなるのである。
でももうちょっとなんか食べたいな、と見回したら、先日餞別でもらった治一郎バウムが目に入った。これ食べよう。
カットバウムにピックが付いているなんて、なんて親切だろう。そりゃ高級なだけある。だがもちろん高級なのはパッケージだけ が理由ではない。ふんわりしっとりとした口当たり、バターの芳醇な香り。甘すぎず卵の旨味を感じさせる、絶妙な配合。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜治一郎めっちゃうまい……………………。
さてパン買いに行くか。
こうして今日も世界はまわる。
(これは2021年4月の話)