インフラのようなもの、あるいは朝からの反省
子どもを保育園に送る道すがら、長いトングとゴミ袋を持って歩道のゴミを拾っている人々を見た。道路脇のビルに入った会社の社員さんたちが定期的に行っていて、スーツ姿の面々が真面目な顔でトングを使う様はちょっとおもしろく、ときどきお偉いさんがいるとその後ろにいる(たぶん)部下がさりげなくフォローしていたりするのもおもしろい。
道は、きれいなのが当たり前。
日本のいいところだ。
水や電気が「滞りなく供給されて当然」と無意識で思っているように、道だってきれいなのが普通と思っている。
◇◇◇
出かける前のカオスを思い出す。
玄関先でいままさに出かけんとす、みたいなとき−つまりそれは、朝から辛抱強くあれこれを済ませて、さぁここで子どもを保育園に送りさえすればとりあえずわたしひとりの時間が持てると、心と頭が期待している時間−夫と4歳児が同時にわたしに話しかけてきて、それが続いて、「あーもううるさいー!」と言ってしまった。
冷たいニュアンス、ではなく、ふざけたニュアンスで、だったけど、
−2人ともあれはちょっと傷ついた顔だったな。
家族がいること、みんなが元気なこと、そしてわたしに愛情や関心を向けてくれること。当たり前すぎて、インフラのようになってしまっている。
−あーぁ、いかんな。供給が滞って初めてありがたみに気づくとか、これに関しては本当にナシだからな。
マスクで覆われていない顔のごく一部分で冷たい風を受けながら、電動自転車を漕ぎながら、クヨクヨと考える。後でちゃんと説明しよう。ごめんね、と言おう。
大事なひとを大事にする。そのシンプルなことをシンプルなまま、実行できたらいいのにな。
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