水曜日の本棚#14 恐れずに、「バタ」
ある日の夕方、ポテトグラタンでもつくろうかと、玉ねぎを切ったりじゃがいもを茹でたり、黙々と下ごしらえをしていた。たちまち湯気で白く曇ったリビングの窓、静まり返ったキッチン。冬の寒い日、あたたかい部屋でひたすら何かの作業−それは料理に限らず−に没頭するのは、「しあわせを感じることランキング」のなかでもかなり上位に位置することだな、とぼんやり思う。
フライパンを火にかけ、冷蔵庫から取り出したバターを切ろうとナイフを手にしたとき、はたと動きを止めた。
-どれくらい入れよう?
料理上手な友人マダムが言っていたセリフが蘇る。
-ホワイトソースはね、やっぱりバターよ。おいしいバターを、恐れずにたっぷり入れなきゃダメ。
目分量で入れようとしていたバターの量を、思わず倍にしてフライパンへ。じわじわと泡立つバターの海に玉ねぎを滑りこませながら、「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」の一節を思い出す。
フライパンが熱くなると、マダムはおどろくほどたくさん(かれこれ1/8ポンドほども)バタを入れた。
「ずいぶんたくさんバタを入れるのね」
「そうよ、だから戦争中はずいぶん困ったわ」
卵4コをフォークでよくほぐして塩コショーを入れ、もう一度かきまぜながら、熱くなったバタの中に、いきおいよくさっと入れる。
(「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」石井好子著)
シャンソン歌手として活躍した石井好子さんの、言わずと知れた料理エッセイの傑作。戦後まもなく渡ったパリで、下宿先のマダムがつくる「バタ」たっぷりのオムレツは、1/8ポンドがいったいどれくらいの量なのか見当もつかないわたしを、ポーッとさせるくらい魅惑の食べものに映る。
−「バター」じゃなくて、「バタ」なのがさぁ、もうたまらんよねぇ。
食いしん坊のフランス人たちと、楽屋で語るお気に入りのレストラン。冬の仕事終わりに、「キャフェ」(カフェ)で「冷たくひえた白ブドー酒の一杯と、熱い熱いグラティネ」(オニオングラタンスープ)を食べる様子。下町モンマルトルの劇場で歌っていた頃、休憩時間に抜け出して食べた「クロックムッシュ」。パリから電車に揺られ、やっと着いたマドリッドで覚えた「セルヴェッサ(スペイン語でビール)」。
やんごとなきお育ちの彼女が綴る古きヨーロッパの香りは、あまりにも世界が違いすぎてまるでおとぎ話のようだ。それでも随所に出てくるレシピは、いまのわたしたちにとっては馴染みのあるメニューのそれであったりして、ついついじっくり読みながら味を想像してしまう。
そしてレシピのなかに「バタ」が出てくるたび、「やっぱりここでも『バタ』たっぷり入れてるな」と妙に安心してしまうのだった。
↑料理エッセイの名著。
Thank you for reading!