迷いを、肯定する。
「人と比べないこと」
たぶん、それが、
もっと幸せに生きる秘訣。
そういう言葉や、考え方は、
理解出来るし、共感を覚える。
その一方で、
言うは易く行うは難しと、感じてしまう。
*
例えば、
目に青く見える光は、
青以外の波長を吸収しないからこそ、
青く見えるという。
つまり、青くないからこそ、
青く見えるということだ。
緑も、赤も、原理は同じ??
こういう事象を、
私は「言葉」の中にも感じてしまう。
光をみて、
光だけを追いかければ良いのに、
その光が生み出す影に、
意識が向いてしまう…。
でも、どこかにある影はまた、
どこかに光があることを証明してもいる。
その表裏一体の2つの事象は、
ほかの物事においても、
当てはまるように思う。
それでもなお、
光だけを、見ていれば良い??
雲1つ無い空を見上げて、
眩しい太陽を直視するように、
強い光だけに、焦点を当てて、
迷わず進む方が、良いのだろうか?
*
押し開いた扉の帰りには、
引っ張って開けなければならない。
その逆の場合もある。
時折、押し引き問わないドアや、
横に開閉する引戸も、あるけれど。
私はとても、迷っている。
迷って、迷って、迷って、迷って…。
ぐるぐるしている。
終わりの無い輪舞のよう。
そんな曲は時々、フェードアウトされる。
強制終了??
*
迷いは、否定しようとするほどに、
増殖する傾向を感じる。
迷っている自分を、
何とかしなければと藻掻けば藻掻くほど、
その足は、ズブズブと沈み込んでゆく…。
絡みついた蔦に掴まって、
その細い茎や葉っぱがプチッとちぎれる。
何かをかき分けて、ジタバタするほどに、
取り乱してゆく…。
そのあと、
ふと…風が止む。
ガサガサと音を立てる自分が、
じっと動くのを止めた時に、
遠くに、かすかに、鳥の鳴き声が聴こえる。
朝露が、湖面に落ちて、
波紋を広げる音がする…。
このまま沈むなら、
それも良いじゃないの…。
抵抗するのを止めたなら、
静かに浮かび上がり始める、
沈みこんだ身体。
喧騒の音が消えて、
そこには、懐かしいような、
森の景色が、広がってゆく。
止まった風が、吹き始める。
わずかに、花の香りを宿して、
春の兆しを告げる。
もう、何でも良い。
今を生きながらも、
違う時を刻む世界の夢を見る。
そのうちに心は落ち着き始めて、
不要だった身体の力は抜けて、
飽和状態を迎えかけた思考の行き詰まりを、
ゆっくりと解消してゆく。
出来ないことに、焦点を当てない。
昔言われたことの多くは、
根拠の無い誤情報であることも多い。
そんなものは、もう要らない。
ポーイと放り投げたら、
虹がかかる。
水面から顔を出した蛙が、
パクっと口を開いて、飲み込んだ。
もう1つ、ポーイと投げたなら、
今度は鳶が高速で急降下して、
嘴にくわえて、飛び去った…。
人間の吐き出す二酸化炭素が、
植物にとっては光合成に
欠かせないものであるように、
自分に不要になったものが、
その森では誰かを幸せにするとしたなら、
何の罪悪感も抱かずに手放して、
自然に還すことが出来る。
もっともっと、身軽でいい。
生まれた時には、
何も持って来なかったのだから。
知らないことは、
無知である一方で、
時々必要なことでもあると思う。
何かを知りすぎたゆえに、
苦しくなってしまったのなら、
知らなかった時の自分に、
戻ってしまおう。
砂糖を入れすぎて、
甘くなり過ぎたコーヒーだって、
倍以上のコーヒーとミルクを注いだなら、
適度な甘さに戻るはず。
その時、手元に残るコーヒーの量は、
きっと倍以上になっている。
美味しいコーヒーが、
沢山出来る🙂💕
美味しいコーヒーが沢山出来たなら、
みんなで一緒に、ケーキを食べよう💖
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