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「成功とは何か」あなたは自分の言葉で具体的に語れるか?

SNSを含めて、私たちが生きている世界には、『成功』という言葉があちこちに転がっている。
だが、そもそも『成功』とは何だろうか?

 物事を目的どおりに成し遂げること。「失敗は成功の母」「新規事業が成功をおさめる」「実験に成功する」
 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。「写真家として成功する」

引用:コトバンク『成功』

『成功』と一言でいっても、いろいろなものを指す。けれど、世の中にはあまりにも『成功』という言葉が溢れすぎていて、その本質が失われているような気になるのは、私だけだろうか。

いま、まさに『成功』を求めているあなたは、自分にとっての「成功とは何か?」をどれくらい具体的に描いているのだろう。

事業者にとっての『成功』とは

私もフリーランスでライターや作家業をしているので、いち事業者という扱いになる。そこで、最近よく考えることがある。「自分にとっての『成功』とは、いったいどのようなものなのか?」ということを。
あなたは、どうだろうか?

人によって思い描く『成功』の形は違うだろう。事業で売上を伸ばすことだったり、顧客を増やして市場でシェアを広げることだったり。はたまた、地位や名声を手に入れて、メディアに取り上げられる有名人になることだったりといったように。だが、『成功』をゴールと考えるのか、通過点の一つと考えるのかによって、受け止め方も変わってきそうだ。

私にとっての『成功』は、売上を伸ばすことでも、顧客を増やすことでもない。地位や名声が欲しいかと問われると、作家として名が売れることは嬉しいが、それも私が求めている『成功』とは違うと感じる。

これらは、私にとっては過程にあるものであって、目標でもなければ目的でもない。たとえるなら、道すがら目に入る風景の一部でしかない。
そういうと、事業者として「責任を果たしていない」だとか、「考えが甘い」などと言われることもある。

たしかに、事業をやっていくのであれば、それには顧客が必要だし、顧客がいるならば彼らに応えられる安定した事業運営が必要だ。私のように、まるでお金に執着がなさそうな態度では、『安定した事業運営』をする気がない(=顧客に対して責任感がない)と取られても致し方ない。

とはいえ、お金に執着がないわけではない。今よりも稼げれば嬉しいし、必要とされることも大変有難いことだと心から思う。それでも、それが私にとっての『成功』だとは思えないのだ。

あなたは、どうだろうか?

自分にとっての『成功』は具体的であるほどいい

ライターと作家業を始めて、2019年2月で3年目を迎える。その間、ひたすらにライターとはどんなものかを追究してきた。そのなかで、自分にとって合うもの合わないものを選別して、今こうして日々お仕事をさせていただいている。

作家業にしても、始まりは本当にご縁としかいいようのない出会いだった。そのときはまだ、ライターを始めてひと月も経っていなかった。もともとライターの仕事をしていたわけではないので、その時点で私の『書く』ことに関するキャリアは全くなかった。SNSも友人とのLINEくらいで、TwitterやFacebookを始めたのも、あとになってのことだった。そんな何のキャリアもなく、どこの誰ともわからないようななかで、書かせてもらえたことは、本当に有難い奇跡だった。そして、今もそれを続けられていることも奇跡であり、とても有難いと思う。

そんなふうに2年の月日を過ごしてきて、そのあいだ私の意識にあったのは『書く』ことのスキルを上げることと、契約先を増やすことだった。一時期、両手・両足で数えても足りないほどの個人や法人と契約していた。だが、少しずつお付き合いの範囲を狭め、今では定期的な仕事は片手で数えられるほどまでにコンパクトになった。

増やすことに躍起になっていたが、結局それが体力的にも精神的にもしんどくなってしまったのだ。書くことが楽しくなくなったのだ。ただ、機械のように毎日ラップトップに向かい、消化するように仕事をこなしていく。そんな日々に疲れてしまった。そうなると、クライアントが求める文書を書くのが苦痛でしかなく、「OK」をもらっても達成感もなければ、充足感もない。毎日がただ面白くないのだ。

「仕事なんだから、仕方がない」
大人だったら、そこを堪えてでもこなすものなのだろう。だが残念ながら、私はそこまで大人ではないし、そんな仕事の仕方は自分には向いていないということを知っている。

少しずつ仕事を調整して、今の状態に落ち着いた。今はとても楽しく仕事をしている。一時期見失いかけた『書く』ことの楽しさも、自分という人間も、取り戻せるようになってきた。

自分が枠に押し込められるのが嫌いで、自分の考えを尊重される場がなければ、力を発揮できない人間だということを知っていると、その真逆に走れば当然息苦しくなるものだ。それをわかっていたはずなのに、私はいつの間にかそれを自分の『成功』だと思い込んでしまっていた。

おかげで今は伸び伸びとさせてもらっている。これほど、幸福な働き方はないなと改めて感じる。だが、一方で自分がその先どうなりたいのかは、よく見えていない。

いっとき、「記名記事が書けるライターになりたい」と思っていた。だが、気が付けばそれは叶っていた。その次に、「企画も構成も自分でやれる仕事がしたい」と思った。それも、有難いことにもう既に叶っている。「取材やインタビューもやりたい」という希望も叶った。

こうして振り返ってみると、案外順調にやっているじゃないかと思う。けれど、人は後ろを向きながら歩き続けられないように、前を向いた時の道が見えていないのが、今の私だ。ライターとして、次に何がやりたいのだろうかと考えた時に、答えに詰まるのだ。

では、作家としてはどうか?
もっとたくさんの人に私の作品を読んでほしい。それも、少しはある。ただ、自分の考えの中で「必要なときに、必要なモノ・コト・ヒトと出会う」というものがあるので、必要なときに私の本が必要な人に届けば、それが一番嬉しいのだ。そのために、私は書いているといっても過言ではない。

できれば、小説をもっと書きたいと思う。仕事で依頼をいただくのではなく、自分の作品として小説を出していきたい。そのためにも、没頭して作品を作れる時間をつくりたいとは思うが、それは『成功』とはまた違う話だ。

小説家と、堂々と名乗れることが今の目標であり、今思う私の『成功』だろうか。(だとしたら、ライターはどうするんだとお叱りを受けそうな気もするが……)

小説家と堂々と名乗るためにも、私はもっとたくさんの作品を世に出すべきかと思う一方で、人生をかけて長編を書くのもいいじゃないかとも思っている。80歳になって小説家と名乗れるようになるのもまた、夢がある気がするのだ。
結局のところ、私にとっての『成功』は、あまり重要度が高くないのだろう。それよりも目指したい方向を自分自身でわかっていることのほうが、私にとって重要度が高いのだろう。

あなたにとっての『成功』は何だろうか?
周りに流されて見つけた『成功』ではなく、あなた自身が思い描く『成功』の形とは何か。いま一度、考える機会になれば幸いだ。

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