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ハワイでの暮らし
24歳から27歳ぐらいまでをHawaiiのHonoluluで暮らした。
20歳の時、観光で訪れたハワイの街に咲いているハイビスカスの色がとても鮮やかで、香りが素敵で、それを見た瞬間に「ここの国で暮らそう」と思った。
何を調べたわけでもない。単なる直感だけだった。
すぐにエージェントへ行き、最短の2ヶ月という早さで、日本から脱出をした。
現地に着き、「部屋探し」からした。ワイキキから少し離れたハワイ大学の近くにあるマキキという山側のエリアに、アパートメントを見つけた。
ワイキキとは違い、住宅地なので昼間も夜も静かで、環境的には悪くない土地だった。
きっと、あのまま東京にいたら、私の中の何かが壊れる。という危機感が自分の中にはあった。
何も不幸ではなかったが、(寧ろ、恵まれていたと思う)私自身が何者かになろうとして模索したり、もがいてみたり、自分を置く場所を探していたんだろうと思う。
自分のやることは、全てが中途半端で、平均点の様な気がした。そしていつも乾いていた。満たされることがなかった。人生なんて、それで良いも悪いもないのに、私は自分自身を許せなかった。
人にはナイスに接し、表面を取り繕った。言いたいことは飲み込んで、相手に合わせることしかできない私が、そんな自分に疲れ果てて、それが嫌で、海外に逃げた。
ハワイで知り合った、友人の黒人の彼氏に私の話を度々、聞いてもらった。彼はシカゴ出身で、「アメリカの黒人の大半は教育が受けられないから、軍に入るしかない」ことを教えてくれた。
「Mikaはどれだけ恵まれているか、理解しているのか?僕のシカゴの母親は薬物に溺れ、父親はとっくにいない。俺たちがどんな生活をして来たのか、君には想像もつかないだろね」
と、一日、一食しか食べられないバーガーキングのハンバーガーを、夜中の12時に摂っている彼をみて、自分の愚かさに気付かされた。
日本という、恵まれすぎている国に生まれたことを、感謝した。
その彼は、自分の彼女を連れて、週末になると「私も一緒に出かけよう」と誘ってくれて、ポンコツのアメ車で街に繰り出した。
最高に楽しかった。自分を唯一、解放できた時間だった。
その黒人の彼も、そんな私を見て、「リラックス」と笑顔で伝えてくれた。
貴重な素晴らしい体験を、沢山、ハワイで勉強した。
教科書のない、実体験だった。
それは、かけがえのない、私の財産だ。
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