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今日も今日とて息してました、うん。

お久しぶりのnoteへの投稿。
最後に投稿していたのは、2年前の2021年の3月。
時が過ぎるのは早いものです。

kaz、お前何をしていたんだと思っている人はおそらく1人もいないでしょう。そんな人がいたらとてもじゃないが、ただの変人だ。変人と呼ばせていただきたい。

さて、この記事では最後に記事を書いて以降どのような人生を歩んでいたのか、駄文にはなるかと思いますが書き連ねていってみようと思います。よければお付き合いください。

2021年3月
この時期で印象に残っているのは、

泣きながら毎日ランニングをしていたこと


冗談じゃなくて本当の話。引くわ〜と思う人もいるでしょう。引いてもらって大丈夫ですよ。
あれです、恋愛映画とかドキュメンタリー映画とかで観る終盤衝撃の事実を知り主人公がいても立ってもいられず衝動に駆られ当てもなく走る、あれほど綺麗なものではないですが似たそれです。
当時の僕は本当に悲しかった、ただ悲しかった。友人や家族、通ってたお店の店主さんたち、それまでの人生の中で培ってきた大切なものは全部そこにあったからです。
今改めて思い出すと、見ず知らずの東京という地に、社会人として1人戦っていかないといけない不安がそうさせたんだじゃないかなと思います。寂しがり屋ですよ、ほんと。
通行人からすればさぞヤバい人だったことでしょう。僕がその通行人の立場だったなら、「おぉ、あの人泣いてるやん。大丈夫?」と思いますもん、うん。走るコースは住んでいた家から大阪城公園のスタバ前、それから大阪でも特に好きな場所の中之島公園へ、全10キロメートル程度。
寂しがりの僕は、よく馴染みのバーに行ってました。大阪・北浜にある「週刊マガリ」というお店です。ほぼ毎日店長さんが変わり、店長さんのコンセプトによってその日の雰囲気がまるっきり変わります。僕がよく言っていたのは、映画好きな方がやっている日によく行って、見ず知らずの人と映画の話をしてました。もちろん映画の話だけじゃなくて皆さん個人個人の話題なんかも話はします。そこで見ず知らずの人たちに大阪を離れることが寂しいと自分の心境を吐き出して、少しずつ現実に向き合ったりしてました。すごく面白いお店なので、ぜひ行ってみてほしい。
結局、悲しみは時間が解決してくれた。どんなことも時間が経てば忘れ、許し、受け入れてしまうことができる、人って不思議な生き物です。なんでなんだろうなと思うし、人間以外はどうなんだろうとも思う、分からなくていいことなんだろう。
また、悲しみは尊さという心情に変わっていったことも覚えています。普段の何気ない景色ひとつとっても綺麗だななんて思うことが多々ありました。
人は終わりあるものに心惹かれる生き物でもありますからね。
尊さは決意に変化していき、私は東京へ。

続く

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