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小説家ってなんだろう

「小説家になりたい」という人って結構いるみたいだ。
でも、小説家ってなんなんだろう。

私は30代で初めて小説を書いた。
大手出版社の新人賞に応募して、二次選考まで通って、
「へぇ、案外行けるもんだ」
と、最初は甘くみた。
2作目はもっと行けるんじゃないか、と調子に乗ってまた書いた。
確かに、2作目は最終選考まで残ったけれど、こっぴどく酷評されて落とされた。
私としては不本意な選評だったが、3作目も書いてみることにした。
3作目は知人を介して大手出版社の編集者に原稿を直接渡すことにした。
預かりますと言ってくれて、結果が楽しみだった。
ところが、それは一次選考で落とされた。雑誌発表の誌面に私の名前はどこにもなかった。
編集者に連絡を入れて問い合わせると、「調べます」と言ってくれて、その後直接会うことになった。

一次選考は下読みの方に外注していることを伝えられた。
彼曰く……。
「問題なく上がってくると思って、何の指示も出していなかった」らしい。
それで、下読みさんが独自判断で落としたと言うのである。
「一応、下読みさんに落選させた理由も聞いてみました」
その理由は?
「文章がうますぎて新人らしさがない」
……(@@)
要するに、文章がうまいということは長所どころか短所だと言うのだ。
「文章が粗削りで多少難があっても、キラリと光るものがあればいい。そういう才能を見つけることが新人賞では大切で……」
あれこれ話した。
そして、彼が出した問いに私には即答できなかった。
「松村さん、小説家になりたいんですか?」
……はぁ……。
その頃の私は、小説家というものが何なのかわかっていなかった。
「いえ、えっと……、私は小説を書きたいんです」
私の返事を聞いて、彼はふぅと深呼吸に似たため息をついた。そして、
「私はあなたにこれ以上小説を書くことをお勧めしません」
ときっぱり言った。
それから、彼はある新人小説家の話をしてくれた。今ではテレビによく出る方だが、彼女は小説家になるためにあらゆる努力をし、自分をさらけ出し、編集者はこれこそが才能だと思ったそうな。
確かに、度胸もあるし、はっきり自己主張できる見た目もきれいな女性である。こういう女性が小説家として認知され、売りだされるんだ、と認識を新たにした。
小説家になりたいのではなく小説を書きたいだけ、と答えた私は、どうしようもなく覚悟がなく、どうしようもなく社会を舐めている中途半端なダメ女だったのだ。

小説家になることと、小説を書くことの違い。
それは、私が中堅どころの国際開発コンサルタントになったころに実感した。採用面接のときに、
「あなたは本当に国際開発コンサルタントになりたいんですか?」
と聞いている自分がいた。
そして、相手が
「いえ、国際協力をしたいんです」
と答えたとき、不採用だな、と思ったのだ。

プロとしてやっていく自覚があるのかどうか。
それが小説家になれるかどうかのリトマス試験紙だったのかもしれない。縋り付いてでも小説家になりたいと言えなかった私の惨敗である。中途半端野郎の敗北は必至だった。

あの「小説家失格宣告」から10年、私は小説を書かなかった。小説を読むことさえしなくなった。年間半年にわたる海外出張の日々を過ごし、忙殺された。国際開発コンサルタントとしてプロにならねば食べていけない。生きることが大変な発展途上国で、私も生きることに必死だった。
では、なぜまた小説を書き始めたのか……。


それはまた明日以降つづることにします。

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