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子育て&自分育て

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育児をするなかで気づいたこと、考えたこと。子育てしながら、自分も育ててます。
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#育児

"境界線"を大切にした子育て

子育てするなかで、大切にしたいと思っていることのひとつが、境界線(バウンダリー)をはっきりさせるということ。 「自分を尊重する→相手を尊重する」ができるようになればいいな、と思うから(この「→」の順番が大事だと思っている)。 ※境界線については、こちらがわかりやすかったので参考にどうぞ。 ◇◇◇ 例えば、 自分のおもちゃを貸すか貸さないかを決めるのは、自分。 
親も無理に「貸してあげなさい」とか言わない。 逆に、お友だちのおもちゃを貸して欲しいと思っても、頼んでみ

恥の感情を使った子育て

親となって4年と約4か月。「こういう言いかたはしないでおこう」と守ってきたことを、つい先日、破ってしまった。 言ってしまったのだ。 「ほら、みてごらん。みんな◯◯してるよ」 ◇◇◇ なぜなのか、自分でもわからない。 高低差のある動物園内でのことだった。 歩きたくない、と駄々をこねだした4歳児。 0歳児を抱っこ紐で抱えるわたし。 後から合流する予定の夫はまだいない。 0歳児用に持ってきていたベビーカーに乗せてもよかったのだけど、なぜか冒頭の言葉が口をついて出てきた

ありがとう、忘れないよ

つい最近、自家用車を手放した。 ほぼペーパードライバーなわたしには、夫の言う「走行距離27万キロ」が一体何を意味するのかは正直、よくわからない。どうやらめちゃくちゃ走ったっぽい、とだけ認識している。 これから先、また新しい車を買い求めるのか、それともカーシェアリングでいくのか。自分たちの価値観やライフスタイルが変化していきそうなので、しばらく様子を見るつもり。 ◇◇◇ 車さんとお別れするんだよ、と告げてから実際に手放す日まで、4歳児なりに色々思うところがあったようだ。

「恥ずかしいです」と言えた子に泣いた話

自分に対しても子どもに対しても、自身の「感覚」や「感情」を否定せず、言葉で表現できたらいいな、と思っています。 節分の鬼が怖くて保育園を(なぜか2日間)休んだ4歳児(F)が、久しぶりに登園する日の朝のこと。 ちょっとぐずぐずし出したので、どうしたの、と聞くと、いわく、「恥ずかしい」。 母「恥ずかしいの?」 F「うん」 母「そっかー。どうして?」 F「だって◯◯ちゃんとか△△くんとか、会うのひさしぶりだから...」 母「そっかー、わかるよー。ママもさ、学校とか幼稚

インフラのようなもの、あるいは朝からの反省

子どもを保育園に送る道すがら、長いトングとゴミ袋を持って歩道のゴミを拾っている人々を見た。道路脇のビルに入った会社の社員さんたちが定期的に行っていて、スーツ姿の面々が真面目な顔でトングを使う様はちょっとおもしろく、ときどきお偉いさんがいるとその後ろにいる(たぶん)部下がさりげなくフォローしていたりするのもおもしろい。 道は、きれいなのが当たり前。 日本のいいところだ。 水や電気が「滞りなく供給されて当然」と無意識で思っているように、道だってきれいなのが普通と思っている。

頭と心の優先順位

家族が寝静まったあと、いそいそと家を抜け出し、近所の一風堂でひとりラーメンをすすった帰りのことだ(年に1-2回、無性に食べたくなってこんなことをしている)。 −なんでかな〜、きれいになりたいとか体型維持したいとか、思ってないわけじゃないんだけどな〜。 なんせ、普通に夕ご飯を食べたあとの所業である。数年前の自分だったら、そもそも食べなかった可能性のほうが高いし、欲望に負けて食べたとしても多少なりとも罪悪感を感じていた気がする。 −それがいまは罪悪感とか、ないもんな。 当

世代間の境界線を忘れない

「英会話」とか「あいうえお」とか、いわゆる学習っぽいものに関しては、「本人がやりたくなってからでえぇやろー」とのんきに構えているわたしですが、前回の記事(↓)のように子どもの感覚や感情を守ること、無意識にインストールしていくであろう親の価値観やマインドについては、気にかけて、取り組んでいることがいくつかあります。 自分がそのあたり苦労した、という自覚があるからかな? タイトルにあげた「世代間の境界線を忘れない」というのは、夫婦(大人)と子どものあいだに適切な境界線(※)を

自分と子どもの「感覚」「感情」を否定しない

先週のPodcast番組で取り上げたトピックについて、こちらでも書いておこうと思います。わたし自身がそうなのですが、文字で読むほうが好きな方もいらっしゃると思うので。 ◆◆毎週金曜日配信のPodcastはこちら↓◆◆ (毎回10分ほどの番組です。Apple podcastやSpotifyから聴けます) ◆◆◆ 上の子を産んでから、「どんな子になって欲しい?」と聞かれることが度々ありました。で、その度に言っていたのが「...ないんですよねー」。究極で言えば、ないんです。

偉業こぼれ話〜父とわたしと子の話

この話(↓)には割愛した、というか、書かなかったことがあった。 自分の心に浮かんだ反発や、悲しみのこと。 父からのLINEを読んで返信するまでのあいだに、いろんな思いが内に湧き上がってきた。 −たまには認めてよ。 −ていうか、いままで1度だって素のわたしを認めたり褒めたりしてくれたことあった? −賞をとったりいい成績を褒めるとか、そんなんじゃなくて...わたしが何に興味があって何をがんばりたいと思っているのか、どんな努力をしてるのか、1度だって聴いてくれたことあった?

子どもの有給(給料出ないけど)

4月に第2子が生まれ、心配していた上の子(3歳)の赤ちゃん返りもさほどではなく、ひと息ついたのが6月初めだっただろうか。「何かとママと一緒にやりたがる」「おねしょやおもらしが増える」、などは継続していたけれど、まぁ、想定の範囲内だったし、いまだけのことと、わたしも腹を決めて、都度、つきあっていた。 ◇◇◇ ただ1つ困ったのは、しばしば登園拒否を起こすこと。もともと保育園大好きっ子だった娘だが、家に親がいて妹がいて、となると、自分も家にいたい気持ちが湧いてくるらしい。朝起き

夢の中でさえ

夜と朝の勢力が変わり始める、午前4時の寝室で 壁にもたれ次女に授乳するわたしの耳に、 なんとも楽しそうな声が聞こえてきた 「ふふふふふ」 布団の向こう側、ゴロンと寝転んだ長女を見遣ると、 眠ったまま、また、「うふふふふ」と笑っている 楽しそうに、しあわせそうに ◇◇◇ 親の役割のひとつは、 我が子がその庇護の下にいるあいだ、 いかに失敗を経験させてあげられるか 転ばないように先回りして道を整備するのではなく、 ときに転ばせ、起き上がる力を信じて見守ること そ

大好きだけど、あっち行って

リバースタイル(注:川の字)で寝ている我が家。ある夜、真ん中の娘の近くに行きたい夫がスリスリ寄ってきたところ、 「パパ、だいすきだけど!パパだいすきだけど、あっちいって!!!」 と全力で訴えていて、笑ってしまった。 (第2子妊娠中が関係するのか、現在、娘はママブームです) わたしたちが彼女に何か注意するとき、よくそう言っているのだ。 「パパもママも○ちゃんのことはだーい好きだけど、ぜんぶ○ちゃんの言うとおりにはできないんだよ」 親の言動、インストールしてるんだなぁ。

「わたし」って言うと、なんかへん問題

最近、ミクロで悩んでいることがある。"悩み"というと大げさで、でも、時おり「どうしよっかなー」とチラチラ思っていること。 ◇◇◇ 3歳の我が子と会話しているとき、当たり前のように自分を「ママ」と呼んでいる。 「○ちゃん、ママ、ちょっと着替えてくるね」 「ママはいいや、ありがとう」 「ママも一緒に行くよ」 日本語話者としては何ら不自然さのない会話なのだけど、こういうのをずーっと続けていると、おのずと「ママ」と「子ども」という役割で2人の関係が固定されていくよな〜と、

やわらかな心

「おしょうまつ(お正月)、おわったの?」 「おわったら、なに?」 という3歳児に、 「お正月終わったら普通の日だよ〜」 「あ、でも次は節分かな。豆まき。去年、保育園に鬼さん来たの覚えてる?」 と何気なく言うと、一瞬間が空いて、じわーっと泣き出した。 「○ちゃん、ほいくえんいかない」「ほいくえんきらいなの!」 慌てたわたしは、「こないだ保育園大好きって言ってたじゃん!」「鬼さん、まだ来ないよ。それに今日は(祝日なので)保育園お休みだし」 「いやなの!」「ほいくえ