偉業こぼれ話〜父とわたしと子の話
この話(↓)には割愛した、というか、書かなかったことがあった。
自分の心に浮かんだ反発や、悲しみのこと。
父からのLINEを読んで返信するまでのあいだに、いろんな思いが内に湧き上がってきた。
−たまには認めてよ。
−ていうか、いままで1度だって素のわたしを認めたり褒めたりしてくれたことあった?
−賞をとったりいい成績を褒めるとか、そんなんじゃなくて...わたしが何に興味があって何をがんばりたいと思っているのか、どんな努力をしてるのか、1度だって聴いてくれたことあった?
−どうして普段のコミュニケーションで相手を認めたり、いいところを褒めたりしないのに、指摘したいところだけ言ってくるの?それで関係性がうまくいくと思ってるの?
「結果だけをみて褒めない(※下記)」というのは、普段わたしが子育てにおいて心がけていることなのだけど(言うは易し...ですが)、その本当の意味というか、意義がようやく腹落ちしてわかった。なんてことはない、自分もプロセスを褒められたかったのだと気づいたから。
自分が何に興味があって、何をがんばりたいと思っているのか。
この結果なりできごとなりが、自分にとってどんな意味があるのか。
(つまり、外部からの評価などは関係なく、自分自身がどう思うのか)
子どもとして親に聴いて欲しかったことを、今度はわたしが親として子どもに聴いていく。トライアンドエラーを繰り返しながら。
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(※)結果を褒められた子は、「結果がいい」ことがアイデンティティになるので、次に難しい課題に挑戦しない傾向に(もし結果が出なかったら、アイデンティティが崩れるため)。対してプロセスを褒められた子は、次に難しい課題にも挑戦する率が高い。単に褒める教育の弊害はここにある。
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